グラーツ(独: Graz 発音ⓘ)は、オーストリアの人口第2の都市で、シュタイアーマルク州の州都。人口は約29万人。郡に属さない憲章都市(Statutarstadt)であるが、グラーツ=ウムゲーブング郡の郡庁が置かれている。
1999年に街の中心部がグラーツ市歴史地区として世界遺産に登録された(2010年に拡大登録)。2003年の欧州文化首都。
地勢・産業
グラーツ盆地のムール川沿いに位置する大学都市。多くの学生、研究者が居住する。市街はグラーツ盆地の北部に広がっている。東、北、西を400m級のグラーツ山地の山々に囲まれ、南方はグラーツ平野に通じている。中心市街地(旧市街)は市中央部のムール川東岸に位置し、旧市街の周囲には路面電車のターミナルとなっているヤコミニ広場、シュロスベルク(城山)、川向いにはクンストハウスがある。自動車産業が盛んで郊外には大規模な自動車部品工場が軒を連ねている。約60キロ南にスロヴェニアのマリボル、150キロ北東にウィーンが位置している。
気候
グラーツはオーストリア南東部とスロベニアに特徴的なイリュリア気候に属し、ウィーンなどのパノニア気候と比べて地中海沿岸地域からの水蒸気による降水量が多く、また、アルプス山脈の南東側に位置するため偏西風が遮られ晴れやすい。平均気温はグラーツ空港で8.7℃、グラーツ大学で9.4℃。年間平均降水量は818.9㎜で、平均降水日数は92.1日(グラーツ大学)である。年間日照時間は2100時間以上、7月平均気温は20年平均で22℃と比較的温暖であるため、南ヨーロッパに分布する植物も多い。しかし冬には盆地に位置するため冷え込みやすい。
歴史
古代ローマ帝国の時代に設けられた砦がグラーツの起源であり、町の語源はスラブ語で「砦」を意味する「グラデツ」からきている[1]。13世紀に都市特権を得た。中世後期よりハプスブルク家の支配下におかれ、フェルディナント2世など何人かの歴代皇帝がこの地で生まれた。1586年、グラーツ大学が創設され、同大学でヨハネス・ケプラーなど様々な学者が教壇に立った。19世紀以降、交通網の発展や工業化にともなって急速に発展し、現在のオーストリア領内において第2の規模を誇る都市へと成長した。第二次世界大戦では街の一部が破壊された。
文化・教育
市内にはいくつもの美術館・博物館が点在する。なかでも郊外に位置するエッゲンベルク城は州立博物館アルテ・ギャラリーとして公開され、ビザンティン美術から19世紀絵画までを取り揃えている。2007年には江戸時代に描かれた日本の屏風絵も発見され、特に豊臣時代の「大坂図屏風」は、これまで豊臣時代の大坂を描写した絵画資料が少なかったため、貴重なものである。エッゲンベルク城は2010年に世界遺産(後述)に拡大登録された。
その他現代美術を展示する州立博物館ノイエ・ギャラリーやクンストハウス、武器庫博物館が有名である。州立博物館と州立専門大学はヨハン大公にちなみヨアネウムと名づけられている。
ヨーロッパ有数の大学都市でもあり、グラーツ大学をはじめ工科大学、医科大学、芸術大学、教育大学等あわせて4万人以上の大学生が学んでいる。これらの大学は密接に交流を行っており、語学プログラムやスポーツプログラムは完全に一体化している。
主な文化施設
- ヨアネウム - オーストリアの博物館としてはウィーンの美術史博物館に次ぐ規模であり、また最古の博物館でもある。
- エッゲンベルク城 - もと貴族の館だったが、現在は州立博物館ヨアネウムの絵画館として公開。
- クンストハウス - 2003年に欧州文化首都になったことを記念して建設された芸術文化施設。特異な外観はグラーツの落ち着いた街並みの中にあってひと際目立つ。
- 武器庫(ツォイクハウス)- 近世以降たびたびオスマン帝国の侵略を受けたグラーツには、当時の守備隊の鎧、武具が大量に武器庫に収められ、公開されている。
- グラーツ歌劇場 - 1899年に建造。オーストリアのオペラ座としてはウィーン国立歌劇場に次ぎ2番目の規模を誇る。
スポーツ
世界遺産
1999年に歴史地区のみが登録され、2010年にエッゲンベルク城が拡大登録されるとともに、登録名称も変更された。
交通
主な出身者
姉妹都市
ギャラリー
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王宮
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グラーツ歌劇場
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市庁舎
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エッゲンベルク城
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旧市街
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旧市街の路地
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城山から見たクンストハウス
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豊臣期大阪図屏風(エッゲンベルク城所蔵)
脚注
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
グラーツに関連するメディアがあります。