キネマの天地
『キネマの天地』(キネマのてんち)は、1986年8月に公開された松竹製作の日本映画。山田洋次監督作品。 映画の続編として同年12月に初演、刊行された井上ひさしの戯曲も同名であるが、ストーリーは異なる推理劇である。 概要松竹大船撮影所50周年記念作品。この映画製作の契機としては、松竹映画の象徴である『蒲田行進曲』(1982年。つかこうへい原作・脚本)というタイトルの映画を、ライバル会社である東映出身の深作欣二が東映京都撮影所で撮った(配給は松竹)ことを野村芳太郎プロデューサーが無念に思い、松竹内部の人間で「過去の松竹映画撮影所」を映画化したいという思いがあったという[2]。 また、1971年8月の第9作『男はつらいよ 柴又慕情』以降、「盆暮れ」で年2回製作されていた『男はつらいよ』も、こういった経緯により、1986年の夏は製作が見送られた[3]。これにより、14年間続いた同シリーズの盆・正月興行は中断し、翌1987年と1989年には蘇ったものの、それが最後となる。渥美にとっては、『男はつらいよ』以外の最後の主演映画である。渥美がシリーズ開始後に主演した映画は、他に『喜劇 男は愛嬌』(1970)と『あゝ声なき友』(1972)のみである。 舞台は松竹が撮影所を大船に移転する直前の1934年頃の松竹蒲田撮影所。城戸四郎所長以下、若き日の斎藤寅次郎、島津保次郎、小津安二郎、清水宏ら気鋭の監督たちが腕を競い、田中絹代がスターへの階段を上りかけた黄金期である。この時代の映画人たちをモデルにして書かれた脚本には井上ひさし、山田太一も参加した。また、浅草の映画館の売り子からスター女優になる主役の「田中小春」役を藤谷美和子が降板したため、役モデルと同様に新人の有森也実が抜擢されて話題になった。[4] ストーリー浅草の帝国館で売り子をしている田中小春は、旅回りの役者だった父喜八と二人で長屋で暮らしていた。ある日、松竹の小倉監督の目にとまり、蒲田撮影所を訪れたところ、いきなり端役に駆り出された。しかし、その演技がうまくいかず落胆して父の下へ帰る。そんな小春を助監督の島田が迎えに来たことから、気を取り直して撮影所に就職することになり、大部屋女優として出発する。その一方、小春は、熱心に映画を語る島田に徐々に惹かれていく。翌年、小春は大作「浮草」の主役に抜擢される。壁にぶつかり帰ってきた小春に喜八は一座の看板女優だった母との恋愛話を語って励ます。そのことが切っ掛けで撮影は成功し、映画は完成する。一方、喜八は、ゆき・満男とともに帝国館に「浮草」を観に行き、娘の姿をスクリーンで見ながら静かに息を引き取る。島田と小倉監督は、「蒲田まつり」で蒲田行進曲を歌う小春を見ながら喜八の訃報を受け、小倉は、「娘の晴れ姿を見ながら死んだか、旅役者のおとっつぁんは」とつぶやく。 スタッフ
キャスト
特別出演 受賞歴
関連書籍
戯曲
井上ひさしにより映画版の続編として執筆され、井上の演出により1986年12月5日に東京・日生劇場にて初演、12月25日に文藝春秋より刊行された。映画版から設定のみを引き継ぎ、舞台上で起きた殺人事件を巡る新たな推理劇となっている。 2011年9月にはこまつ座第95回公演として25年ぶりに再演された[5]。 あらすじ
昭和10年、女優・松井チエ子の謎めいた死から1年。築地東京劇場に集められた4人のスター女優(立花かず子、徳川駒子、滝沢菊江、田中小春)たち。4人のうちに犯人がいるのか? 映画『諏訪峠』の為に集められたと思っていたら、舞台『豚草物語』(何となく『若草物語』に似ている)の再演話だった。舞台女優につきものの膀胱炎などの病気自慢が始まる。 チエ子は『豚草物語』の稽古中に頓死していた。死後見つかった日記には「わたしはK.T.に殺される」と書かれてあった。万年下積みの老俳優を刑事役に仕立て、真犯人追及劇『豚草物語』の幕が上がる。 登場人物演者はそれぞれ、1986年版 / 2011年版 / 2021年版
上演日程
書誌情報
脚注外部リンク |