サクラトウコウ(欧字名:Sakura Toko、1981年3月11日 - 2006年11月17日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1983年の函館3歳ステークス、1986年の七夕賞。
種牡馬としては1994年の天皇賞・秋を制したネーハイシーザーなどの活躍馬を輩出。全弟に1987年の朝日杯3歳ステークス、1988年の東京優駿などを制したサクラチヨノオー、半弟に1988年の朝日杯3歳ステークスなどを制したサクラホクトオーがいる。
競走馬時代
1983年8月6日、函館競馬場第3Rの3歳新馬戦でデビュー。2着に敗れるも27日の新馬戦にて勝利した。翌9月、函館3歳ステークス(グレード制導入前)を優勝した。続いて京成杯3歳ステークス、スプリングステークスを4着、2着(1着はビゼンニシキ)と好走するも、脚部不安により残りの春シーズンを棒に振り、京都新聞杯に出走するも3番人気を裏切る8着に敗れた。さらに菊花賞、ダービー卿チャレンジトロフィーも着外に終わり、年末のクリスマスステークスでようやく1年振りの勝利を掴んだ。その後はニューイヤーステークス2着を挟み、5ヶ月後の吾妻小富士賞を2着。そしてGⅢ・七夕賞[注釈 1]に出走し見事優勝した。このレースを最後に競走馬を引退する。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[2]に基づく。
競走日 |
競馬場 |
競走名 |
格 |
距離(馬場) |
頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 |
タイム (上り3F) |
着差 |
騎手 |
斤量 [kg] |
1着馬(2着馬) |
馬体重 [kg]
|
1983.08.06
|
函館
|
3歳新馬
|
|
芝1200m(良)
|
6
|
5
|
5
|
002.90(2人)
|
02着
|
R1:12.0
|
-0.2
|
0東信二
|
53
|
ワッカオー
|
|
0000.08.27
|
函館
|
3歳新馬
|
|
芝1000m(良)
|
7
|
2
|
2
|
001.20(1人)
|
01着
|
R0:58.3
|
-1.9
|
0東信二
|
53
|
(アドバンスボーイ)
|
|
0000.09.25
|
函館
|
函館3歳S
|
重賞
|
芝1200m(不)
|
12
|
7
|
9
|
003.10(1人)
|
01着
|
R1:14.7
|
-0.3
|
0東信二
|
53
|
(リキサンパワー)
|
|
0000.11.06
|
東京
|
京成杯3歳S
|
重賞
|
芝1400m(不)
|
12
|
2
|
2
|
003.40(1人)
|
04着
|
R1:26.5
|
-0.9
|
0東信二
|
54
|
ハーディービジョン
|
|
1984.03.25
|
中山
|
スプリングS
|
GII
|
芝1800m(良)
|
13
|
7
|
10
|
011.90(3人)
|
02着
|
R1:50.7
|
-0.1
|
0小島太
|
56
|
ビゼンニシキ
|
|
0000.10.21
|
京都
|
京都新聞杯
|
GII
|
芝2200m(良)
|
18
|
1
|
2
|
009.00(3人)
|
08着
|
R2:15.8
|
-1.2
|
0小島太
|
57
|
ニシノライデン
|
|
0000.11.11
|
京都
|
菊花賞
|
GI
|
芝3000m(稍)
|
18
|
5
|
9
|
023.40(5人)
|
09着
|
R3:10.4
|
-3.6
|
0東信二
|
57
|
シンボリルドルフ
|
|
0000.12.02
|
中山
|
ダービー卿CT
|
GIII
|
芝1600m(良)
|
17
|
4
|
8
|
006.50(2人)
|
07着
|
R1:34.0
|
-0.5
|
0小島太
|
53
|
トウショウペガサス
|
|
0000.12.22
|
中山
|
クリスマスS
|
OP
|
芝1600m(稍)
|
15
|
5
|
9
|
004.10(1人)
|
01着
|
R1:34.2
|
-0.2
|
0小島太
|
54
|
(ウメノフーリン)
|
|
1985.01.07
|
中山
|
ニューイヤーS
|
OP
|
芝1600m(良)
|
14
|
7
|
11
|
002.00(1人)
|
02着
|
R1:34.5
|
-0.2
|
0小島太
|
56
|
ウメノフーリン
|
|
1986.06.21
|
福島
|
吾妻小富士賞
|
OP
|
芝1800m(良)
|
7
|
4
|
4
|
007.40(5人)
|
02着
|
R1:47.4(35.3)
|
-0.2
|
0東信二
|
56
|
ダイヤモンドラーン
|
500
|
0000.06.06
|
福島
|
七夕賞
|
GIII
|
芝2000m(不)
|
13
|
7
|
11
|
008.00(5人)
|
01着
|
R2:03.7(38.2)
|
-0.2
|
0東信二
|
56
|
(ダイヤモンドラーン)
|
496
|
種牡馬時代
引退後は血統が評価されて種牡馬となり、天皇賞(秋)に優勝したネーハイシーザーをはじめ活躍馬を多く輩出した。産駒にはスピードに秀でた馬が多く、ネーハイシーザーやマルタカトウコウは多くのレコードタイムを更新した快速馬として知られる。その後2003年10月2日付で用途変更[3]、種牡馬を引退した。晩年は生まれ故郷の谷岡牧場で過ごし、2006年11月17日に老衰で死亡した。25歳没。谷岡牧場に墓標がある[4]。
主な産駒
- 1990年産
- 1991年産
- 1996年産
- 1998年産
ブルードメアサイアーとしての主な産駒
血統表
脚注
注釈
- ^ 枠連は7-7であった。
- ^ 現在開催されているGⅢの競走と同名であるが、JRAはこのレースを前身とはしていない。
出典
外部リンク