ASリヴォルノ・カルチョ |
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原語表記 |
Unione Sportiva Livorno 1915[1] |
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愛称 |
Gli Amaranto (The Dark Reds) I Labronici (The Lighbourners) Le Triglie (The Mullets) |
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クラブカラー |
深紅 |
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創設年 |
1915年 |
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所属リーグ |
セリエD・グループE |
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所属ディビジョン |
4部 |
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ホームタウン |
リヴォルノ |
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ホームスタジアム |
アルマンド・ピッキ |
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収容人数 |
14,267人 |
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監督 |
ファビオ・フォサッティ |
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公式サイト |
公式サイト |
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
ウニオーネ・スポルティーバ・リヴォルノ1915(Unione Sportiva Livorno 1915)は、イタリア・トスカーナ州リヴォルノを本拠地とするサッカークラブ。2023-24シーズンは、4部のセリエD・グループEに所属している。セリエAでの最高成績は1919-20シーズンと1942-43シーズンの2位。
歴史
1999年に就任したアルド・スピネッリ会長は、パレルモのマウリツィオ・ザンパリーニ会長、カリアリのマッシモ・チェッリーノ会長らと共に、監督をすぐ交代することで有名で、選手との衝突も招いている。2016年1月25日のカルチョ・コモ戦において、判定に激怒して会長の職を辞することを表明した。
2004-05シーズンは1948-49シーズン以来56年ぶりとなるセリエA昇格。昇格1年目でクリスティアーノ・ルカレッリが得点王に輝く活躍を見せて8位と躍進すると、翌2005-06シーズンも6位(シーズン後のカルチョ・スキャンダルによりユヴェントスFCなどに勝ち点剥奪・減点の処分があり、9位から繰り上げ)に入り、UEFAカップ出場権を獲得。ところが、ルカレッリがチームを去った2007-08シーズンは最下位と低迷し、セリエBへ降格した。
2008-09シーズンはセリエBで3位となり、昇格プレーオフを勝ち抜き、1年でのセリエA復帰を果たした。しかし2009-10シーズンはセリエAで最下位に沈み、わずか1年でセリエBへ降格となった。2012-13シーズンはセリエBで3位からの昇格プレーオフ勝ち抜けで、3年でのセリエA復帰を果たした。しかし、2013-14シーズンはセリエAで最下位に沈み、わずか1年でセリエBへ降格となった。
タイトル
国内タイトル
国際タイトル
なし
過去の成績
- 1993-94 セリエC2・ジローネB 3位
- 1994-95 セリエC2・ジローネB 4位
- 1995-96 セリエC2・ジローネB 2位
- 1996-97 セリエC2・ジローネB 2位 プレーオフによりセリエC1昇格
- 1997-98 セリエC1・ジローネA 3位
- 1998-99 セリエC1・ジローネA 12位
- 1999-2000 セリエC1・ジローネA 7位
- 2000-01 セリエC1・ジローネA 3位
- 2001-02 セリエC1・ジローネA 優勝 セリエB昇格
- 2002-03 セリエB 9位
- 2003-04 セリエB 3位 セリエA昇格
- 2004-05 セリエA 8位
- 2005-06 セリエA 6位
- 2006-07 セリエA 11位
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- 2007-08 セリエA 20位 セリエB降格
- 2008-09 セリエB 3位 プレーオフ勝利によりセリエA昇格
- 2009-10 セリエA 20位 セリエB降格
- 2010-11 セリエB 7位
- 2011-12 セリエB 17位
- 2012-13 セリエB 3位 プレーオフ勝利によりセリエA昇格
- 2013-14 セリエA 20位 セリエB降格
- 2014-15 セリエB 9位
- 2015-16 セリエB 20位 レガ・プロ降格
- 2016-17 レガ・プロ 3位
- 2017-18 セリエC・ジローネA 1位 セリエB昇格
- 2018-19 セリエB 14位
- 2019-20 セリエB 20位 セリエC降格
- 2020-21 セリエC 20位 セリエD降格 →経営破綻のためエッチェッレンツァ降格
- 2021-22 エッチェッレンツァ
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現所属メンバー
- 2019年9月5日現在[2]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
- 永久欠番
括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
歴代監督
歴代所属選手
GK
DF
MF
FW
脚注
外部リンク