エステバン・カンビアッソ
エステバン・マティアス・カンビアッソ・デレアウ(Esteban Matias Cambiasso Deleau, 1980年8月18日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身の元サッカー選手。元アルゼンチン代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。愛称は「クチュ」[1]。本職であるボランチやセントラルハーフの他にセンターバックでもプレーできる。 来歴クラブ地元のクラブチームであるAAアルヘンティノス・ジュニアーズで競技生活を開始。1996年、15歳でレアル・マドリードに移籍し、レアル・マドリードBでプレー。経験を積むためにアルゼンチンのCAインデペンディエンテとCAリーベル・プレートにレンタル移籍をした後、2002年にレアル・マドリードへ復帰。銀河系軍団と呼ばれたチームにおいてクロード・マケレレと共にピボーテとしてチームを支えた。 2004年夏にインテルナツィオナーレ・ミラノへ移籍。1年目からレギュラーを獲得すると、ハビエル・サネッティやフアン・セバスティアン・ベロンら同国人と共に2004–05シーズンのコッパ・イタリア制覇に貢献。2008-09シーズン開幕直後はDFの大量離脱に伴い、一時的にセンターバックの位置でプレーした。ジョゼ・モウリーニョ監督の下で三冠を獲得した2009-10シーズンは、チャンピオンズリーグ決勝トーナメント一回戦1stレグでチェルシーFC相手に決勝ゴールを決めた。 インテル入団後は怪我で長期離脱した2006-07シーズンを除いて毎シーズン30試合以上に出場しており、チームの重鎮の一人だった[2]。 2014年5月18日、インテルのピエロ・アウジリオスポーツディレクターがカンビアッソの退団を発表[3]、8月28日にレスター・シティFCに加入した[4]。レスター・シティのプレミアリーグ残留に貢献するも、1年契約満了に伴い退団。 2017年9月、オリンピアコスFCを退団し、現役引退することを発表した。すでにイタリアで欧州サッカー連盟(UEFA)の指導者ライセンスを取得している[6]。2020年インテル殿堂入りを果たした。 代表1997年、16歳でU-20アルゼンチン代表の一員としてワールドユース選手権に出場。フアン・ロマン・リケルメ、ワルテル・サムエルと共に優勝を経験した。また、1999年の同大会ではキャプテンを務めた。 2000年にフル代表デビュー。2004年、ユース時代から自身を知るホセ・ペケルマン監督が就任すると代表に定着。2006 FIFAワールドカップのグループリーグ第2戦のセルビア・モンテネグロ戦ではパス交換からゴールを決め、勝利に貢献した。2008年にディエゴ・マラドーナが監督に就任してからは代表から遠ざかり、2010 FIFAワールドカップのメンバーには選ばれなかった[7]。2010年8月、セルヒオ・バティスタ暫定監督によりスペインとの親善試合に招集された[8]。 人物祖先がジェノヴァ出身のイタリア系アルゼンチン人である[1]。愛称の「クチュ」はアルゼンチンの芸能人に由来し[1]、リオプラテンセ・スペイン語で「おやじさん」という意味である。 2011年の時点で獲得したタイトル数は23にのぼり、アルフレッド・ディ・ステファノを1つ上回ってアルゼンチン人サッカー選手としては史上最多である[9]。 現在は独身であるが、別れた妻との間に一人娘がいる。 個人成績
代表歴出場大会試合数
得点
タイトルクラブ
代表
脚注
外部リンク
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