リンツ
リンツ(Linz 発音、Linz an der Donau)は、オーストリアの都市。オーバーエスターライヒ州の州都。人口は約20万人。ウィーン、グラーツに続くオーストリア第3の都市である。2009年の欧州文化首都に選ばれている。世界で最も古いケーキとも言われるリンツァートルテ発祥の地としても有名である。 地勢・産業ドナウ川沿いに位置する商工業都市。近隣の都市としては、約70キロ北西にドイツのパッサウ、150キロ東にウィーンが位置している。 歴史古代ローマ帝国によって設けられた砦がリンツの起源である。8世紀末にLinzeという名称が史料に現れる。13世紀に都市特権を得た。15世紀には神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の居城がおかれた。18世紀後半に司教座がおかれ、学問・芸術の中心地として発展していった。1882年にドイツ系民族主義運動の綱領が発表され、1926年にオーストリア社会民主党党大会が開催された地として知られている(リンツ綱領 (1926年) 参照)。 1938年3月12日、ドイツ国防軍とアドルフ・ヒトラーはリンツ市内に進出。前日に首相に就任したアルトゥル・ザイス=インクヴァルトが市の公会堂で出迎えて会談を行った[1]。翌3月13日、ヒトラーはオーストリアを合併する総統令を発出[2]。事実上、リンツを舞台としてドイツによるオーストリア併合(アンシュルス)が決定した。 第二次世界大戦中のナチス統治時代には、ヒトラーの故郷に近かったことから、巨大な美術館を建設する計画などがあったとされる。また、ヒトラーは大戦勝利後にリンツの街を都市改造し、「ヒトラポリス」に改名する計画を建てており、巨大なリンツの模型を作らせて総統地下壕でも飽かずに見ていたという。第二次世界大戦後はウィーンとドイツのミュンヘンをつなぐ結節点として、工業が飛躍的に発展を遂げる。 文化郊外に建てられたザンクト・フローリアン修道院が有名である。教会のパイプオルガンの下には、アントン・ブルックナーが埋葬されている。モーツァルトも一時期居住し、市内にモーツァルトハウスとして旧宅が残る。 現代のリンツは現代芸術の振興に特に力を注いでいる。毎年開かれる世界的なメディアアートの祭典アルス・エレクトロニカの活動拠点アルス・エレクトロニカ・センター (Ars Electronica Center) にはミュージアム、ラボ等が設置されている。また、ドナウ河岸には現代美術館レントス (LENTOS) があり、アルス・エレクトロニカ・センターとともにリンツの芸術文化活動の中核的存在となっている。 演劇活動の盛んな街としても知られており、こうした先鋭的、総合的な芸術文化活動が評価されて、2009年にはグラーツに次いでオーストリアで2番目の欧州文化首都に選定された。 街の中心の小高い丘にはリンツ城があり、城内はオーバーエスターライヒ州立博物館の一部として公開されている。 文化施設
スポーツ
交通リンツ出身の人物
姉妹都市
脚注
関連項目
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