アレッサンドロ・ディアマンティ
アレッサンドロ・ディアマンティ(Alessandro Diamanti, 1983年5月2日 - )は、イタリア・プラート出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元イタリア代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 経歴プラート1999年に生まれ故郷のクラブであるACプラートでデビュー。エンポリFCやACFフィオレンティーナへのレンタル移籍を経験した後、2004年にUCアルビーノレッフェに共同保有権が譲渡される。同チームで1シーズン半プレーした後、2006年にプラートが保有権を買い戻した。2006-07シーズンは3シーズン振りに復帰した古巣でセリエC2を舞台に戦い、31試合で15得点を挙げた。 リヴォルノこの活躍が認められ、2007年夏にセリエAのASリヴォルノ・カルチョへ完全移籍。1年目から14試合に先発し12試合で途中出場したが、クラブは最下位に終わりセリエBへ降格。2年目はリーグ戦とカップ戦で計39試合に出場して20得点を挙げるなど攻撃の中心を担い、クラブのセリエA復帰の原動力となった。これによりインテルナツィオナーレ・ミラノをはじめとする国内外のクラブの注目を集め、2009年夏の移籍市場でその動向が注目された。 ウェストハム2009-10シーズン開幕直後に同胞のジャンフランコ・ゾラが率いるプレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドFCに5年契約で完全移籍[1]。サポーターによるシーズンMVP投票ではスコット・パーカーに次ぐ2位に選ばれたが[2]、ゾラが解任されたこともあり1年で国内復帰を決意する。 ブレシア2010年夏の移籍市場でブレシア・カルチョに移籍。移籍金は220万ユーロ(約2億4000万円)[3]。32試合に出場しアンドレア・カラッチョロに次いでチーム内2位の6得点を挙げたが、クラブはリーグ19位でシーズンを終えセリエBに降格した。 ボローニャ2011年夏の移籍市場でボローニャFCに共同保有権が譲渡され、2011-12シーズンは同クラブでプレーすることになった[4]。2012年4月12日のカリアリ・カルチョ戦では決勝点となるフリーキックを決め、クラブの1部残留を手繰り寄せた[5]。なお、このゴールを祝う際にユニフォームを脱いで愛妻へのメッセージが書かれたアンダーシャツを見せたが、この行為でイエローカードを受けている。 広州恒大2014年2月7日、中国スーパーリーグ・広州恒大足球倶楽部への移籍が発表された[6]。 フィオレンティーナ2015年1月10日、広州恒大足球倶楽部から半年レンタル、200万ユーロで完全移籍のオプション付きでACFフィオレンティーナに移籍することが発表された[7]。2014-15シーズン途中に加入で公式戦15試合に出場して2ゴールを記録していたが、完全移籍には至らなかった。 ワトフォード2015年8月17日、イングランドのワトフォードFCへレンタル移籍をした[8]。 アタランタ2016年1月13日、ワトフォードへのレンタルを予定を早め終了し、アタランタBCにレンタル移籍した[9]。 パレルモ2016年8月29日、パレルモへとフリーで移籍した[10]。契約期間は2年間であったが、2017年8月に契約を解除した[11]。 ペルージャパレルモ退団以降、無所属の状態が続いたが、2018年2月17日、セリエBのペルージャ・カルチョと契約した[11]。背番号は21番。 リヴォルノ復帰2018年7月13日、リヴォルノへ9年振りに復帰することが発表された[12] ウェスタン・ユナイテッド2019年7月26日、2019-20シーズンからAリーグ参入のウェスタン・ユナイテッドとマーキープレーヤーとして1年契約したことを発表した。背番号は23番。 2023年4月24日、4月29日のパース・グローリーFC戦を最後に現役を引退することを表明した[13]。 代表歴2010年11月17日、ルーマニアとの親善試合でイタリア代表デビューを果たし、前半のみで退いた。 代表歴わずか1キャップで予選にも出場していなかったが、チェーザレ・プランデッリ監督によりEURO2012のメンバーに抜擢される[14]。グループリーグ第3戦のアイルランド戦に途中出場すると、コーナーキックからマリオ・バロテッリのゴールをアシストした。準々決勝のイングランド戦でも後半にアントニオ・カッサーノとの交代で出場。延長戦ではクロスがポストを叩く惜しい場面を演出し、PK戦では5人目のキッカーを任されると落ち着いてこれを決め、チームの準決勝進出に貢献した。 FIFAコンフェデレーションズカップ2013の3位決定戦、ウルグアイ戦で代表初得点を挙げた。 しかし、2014年ブラジルW杯では、プランデッリ監督が国外組の招集に消極的なこともあり、2014年2月に中国に移籍したために本大会メンバーから落選した。 指導歴選手引退から間もない2023年7月12日にAリーグ・メンのメルボルン・シティFCのシニアアカデミーコーチに就任した[15]。 プレースタイルトップ下(トレクァルティスタ)でのプレーを得意とする左利きのファンタジスタ[16][17]。好不調の波は激しいが、運動量豊富で創造性も確かと評される[18]。キックの精度が高く、流れの中からでも無回転シュートを放つことができる[要出典]。 タイトル
脚注
関連項目外部リンク
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