エスメラルダ (コルベット)
エスメラルダは、19世紀後半にチリ海軍が保有したコルベットの一隻。同名のチリ軍艦としては2代目となる。スペインとの戦争及び南米の太平洋戦争で使用され、イキケの海戦で沈没した。 建造1852年6月30日に、チリ政府は、蒸気機関搭載のコルベットを建造する方針を決定した。しかし、議会の承諾がすぐに得られなかったので、着工は遅れて1854年となった。イギリスのケント州ノースフリートにあったヘンリー・ピッチャー(Henry Pitcher)造船所に発注され、1854年12月に起工された。1855年6月に進水し、かつてスペインから鹵獲したフリゲートの艦名にちなんで「エスメラルダ」と命名された。艤装完了後にファルマスから出航し、1856年11月7日にバルパライソに到着した。建造費用は21万7千ドルを要した[1]。 船体は木造で、船底は銅板で保護されていた。推進装置はスクリュー式で、帆走時には水中抵抗物となるスクリューを引き上げることも可能だった。コルベットであったが、同時期のフリゲート並みに高級な設備を有していたといえる。武装は舷側砲列式で32ポンド前装滑腔砲20門を装備していた。 運用1865年、チリはスペインと開戦する。同年11月26日、コキンボ沖で「エスメラルダ」(Juan Williams Rebolledo艦長)はイギリスの旗と救難信号を掲げてスペイン砲艦「コバドンガ」に接近[2]。停船した「コバドンガ」に対し「エスメラルダ」はチリの旗を揚げて攻撃を開始し、「コバドンガ」を降伏させた[2]。 その後「コバドンガ」はチリ海軍に編入された。 1867年から翌年にかけて改装工事を受けた。これにより武装を、アームストロング社製40ポンド前装ライフル砲12門、及びホイットワース社製40ポンド前装滑腔砲4門へと変更している。ボイラーも換装した。1875年には悪天候で座礁事故を起こし、チリ産のオーク材で修復されている。 その後、士官候補生の練習航海に使用されたりした。 太平洋戦争1879年、ペルー・ボリビア同盟との間で太平洋戦争が勃発する。 1879年4月3日、Williams Rebolledo率いるチリ艦隊(「アルミランテ・コクレーン」、「ブランコ・エンカラダ」、「エスメラルダ」ほか)はアントファガスタから北へ向かう[3]。4月5日にイキケ沖に着くと、Williamsは4月15日からの封鎖実施を宣言した[4]。 5月16日(15日[5]とも)、Williamsは「エスメラルダ」と「コバドンガ」をイキケ封鎖に残し、カヤオ攻撃に向かった[6]。同じ16日、ペルー装甲艦「ワスカル」、「インデペンデンシア」は輸送船を護衛してカヤオを離れた[7]。5月20日にアリカに到着後、チリ艦隊主力がイキケに不在であることを知ったペルー側は装甲艦2隻をイキケへ向かわせた[7]。こうしてイキケの海戦が生起することとなる。 5月21日朝、「ワスカル」と「インデペンデンシア」はイキケに出現[8]。「エスメラルダ」艦長のアルトゥーロ・プラット (Arturo Prat) は吃水の深い敵艦が近づけず、また砲撃しにくくなることを狙って、「エスメラルダ」と「コバドンガ」を岸近くの町を背にした場所へと移動させた[9]。戦闘開始時、「エスメラルダ」ではボイラーに不調をきたし、速力が低下した[10]。ペルー側は「ワスカル」が「エスメラルダ」を、「インデペンデンシア」が「コバドンガ」を攻撃したが、その砲撃は正確さを欠いた[11]。一方「エスメラルダ」は「ワスカル」に命中弾を与えるも、その装甲を貫けなかった[12]。ペルーの砲台が砲撃を始めると「エスメラルダ」はその射程外へ逃れようと動き出したが、ボイラーの一つが破裂し、さらに機関室に被弾してそこにいた者全員が死亡[13]。動けなくなった「エスメラルダ」へ「ワスカル」は体当たりを行ったが、この1回目の体当たりは効果がなかった[13]。この時プラットは「ワスカル」へ乗り込むも彼に続いたのは一人のみで、二人とも死亡することとなる[14]。続いて「ワスカル」の2度目の体当たりをおこなうが効果不十分であった[15]。この時にはより多くのものが「ワスカル」に乗り込むも撃退された[16]。「エスメラルダ」は「ワスカル」の3度目の体当たりを受けた後、沈没した[17]。63名が救助されて捕虜となり、135名ないし149名が死亡した[18]。 その後「エスメラルダ」はイキケの海戦において勇敢に戦って沈没したと、チリでは評価されている。戦死した艦長のプラット中佐は、今でもチリ海軍にとって最大の英雄である[19]。イキケ沖42mの海底に沈んだ残骸は、1973年にチリの国指定歴史記念物に指定された。1979年にはチリ海軍のダイバーによる潜水調査で、その遺物が確認されている。毎年5月21日には、沈没地点で式典が行われている。 また、初代の「エスメラルダ」鹵獲の戦勝と合わせて、その艦名はチリ海軍にとって特別なものとなった[20]。そのため、21世紀初頭までに4隻の同名艦が建造されている。うち3代目は防護巡洋艦で、日本に売却されて「和泉」となった。最も新しい6代目は帆走練習艦の「エスメラルダ」で、2009年時点でもチリ海軍で運用されている。 脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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