タシュケント (ウズベク語 : Toshkent , Тошкент [tɒʃˈkent] 、ロシア語 : Ташкент, Tashkent , [tɐʂˈkʲent] )は、ウズベキスタン の首都 。人口219万人は中央アジア最大級である。ウズベキスタン北東部、シルダリヤ川 の支流であるチルチク川 の流域に位置する歴史的なオアシス 都市。
名前の由来
都市名はテュルク語 で「石の町」という意味である。ペルシア語 表記では تاشكند (Tāshkand) である。タシケント と表記されることも多い。
地理
地区
タシュケントの地区
タシュケントの通り
ヤッカサライ地区にあるタシケント抑留日本人墓地
タシュケントは現在以下の地区(ウズベク語 : Tuman )に分かれている。
番号
地区名
人口 (2009)[ 2]
面積 (km2 )[ 2]
人口密度 (人/km2 )[ 2]
地図
1
ベクテミール地区 (英語版 )
27,500
20.5
1,341
2
チランザール地区 (英語版 )
217,000
30.0
7,233
3
ヤシュナバード地区 (英語版 )
204,800
33.7
6,077
4
ミラバード地区 (英語版 )
122,700
17.1
7,175
5
ミルザ・ウルグベク地区 (英語版 )
245,200
31.9
7,687
6
セルゲリ地区 (英語版 )
149,000
56.0
2,661
7
シャイハンターフル地区 (英語版 )
285,800
27.2
10,507
8
アルマザール地区 (英語版 )
305,400
34.5
8,852
9
ウチュテパ地区 (英語版 )
237,000
28.2
8,404
10
ヤッカサライ地区 (英語版 )
115,200
14.6
7,890
11
ユヌサバード地区 (英語版 )
296,700
41.1
7,219
トルキスタン総督府 が置かれていた時代は4つの地区 (daha) から成り立っていた。ベシュヤグハチュ、ククチャ、シャイハンターフル、セブザール。
1940年に地区 (ロシア語 : район ) の見直しが行われ6地区に再編された。オクティアブル 、キーロフ 、スターリン 、フルンゼ 、レーニン 、クイビシェフ 。
1981年までに現在のような11地区に改編された[ 3] 。
人口
人口統計
1983年時点において、タシュケント256km2 圏内に住む人口は約1,902,000人であった。1991年には約2,136.600人へと増加した。タシュケントはソビエト連邦時代にはモスクワ 、レニングラード(サンクトペテルブルク )、キエフ に続く第4の都市であった。現在でもタシュケントはCIS諸国 とバルト三国 の中で第4の都市の地位を維持している。
2012年1月1日時点のタシュケントの人口は約2,309,300人であった[ 4] [ 5] 。 (これには一時的な居住者が含まれていると推定されている[ 1] 。)
現在のタシュケントの民族構成はウズベク人が多数を占め、2013年の調査では65.0%となっている。一方、ロシア人は1970年当時は40.8%を占めていたが2013年には18.0%まで急減している。これは、ウズベク人の流入や高出生率による人口増加と独立以降のロシア系住民の流出や低出生率によるものである。
また、民族調査ではウズベク人としてカウントされているタジク人 も相当数いると見込まれる他、ウクライナ人 、タタール人 、クリミア・タタール人 やウイグル人 、アルメニア人 、高麗人 、カザフ人 などで構成される多民族都市となっている。タシュケントではウズベク語 を理解しない人も少なくなく、ウズベキスタンでは独立時にロシア語 は公用語から排除され、ウズベク語への一本化が図られたもの、ロシア系住民の多いタシュケントではロシア語は広く共通語として用いられている。タシュケントのロシア人人口は最盛期には70万人に達していたが、2013年 には42万人に減少した。それでもロシア 、ウクライナ 国外の都市の中で、カザフスタン のアルマトイ に次ぐ人口規模となっている。
民族
1970年(人)
(%)
1989年(人) [ 6]
(%)
2008年(人)
(%) [ 7]
2013年(人)
(%)
ウズベク人
-
-
907,842
44.2%
-
63.0 %
1,528,000
65.0%
ロシア人
564,880
40.8%[ 6]
699,262
34.0%
-
20.0 %
423 000
18.0%
タタール人
-
-
128,790
6.8%
-
4.5 %
105,000
4.5%
その他
-
-
-
15.0%
-
12.5
-
12.5%
歴史
古代
タシュケントはソグド語 での古名をチャーチュ (c'c : Čāč)、またはチャーチュカンドともいい、ペルシア語 でもチャーチュ( چاچ Chāch)と称し、アラビア語 ではシャーシュ ( شاش Shāsh)と呼ばれた。『シャー・ナーメ 』でもそのように記されている。チルチク川の形作るタシュケント・オアシスの主邑として、またカザフ草原 ・天山山脈 北麓の遊牧 地帯とマー・ワラー・アンナフル のオアシス定住農耕地帯を中継する商業都市として古代から繁栄した。
康居 の中心地であったと推定される。
国際交易では中国 にまで名を知られ、『後漢書 』以来石国 と呼ばれた。また「チャーチュ」の音写として「者舌」(『魏書 』)や隋 唐 時代の「柘支」、玄奘三蔵 の『大唐西域記 』では「赭時」と書かれた。ソグド人 が中国地域で用いた一字姓では、チャーチュ出身者は「石」姓を名乗った。750年 には唐 の将軍高仙芝 が石国に侵攻したためにシャーシュ(チャーチュ)はイスラムのアッバース朝 に支援を求め、タラス河畔の戦い のきっかけをつくった。その後、さまざまなイスラム王朝 と北方の遊牧民 の支配を経て次第に都市住民のイスラム 化・テュルク 化が進展した。サーマーン朝 時代にはBinkath とも呼ばれた。
中世
カラハン朝 の10世紀 末頃から「タシュケント」の名も現れる。1214年 にはホラズム・シャー朝 に、1219年 にはチンギス・カン に、それぞれ破壊される。しかし、ティムール朝 そしてシャイバーニー朝 によって町は再建される。『西域番国志 』によると、15世紀 初頭、明 の永楽帝 の命を受けた陳誠 が、陸路でこの地(「達失干」と記録されている)を訪れている。
モンゴル帝国 時代にはペルシア語の「チャーチュ」やアラビア語の「シャーシュ」で呼ばれるのが一般的であったようだが、ムガル朝 の始祖バーブル は自伝である『バーブル・ナーマ 』において「タシュケンドは書物には“シャーシュ”または“チャーチュ”と書かれて」いると述べており、彼が中央アジアで活躍した16世紀 頃には既に「タシュケント」の方がティムール朝の王族たちなどではより一般化していたらしいことが窺える。都市の名前が「チャーチュ(シャーシュ)」から「タシュケント」へ変化した原因は、恐らく「チャーチュ」の音写に由来する「石国」をウイグル 地方などのテュルク語 で直訳した形だと思われるが、これが現地でも使われるようになったのはウイグル地方とマー・ワラー・アンナフル 双方を領有していたチャガタイ・ウルス の影響が考えられる。
近代
1865年 当時の街の区画
1917年 当時の街の様子を描いた絵
タシュケントは、1809年 にはコーカンド・ハン国 の支配下に入った。当時、人口は10万人を越えてロシアとの交易で栄える経済都市となった。
1865年 、帝政ロシア 軍が夜間攻撃で侵攻、防御が堅固で激しい戦闘となったが制圧に成功、ロシアはタシュケントを直轄領に組み入れ、1867年 にトルキスタン総督府 が設置され、ロシアの中央アジア支配の拠点となった。旧市街の外側にロシア人 の住む新市街ができ、ロシア人商人などが続々と移住してきた。また、中央アジアをめぐるロシアと英国 の衝突で、スパイの暗躍する町となった。1874年 のトルキスタン軍管区 設置や1889年 のカスピ海横断鉄道 延伸などの新事業に従事する労働者階級のロシア人は、やがてロシア革命 の中央アジアでの担い手となっていった。
ロシア革命が起こると、トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国 の首都となり、再び中央アジアをめぐるロシアと英国が衝突し、英国のフレデリック・ベイリー (英語版 ) らスパイの暗躍する町となった。1924年 にはウズベク・ソビエト社会主義共和国 に編入され、1930年 、サマルカンド に代わって首都となった。
第二次世界大戦 が起こると、ナチス・ドイツ の侵攻を受けたヨーロッパ・ロシア から工場が疎開され、市の工業化が進み、ロシア人の割合も急増していった。
戦後、第386収容地区(ラーゲリ )が設置され、日本人のシベリア抑留 の対象地のひとつとなった[ 8] 。日本人捕虜は、中央アジア最大のバレエ・オペラ劇場たるナヴォイ劇場 の工事などに従事した。犠牲となった者の日本人墓地も残る。
戦後から現代
1966年 4月26日、大地震 に見舞われ、78000棟の家屋が倒壊した。地震後、計画的な都市作りが行われたため、非常にソ連的な町並みとなった。ソ連時代、ウラル山脈の東で最大の都市であった。アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) ではソ連の軍事的拠点となった。ウズベキスタン独立後の今日でも大きなロシア人社会を抱えているが、町並みからロシア色は消えつつある。
経済
屋内中央市場 内部
商業
古来より、タシュケントはシルクロード の中継都市として多くのものが集まる物流の中心地として発展していた。現在でも大規模なチョルスー・バザール が所在するなど国内最大の商都である。
都市開発
情報通信
マスメディア
放送局
また、中央アジアでは最も早く2008年 にデジタル放送 が導入され、2015年 を目処に完全移行する予定である[ 10] 。(その後、トルクメニスタン では2011年 に[ 11] 、カザフスタン では2012年 にデジタル放送が導入された[ 12] 。キルギス とタジキスタン では2015年 までにデジタル放送が導入される予定である[ 13] [ 14] 。)
新聞社
ウズベク語 による新聞9紙が発行されており、その他に英字新聞4紙、ロシア語新聞9紙が発行されている。
教育
ウェストミンスター国際大学タシュケント校のキャンパス
タシュケントには、ウズベキスタン科学アカデミー のような国内でも重要とされる科学研究所が設置されている。タシュケントには大学や研究所をはじめとする複数の高等教育 機関がある。
大学
主な大学
研究機関
主な研究所
その他の教育機関
交通
タシュケント国際空港
タシュケント駅
タシュケント地下鉄 路線図 ※現在4号線としてイエローラインを計画中
市内交通 は、地下鉄 、路線バス などがある。タシュケント地下鉄 は、中央アジア 初で、ソ連 時代にソ連で7番目の地下鉄として1977年 に開業した(着工のきっかけとなったのは、1966年の地震である)。現在3路線で29駅。
空港
タシュケント国際空港 が12km南東にある。ウズベキスタンのみならず中央アジア最大の空港である。ウズベキスタンとアジア、ヨーロッパ、北アメリカ大陸を結ぶ空の玄関口となっている。
鉄道
代表となる駅
主な路線
バス
路線バス
気候
ケッペンの気候区分 では地中海性気候 に属する。夏は、7月の平均気温が27.8℃で、最高気温は40度に達する日も多く、暑さと乾燥が厳しいが朝晩は涼しくなる。冬は降水量が多く、1月の平均気温は1.9度と寒さはそれほど厳しくないため雨の場合が多いが、寒気による影響で積雪となることもある。年によってはマイナス15度前後まで下がることもあり、過去には-28.0度を記録している。年間平均気温は14.8度。年間総降水量は440mmである。
タシュケント (1981-2010)の気候
月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
年
最高気温記録 °C (°F )
22.2 (72)
25.7 (78.3)
32.5 (90.5)
36.4 (97.5)
39.9 (103.8)
43.0 (109.4)
44.6 (112.3)
43.1 (109.6)
39.8 (103.6)
37.5 (99.5)
31.1 (88)
27.3 (81.1)
44.6 (112.3)
平均最高気温 °C (°F )
6.8 (44.2)
9.4 (48.9)
15.2 (59.4)
22.0 (71.6)
27.5 (81.5)
33.4 (92.1)
35.7 (96.3)
34.7 (94.5)
29.3 (84.7)
21.8 (71.2)
14.9 (58.8)
8.8 (47.8)
21.6 (70.9)
日平均気温 °C (°F )
1.9 (35.4)
3.9 (39)
9.4 (48.9)
15.5 (59.9)
20.5 (68.9)
25.8 (78.4)
27.8 (82)
26.2 (79.2)
20.6 (69.1)
13.9 (57)
8.5 (47.3)
3.5 (38.3)
14.8 (58.6)
平均最低気温 °C (°F )
−1.5 (29.3)
0.0 (32)
4.8 (40.6)
9.8 (49.6)
13.7 (56.7)
18.0 (64.4)
19.7 (67.5)
18.0 (64.4)
12.9 (55.2)
7.8 (46)
4.1 (39.4)
0.0 (32)
8.9 (48)
最低気温記録 °C (°F )
−28 (−18)
−25.6 (−14.1)
−16.9 (1.6)
−6.3 (20.7)
−1.7 (28.9)
3.8 (38.8)
8.2 (46.8)
3.4 (38.1)
0.1 (32.2)
−11.2 (11.8)
−22.1 (−7.8)
−29.5 (−21.1)
−29.5 (−21.1)
降水量 mm (inch)
53 (2.09)
64 (2.52)
69 (2.72)
61 (2.4)
41 (1.61)
14 (0.55)
4 (0.16)
1 (0.04)
6 (0.24)
24 (0.94)
44 (1.73)
59 (2.32)
440 (17.32)
平均降水日数
13.7
12.3
13.8
12.9
10.2
5.1
2.9
1.9
3.2
8.1
10.2
12.8
107.1
% 湿度
73
68
62
60
53
40
39
42
45
57
66
73
56
平均月間日照時間
124.0
112.0
155.0
240.0
310.0
360.0
403.0
372.0
300.0
248.0
150.0
124.0
2,898
出典1:Pogoda.ru.net[ 27] , World Meteorological Organisation (number of precipitation days)[ 28]
出典2:Hong Kong Observatory (sun only)[ 29]
観光
ウズベキスタン外務省迎賓館
ナヴォイ劇場
ウズベキスタン国立応用美術館
チャルヴァク湖
1917年のロシア革命 で一旦古い町並みが破壊され、さらに1966年 のタシュケント地震 で古い建物はほとんどが破壊されたため歴史ある建物は数少ない。しかし、タシュケントはソビエト連邦時代に建設されたモニュメントなどの像が多く街に残っている。ウズベキスタンの首都、および中央アジア最大の都市ということもあり、観光施設も多い。[ 30]
観光スポット
主な観光施設
アミール・ティムール広場に設置されていたロシア正教会 は1898年 に建設されたが、2009年 に取り壊された[ 33] [ 34] [ 35] 。
また、タシュケント郊外のチャルヴァク湖 は行楽地として有名で、マリンスポーツ 、ウィンタースポーツ を楽しむことができる。
文化・名物
スポーツ
国立競技場、パフタコール・マルカジイ・スタジアム
サッカー
サッカー はタシュケントで最も人気の高いスポーツであり、タシュケントを本拠地とするサッカークラブ、FCパフタコール・タシュケント 、PFCロコモティフ・タシュケント 、FCブニョドコル が国内最上位リーグのウズベク・リーグ に参加している。FCブニョドコルは2008年にAFCチャンピオンズリーグ の決勝トーナメントにまで進出、2012年にはAFCチャンピオンズリーグ2012 でベスト4にまで進出した。サッカー選手のピーター・オデムウィンギー やサンジャール・トゥルスノフ もまたこの街の出身である。
アイスホッケー
フモ・タシュケント は将来KHL 加盟を目指すアイスホッケークラブで、2019年に発足。同市内のフモ・アリーナ が本拠。
テニス
世界でも有名な自転車競技選手ジャモリディネ・アブドヤパロフ はこの街の出身である。また、テニス選手のデニス・イストミン はこの街で育った。
アクグル・アマンムラドワ やイロダ・ツルヤガノワ もまたタシュケント出身のテニス選手として名高い。
新体操
新体操 選手のアリーナ・カバエワ や体操 選手のアレクサンデル・シャティロフ (英語版 ) はこの街の出身である。
カヌー
カヌー 競技のカヤック 一人乗り500mスプリント前世界王者でオリンピック銅メダリストのミカエル・コルガノフ (英語版 ) もまたタシュケント出身である[ 36] 。
対外関係
姉妹都市・提携都市
ギャラリー
タシュケント市立公園
タシュケント市立公園夜景
市場通りのパン屋
出典
^ a b “Uzbekistán: Las ciudades más grandes con estadísticas de población ”. 2012年7月14日時点のオリジナル よりアーカイブ。2013年3月19日 閲覧。
^ a b c (ロシア語) Statistics of the subdivisions of Tashkent アーカイブ 2015年2月7日 - ウェイバックマシン
^ Sadikov, A C; Akramob Z. M., Bazarbaev, A., Mirzlaev T.M., Adilov S. R., Baimukhamedov X. N., et al. Geographical Atlas of Tashkent (Ташкент Географический Атлас) (72 × 112) (in Russian) (2 ed.). Moscow. p. 64
^ “Uzbekistan - Toshkent Shari (Tashkent City) ”. citypopulation.de. 2013年5月23日 閲覧。
^ “Tashkent city administration ”. gov.uz. 2013年6月25日時点のオリジナル よりアーカイブ。2013年5月23日 閲覧。
^ a b М. Н. ГУБОГЛО ЭТНОДЕМОГРАФИЧЕСКАЯ И ЯЗЫКОВАЯ СИТУАЦИЯ В СТОЛИЦАХ СОЮЗНЫХ РЕСПУБЛИК СССР В КОНЦЕ 80-х » НАЧАЛЕ 90-х ГОДОВ | Fedy
^ “Этнический состав населения Ташкента на 2008 год ”. 2013年10月22日時点のオリジナル よりアーカイブ。2018年12月6日 閲覧。
^ 長勢了治『シベリア抑留全史』原書房、2013年8月8日、186,294頁。ISBN 9784562049318 。
^ “GFF.uz ”. 2010年4月8日時点のオリジナル よりアーカイブ。2013年5月4日 閲覧。
^ “Uzbekistan introduces digital TV broadcasting ”. UzDaily.com (2008年11月14日). 2014年1月12日 閲覧。
^ “Turkmenistan to switch to digital TV broadcasting ”. turkmenistan.ru (2011年8月16日). 2014年1月12日 閲覧。
^ D. Mukhtarov (2012年7月3日). “Kazakhstan launches digital broadcasting system ”. Trend News Agency. 2014年1月12日時点のオリジナル よりアーカイブ。2014年1月12日 閲覧。
^ Asker Sultanov (2013年9月20日). “Kyrgyzstan to implement digital broadcasting; new Kazakh channel coming ”. CENTRAL ASIA ONLINE. 2014年1月12日 閲覧。
^ “OSCE supports broader dialogue on digital broadcasting in Tajikistan ”. OSCE (2012年9月27日). 2014年1月12日 閲覧。
^ TUIT.uz
^ WIUT.uz
^ “NUU.uz ”. 2019年7月16日時点のオリジナル よりアーカイブ。2020年5月29日 閲覧。
^ “TIU.uz ”. 2018年8月12日時点のオリジナル よりアーカイブ。2020年5月29日 閲覧。
^ TAYI.uz
^ “TASI.uzsci.net ”. 2010年5月1日時点のオリジナル よりアーカイブ。2020年5月29日 閲覧。
^ Ташкентского Педиатрического медицинского института
^ MDIS.uz
^ “TITLI.uz ”. 2011年8月31日時点のオリジナル よりアーカイブ。2013年5月4日 閲覧。
^ “Tashiit.uz ”. 2010年4月25日時点のオリジナル よりアーカイブ。2013年5月4日 閲覧。
^ “IBS.uz ”. 2017年10月6日時点のオリジナル よりアーカイブ。2020年5月29日 閲覧。
^ Abror Musahonov, Uzb (2011年1月11日). “Toshkent tibbiyot akademiyasi - Тошкент тиббиёт академияси ”. TMA.uz. 2013年5月4日 閲覧。 [リンク切れ ]
^
“Pogoda.ru.net (Weather and Climate-The Climate of Tashkent) ” (ロシア語). Weather and Climate. 2013年3月19日 閲覧。
^ “World Weather Information Service – Tashkent ”. 世界気象機関 . 2013年3月19日 閲覧。
^
“Climatological Normals of Tashkent ”. 香港天文台 (2010年8月). 2013年3月19日 閲覧。
^ UZBEK friends(ウズベクフレンズ) [リンク切れ ]
^ MacWilliams, Ian (2006年1月5日). “Tashkent's hidden Islamic relic” . BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4581684.stm 2013年5月4日 閲覧。
^ タシケント抑留日本人墓地 | 中央アジアのクロスロード-ウズベキスタン
^ “Tashkent's central park is history ”. uznews.net (2009年11月25日). 2011年7月24日時点のオリジナル よりアーカイブ。2013年5月4日 閲覧。
^ “Army memorial dismantled in Tashkent ”. uznews.net (2009年11月24日). 2011年7月24日時点のオリジナル よりアーカイブ。2013年5月4日 閲覧。
^ “МИД России указал послу Узбекистана на обеспокоенность «Наших» ”. Ferghana.ru (2010年1月16日). 2013年5月4日 閲覧。
^ “Sports-reference.com ”. 2013年12月3日時点のオリジナル よりアーカイブ。2013年5月4日 閲覧。
^ 名古屋市とウズベキスタンのタシケント市が「パートナー都市協定」締結
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
タシュケント に関連する
メディア および
カテゴリ があります。
外部リンク
首都 州都 人口10万人以上の都市 人口5万人以上の都市