アルフォンソ・サモラ
アルフォンソ・サモラ・キロス(Alfonso Zamora Quiroz、1954年2月9日 - )は、メキシコのプロボクサー。メキシコシティ出身。元WBA世界バンタム級王者。 名伯楽クーヨ・エルナンデス門下で共に学び、互いの名前の頭文字を取ってZボーイズと呼ばれたカルロス・サラテと共に1970年代の黄金のバンタム級に一時代を築いた。 来歴アマチュア時代アマチュアで54勝45KO、RSC1敗という戦績を記録。1972年に17歳で出場したミュンヘンオリンピックではバンタム級で銀メダルを獲得。 プロ時代1973年4月16日、2回KO勝ちを収めプロデビュー。 1974年7月9日、日本バンタム級王者の内山真太郎に6回KO勝ちを収める。 1975年3月14日、20戦全KO勝ちのパーフェクトレコードを引っ提げてWBA世界バンタム級王者の洪秀煥(韓国)と対戦。4回、ロープに詰まった王者に左右のフックを叩きつけて10カウントを聞かせ、弱冠20歳というバンタム級史上最年少記録での王座獲得となった。 1975年8月3日、初防衛戦でタノムチット・スコタイ(タイ)の挑戦を受ける。4回に連打でダウンを奪い、立ち上がった挑戦者に更なる連打を浴びせると、レフェリーが試合を止めた。 1975年12月6日、ソクラテス・ベトト(フィリピン)と2度目の防衛戦。2回にボディブローでダウンを喫するが、立ち上がると逆にボディでダウンを奪い返し、更に連打を叩きつけて10カウント聞かせ逆転KOとなった。 1976年4月3日、3度目の防衛戦で後にフェザー級で世界王座19度防衛の名王者となるエウセビオ・ペドロサ(パナマ)の挑戦を受け、2回に狙い澄ました左フックを叩きつけてKO勝ち。 1976年7月10日、ヒルベルト・イリュエカ(パナマ)を挑戦者に迎えて4度目の防衛戦。2回に左のパンチで最初のダウンを奪うと、3回に右のパンチでダウンを追加。そのまま挑戦者に10カウントを聞かせた。 1976年10月16日、5度目の防衛戦で前王者・洪秀煥を12回TKOで返り討ち。挑戦者の地元・韓国で行われたこの試合は、序盤から王者が何度もクリーンヒットを受け膝を揺らす挑戦者有利の展開となったが、11Rに王者が猛反撃で挑戦者にダウン寸前の大きなダメージを与えると、続く12Rにロープに詰めて滅多打ちにしたところでレフェリーが試合を止めた。このレフェリーの裁定に納得のいかない観客が不満を爆発させ、リング内になだれ込みレフェリーを殴り倒すという暴動騒ぎとなった。 1977年4月23日、すでに金銭的トラブルからクーヨ・エルナンデスと袂を分かっていたサモラは、元同門のWBC世界バンタム級王者カルロス・サラテとノンタイトル戦で対戦。サモラのここまでの戦績は29戦全KO勝ちというパーフェクトレコード。対するサラテも45戦全勝44KOとサモラと遜色のないレコード。高いKO率を誇る無敗の世界王者同士のライバル対決に世界の注目が集まった。試合開始から激しくパンチを交換し、1回、2回と互角の打ち合いを展開していたが、次第にパンチの的確さとディフェンス力で上回るサラテが試合を支配。3R終了間際にコンビネーションを浴びて最初のダウンを喫すると、立ち上がったところを連打に晒されダメージを追加される。ここは辛くもゴングに救われたが4回開始早々に再びダウンを奪われると試合は一方的な展開に。さらに連打を浴び3度目のダウンを喫したところでセコンドのアルフォンソ・サモラ・シニアがタオルを投入し、30戦目で初の敗北となった。なお余談だが、この試合の開始直後に下着姿の男がリング内に乱入し、試合が一時中断された他、試合終了後に両陣営が乱闘騒ぎを起こすなどのハプニングがあった。 このライバル対決での敗北を境にサモラは精彩を失い、勝ち負けを繰り返すこととなる。 1977年11月19日、6度目の防衛戦で伏兵ホルヘ・ルハンにまさかの10RKO負けで王座陥落。中盤から挑戦者にペースを握られると10回にダウンを奪われ戦意喪失。座ったまま首を横に振り、そのまま10カウントを聞いた。 1978年10月26日、ここまで29戦を戦い敗戦は負傷判定での1敗のみという世界ランカーのアルベルト・サンドバル(アメリカ)との対戦に8回KO勝ちを収め、健在ぶりを示した。 1979年7月22日、ルハン戦後、3連勝を経て、WBC世界ライトフライ級王座に2度挑戦経験のあるファン・アルバレス(メキシコ)と対戦。5回にバッティングでアルバレスが試合続行不可能となると、サモラの反則失格が宣告され3敗目を喫した。 1979年11月16日、WBC世界バンタム王座挑戦者決定戦でエディ・ローガン(アメリカ)と対戦。6回に先にダウンを奪ったが、8回に2度倒し返されると、続く9回にレフェリーが試合を止め、連敗となった。 1980年9月19日に3回KO負けで5度目の敗北を喫すると、この試合を最後に引退。まだ26歳という若さであった。 戦績アマチュア54勝(45KO、RSC)1敗
プロ38戦33勝(32KO)5敗
獲得タイトル
関連項目外部リンク
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