グイド・ヴァンロッサム
グイド・ヴァンロッサム(Guido van Rossum、1956年1月31日 - )はオランダ出身のアメリカ在住のプログラマーである[1]。プログラミング言語Pythonの生みの親として知られる。 経歴デン・ハーグで生まれ育ち、アムステルダム大学で1982年に数学と計算機科学の修士号を取得した。その後、アムステルダムのオランダ国立情報工学・数学研究所 (CWI)、アメリカ国立標準技術研究所 (NIST)、Corporation for National Research Initiatives (CNRI) などの研究機関で働いた。 1989年12月に趣味の延長としてプログラミング言語 Python の開発を始めた[2]。以来、Pythonは平易かつ高機能なスクリプト言語として世界的に普及し、ヴァンロッサムは Pythonの開発に関する最終的な意思決定者、いわゆる「優しい終身の独裁者(BDFL)」として開発コミュニティを先導した[2]。 2005年12月、Pythonを多用していたGoogleに入社し[2][3]、勤務時間の半分をPythonの開発に充て[2]、Pythonを用いてウェブベースのコードレビューツールを作成した[4]。 ヴァンロッサムは2002年、ベルギーのブリュッセルで開催されたFOSDEMにて、フリーソフトウェア財団から2001年度のFSFフリーソフトウェア賞を授与された。また2003年5月にはNLUUG(オランダのUnix/Linuxユーザーグループ)からNLUUG賞を授与された。2006年には Association for Computing Machinery(ACM)から Distinguished Engineer の称号を与えられた。 2012年にGoogleを退社し、やはり機能の大半をPythonで実現していたDropboxへ入社した[5]。同社でヴァンロッサムは、コードの可読性と保守性に配慮した持続可能な開発文化を啓蒙し[5][2]、テストプロセスの改善にも取り組んだ[5][2]。 2018年7月12日、Pythonの仕様策定から離れる意向を示し、優しい終身の独裁者(BDFL)からの引退を表明した[6]。メジャーな言語となったゆえに重大さを増した、新たな機能や文法の策定がストレスになっていたようである[2]。 2019年11月、Dropboxを退社し、職業プログラマとしても引退すると表明した[2]。 2020年11月12日、ヴァンロッサムは引退を終了し、マイクロソフトのDeveloper Division(開発者部門)への入社を発表した[7]。2023年C&C賞受賞。 私生活兄弟のJust van Rossumはタイプフェースデザイナー兼プログラマである。彼のデザインしたフォントは「Python Powered」のロゴに使われている。グイドは現在、アメリカ人と結婚し、カリフォルニア州に住んでいる。 業績1986年、オランダ国立情報工学・数学研究所 (CWI) で働いているころ、BSD系UNIX向けのglob()ルーチンを作成し提供した[8][9]。また、プログラミング言語ABCの開発にも携わった。 PythonPythonの起源について、ヴァンロッサム自身は1996年に次のように書いている。
2000年にはさらに次のように書いている。
万人のためのコンピュータプログラミング1999年、ヴァンロッサムはComputer Programming for Everybody(万人のためのコンピュータプログラミング)と題した出資申込書をDARPAに送った。その中でPythonの目標を次のように定義している。
脚注
外部リンク
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