アンドリュー・キース・ポール・モートン(英語: Andrew Keith Paul Morton, 1959年 - )はオーストラリアのソフトウェアエンジニア。イギリス生まれであり、Linuxカーネル開発を率いるリード開発者のひとりとしてもっともよく知られている。彼は現在、ext3ファイルシステムとJournaling layer for block devices(JBD(英語版); ext3を含め、Linuxカーネルがサポートするジャーナリングファイルシステムにおけるジャーナル管理用の共通API[1])の共同メンテナである。
経歴
1980年代末頃、シドニーにあるApplix 1616(英語版)というコンピュータを製造する会社で、(今は亡き)オーストラリアのゲーム製造会社Keno Computer Systemsへの機器納品のためハードウェアエンジニアとして勤務していた。彼はまた、オーストラリアのニューサウスウェールズ大学で電気工学の学位(学士)を取得している。
彼はmmツリーとして知られるパッチセットのメンテナンスに関わっている。このパッチセットには、リーナス・トーバルズによりメンテナンスされている公式のLinuxカーネルツリーにのちに取り込まれる可能性が高いが、「作業途上」("work-in-progress")のパッチが含まれている。カーネル開発における初期フェーズ用テスト基盤にあたるmmツリーは最早アンドリューの手に負えないほど巨大かつせわしいとものなってしまったため、2008年に"linux-next"というソースツリーがその役割を完全に担うものとして作成された。
2001年、モートンとその家族はオーストラリアニューサウスウェールズ州ウロンゴンからパロアルトへ引っ越した。
2003年7月、彼は彼の以前の勤務先Digeo Inc.との合意の下、Open Source Development Labs(OSDL)に加入した(Digeo Inc.はMoxi(英語版) home entertainment media centerを製造した会社である)。OSDLは彼がDigeoにおける先任エンジニアとしての待遇そのままでLinuxカーネル開発に従事できるよう支援した[2]。
2006年8月、モートンはGoogleから給料を受け取るようになったものの、現在のLinuxカーネルのメンテナンスの仕事も続けることになった[3][4]。
2004年のOttawa Linuxシンポジウムでモートンは基調演説を行った。またMontaVista(英語版) Software's Vision 2007 Conferenceにおいても特別講演を行っている[5]。
2003年から始まったSCO対IBMのUNIX著作権を巡る法廷闘争(SCO対IBM事件(英語版))では証言台に立っている[6]。
彼の電子メールアドレスやウェブページ(現在は消滅)のURLから彼のユーザー名がakpmであるのはまたよく知られている。ある人物が"KP"が何を意味するのか尋ねてみたところ、彼はこう答えた。「ある人はカーネルプログラマー(Kernel Programmer)と言うだろうね。 私の両親からはキース・ポール(Keith Paul)と呼ばれるのだけれども[7]。」
脚注
外部リンク