Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

 

ウラジーミル・グラナト

ウラジーミル・グラナト
FCルビン・カザン時代(2018年)
名前
本名 ウラジーミル・ヴァシーリェヴィチ・グラナート
Vladimir Vasilyevich Granat
ラテン文字 Vladimir GRANAT
ロシア語 Владимир Васильевич Гранат
基本情報
国籍 ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1987-05-22) 1987年5月22日(37歳)
出身地 ソビエト連邦の旗 ウラン・ウデ
身長 184cm
体重 80kg
選手情報
ポジション DF, MF (CB, DMF)
利き足 左足
ユース
1994-2003 ロシアの旗 ロコモティフ・ウラン・ウデ
2003-2004 ロシアの旗 ズヴェズダ・イルクーツク英語版
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004 ロシアの旗 ズヴェズダ・イルクーツク 5 (0)
2005-2015 ロシアの旗 ディナモ・モスクワ 190 (4)
2006 ロシアの旗 シビル・ノヴォシビルスク (loan) 7 (0)
2015 ロシアの旗 ロストフ (loan) 0 (0)
2015-2016 ロシアの旗 スパルタク・モスクワ 14 (0)
2015-2016 ロシアの旗 スパルタク-2・モスクワ 9 (1)
2016-2017 ロシアの旗 ロストフ 12 (0)
2017-2020 ロシアの旗 ルビン・カザン 41 (0)
2021 ロシアの旗 オリンプ-ドルゴプルドニ 7 (0)
2022 ロシアの旗 オリンプ-ドルゴプルドニ 1 (0)
代表歴
2007-2008 ロシアの旗 ロシアU-21 7 (0)
2011-2012 ロシアの旗 ロシア-2 4 (0)
2013-2018 ロシアの旗 ロシア 13 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ウラジーミル・ヴァシーリエヴィチ・グラナートロシア語: Владимир Васильевич Гранат, ラテン文字表記:Vladimir Vasilyevich Granat, 1987年5月22日 - )は、ソビエト連邦(現ロシアブリヤート共和国ウラン・ウデ出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはDF。スピードがあり、献身的なプレーをする[1][2]

来歴

クラブ

1987年、当時のブリヤート自治ソビエト社会主義共和国の首都ウラン・ウデにて生まれる。1994年にフットボールスクールのFCロコモティフ・ウラン・ウデに入団してサッカーを始め、その後はFCズヴェズダ・イルクーツクのアカデミーに在籍をした。2004年7月15日、ロシア・セカンドディビジョン(実質3部)の第15節のFCシャフチョール・プロコピエフスク英語版戦でプロデビューを果たした[3]。2005年、FCディナモ・モスクワへ移籍をし、2006年6月から11月までFCシビル・ノヴォシビルスクへレンタル移籍をした。2007年3月4日、ロシア・カップFCトム・トムスク戦にてディナモ・モスクワでのデビューを飾った[4]。2010年7月17日、ロシア・プレミアリーグ第13節のFCロストフ戦 (3-2)では後半54分にヘディングによる勝ち越しゴールを挙げた[5][6]。ディナモ・モスクワでの初の得点であったが、これは同時にキャリア初となる得点でもあった。

2008年は怪我もあり出場は11試合に留まったが[1]、以後はレギュラーとして出場している。

2015年2月15日、FCロストフ期限付き移籍することが決定した[7]。スパルタク・モスクワ退団後の2016年8月31日には、ロストフと3年契約を結んだ[8]

2017年6月10日、FCルビン・カザンに移籍した[9]。2019年9月に半月板を損傷し戦線を離脱すると、同年12月にレオニード・スルツキーが新監督に就任。3月に戦列に復帰するが出場機会を全く得られず、2019-20シーズン終了を以て契約満了となった[10]

代表

2007年8月22日、カザフスタンとの試合でU-21デビューをし、U-21では7試合に出場した[11]。2011年8月下旬、9月5日に行われるU-23ベラルーシ代表との親善試合に招集され、ロシアB代表デビューをした[12]

2012年5月11日、EURO2012に向けた代表候補の26人にサプライズ選出され、そのままエントリーメンバー23人にも選出された。

2013年9月6日、2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ルクセンブルク戦でA代表デビュー。ワールドカップ本大会メンバーにも選出された[13]

2014年9月3日のアゼルバイジャンとの親善試合で代表初得点を挙げた。

人物

個人成績

クラブ ディヴィジョン シーズン リーグ カップ 欧州カップ戦 Total
試合 得点 試合 得点 試合 得点 試合 得点
ズヴェズダ・イルクーツク 2部 2004 5 0 0 0 5 0
Total 5 0 0 0 0 0 5 0
ディナモ・モスクワ プレミア 2005 0 0 0 0 0 0
2006 0 0 0 0 0 0
Total 0 0 0 0 0 0 0 0
シビル (loan) 1部 2006 7 0 1 0 8 0
Total 7 0 1 0 0 0 8 0
ディナモ・モスクワ プレミア 2007 27 0 5 0 32 0
2008 11 0 0 0 11 0
2009 28 0 2 0 4 0 34 0
2010 22 1 2 0 24 1
2011-12 39 0 6 0 45 0
2012-13 25 1 3 0 2 0 30 1
2013-14 29 2 0 0 29 2
2014-15 9 0 1 0 4 0 14 0
Total 190 4 19 0 10 0 219 4
ロストフ (loan) プレミア 2014-15 0 0 0 0 0 0 0 0
Total 0 0 0 0 0 0 0 0
スパルタク・モスクワ プレミア 2015-16 14 0 1 0 0 0 15 0
Total 14 0 1 0 0 0 15 0
通算 214 4 21 0 10 0 245 4

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 13試合 1得点(2013年-2018年)[15]


ロシア代表国際Aマッチ
出場得点
2013 4 0
2014 5 1
2015 0 0
2016 0 0
2017 0 0
2018 4 0
通算 13 1

脚注

  1. ^ a b №13 Владимир Гранатgazeta.ru、2012年1月8日閲覧。
  2. ^ a b c ОБЗОР ПРЕССЫ, НОВОСТИ Владимир Гранатrusteam.permian.ru、2012年1月8日閲覧。
  3. ^ Звезда Ир - Шахтер Пр (протокол матча) 5:0sportbox.ru、2012年1月8日閲覧。
  4. ^ Динамо М - Томь (протокол матча) 2:0sportbox.ru、2012年1月8日閲覧。
  5. ^ Динамо - Ростов (протокол матча) 3:2sportbox.ru、2012年1月8日閲覧。
  6. ^ [1]championat.com、2012年1月8日閲覧。
  7. ^ «Ростов» арендовал Граната FCロストフ公式ウェブサイト 2015年2月15日付
  8. ^ Гранат подписал трёхлетний контракт с "Ростовом"”. championat.com (2016年8月31日). 2016年9月8日閲覧。
  9. ^ ru:Владимир Гранат: «Ростов» останется в моем сердце” (ロシア語). FC Rostov (10 June 2017). 2018年2月19日閲覧。[出典無効]
  10. ^ Гранат покинул «Рубин». Последний раз он сыграл за команду в марте 2019-го”. БИЗНЕС Online (2020年7月23日). 2021年1月2日閲覧。
  11. ^ Player Profile Vladimir Granatuefa.com、2012年1月8日閲覧。
  12. ^ Россия-2 - Белоруссия (U-23) (протокол матча) 0:0sportbox.ru、2012年1月8日閲覧。
  13. ^ Состав национальной сборной России на ЧМ-2014” (Russian). ロシアサッカー連合 (2 June 2014). 2014年6月18日閲覧。
  14. ^ Jewz in the Newz”. americanisraelite.com (2018年7月11日). 2021年1月2日閲覧。
  15. ^ ウラジーミル・グラナト - National-Football-Teams.com

参考文献

外部リンク

Prefix: a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9

Portal di Ensiklopedia Dunia

Kembali kehalaman sebelumnya