サンティアゴ・ソラーリ
サンティアゴ・エルナン・ソラーリ・ポッジオ(Santiago Hernán Solari Poggio, 1976年10月7日 - )は、アルゼンチン・サンタフェ州ロサリオ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー。現在は、レアル・マドリードのフットボール・ディレクター職にある。 経歴選手時代生まれ故郷のロサリオから、アメリカのリチャード・ストックトン・カレッジに渡り、1996年にCAリーベル・プレートに移籍し、プロデビューを果たす[1]。3シーズン後の1998年にスペイン・リーガ・エスパニョーラのアトレティコ・マドリードに移籍した。1999-2000シーズン終了後にセグンダ・ディビシオン(2部)降格が決定し、ライバルのレアル・マドリードに移籍した。2000-01シーズンはコンディションを整えるのに苦労したが、2001-02シーズンには立ち位置を確立し、UEFAチャンピオンズリーグでの成功に大きな役割を果たした。2002-03シーズンは控えに降格したがしかし、加入してふたつめのリーグタイトル獲得を助けた。2003-04シーズンはレギュラーに復帰したが、リーグ戦4位という失望のシーズンとなり、コパ・デル・レイやUEFAチャンピオンズリーグでも優勝を逃した。2004-05シーズン中にはクラブとの契約を延長した。レアル・マドリード時代にはセンターハーフ、オフェンシブハーフ、ディフェンシブハーフ、左サイドハーフと中盤のあらゆるポジションをこなしただけでなく、左サイドバックや左ウイングとして出場したこともあった。 2005年夏、イタリア・セリエAのインテルナツィオナーレ・ミラノと3年契約を結び、2005-06シーズンにはコッパ・イタリア優勝とセリエAの3連覇に貢献した。2008年6月30日にインテルとの契約が満了し、アルゼンチンのCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロと1年契約を結んだ。サン・ロレンソとの契約が満了した後の2009年7月15日、フリートランスファーでメキシコのアトランテFCに移籍した。2010年8月30日、やはりフリートランスファーでウルグアイのCAペニャロールと1年契約を結び、翌年の2011年に現役引退。 指導者時代2013年から古巣であるレアル・マドリードの下部組織で指導者となり、2014-15シーズンからは下部組織のカテゴリーの1つであるカデテA(U-16)の監督に就任した[2]。2015-16シーズン、フベニールA (U-19) 監督だったルイス・ミゲル・ラミスのレアル・マドリード・カスティージャ昇格に伴い、フベニールAの監督に昇格した[3]。2016-2017シーズンより退任したルイス・ミゲル・ラミスの後任としてレアル・マドリード・カスティージャの監督に昇格。 2018年10月29日、トップチームの監督であったフレン・ロペテギが成績不振により解任、後任が決まっていなかったことから暫定監督に昇格した。リーガ・エスパニョーラを主催するスペインサッカー連盟は次期監督選定の猶予期間を2週間と定めているため、クラブ側はアントニオ・コンテなど複数の候補者の招聘に動いていたとされるが、その間にトップチームを率いたソラーリは初戦のコパ・デルレイ4回戦の対UDメリリャ戦の快勝に始まり、リーグ戦第11節の対レアル・バリャドリード戦、UEFAチャンピオンズリーグの対FCヴィクトリア・プルゼニ戦で3試合連続完封勝利に導き、就任以来、3試合連続完封勝利を達成したのは1957年のルイス・カルニグリア監督以来で61年ぶりの快挙となった。2週間の期限が迫ったリーグ第12節の対セルタ・デ・ビーゴ戦も無失点記録こそ途絶えたが勝利して就任以来、4戦全勝を達成し、首脳陣もこの成績を高く評価して、11月13日、正式に監督に就任した[4]。以降はイスコ、マルセロ、ケイロル・ナバス、ガレス・ベイルらベテランを先発から外したことで、確執が報じられながら、ヴィニシウス・ジュニオール、セルヒオ・レギロンら若手の起用によりチームを立て直し、一時はリーグ2位に浮上し、首位バルセロナに勝ち点6差に詰め寄ったが、2019年2月16日の第24節の対ジローナFC戦の敗戦から宿敵バルセロナに二連敗(リーグ第26節およびコパ・デル・レイ準決勝)を喫し、このショックを抱えたまま臨んだUEFAチャンピオンズリーグベスト16の対アヤックス戦では第一戦で勝利を収めながら、ホームの第二戦で1-4(2試合合計3-5)の逆転負けを喫して今季の無冠が決定的となったことから3月11日、解任が発表された[5]。 2020年12月29日、メキシコのクラブ・アメリカの監督就任が発表された[6]。2022年3月、成績不振を理由に解任。 2022年11月、古巣レアル・マドリードのフットボールディレクターに就任したことが報じられている[7]。 人物現役時代の2002年には有料放送Canal+のスペイン版で最もセクシーな選手に選ばれたことがある[8]。 家族1966 FIFAワールドカップに出場し、引退後は横浜マリノスで監督を務めたホルヘ・ソラーリは叔父である。レアル・マドリードなどに所属したフェルナンド・レドンドはサンティアゴのいとこ(ホルヘの長女)と結婚した。ベルギー、スペイン、キプロスなどでプレーしたエステバン・ソラーリは弟である。妹のリズ・ソラーリはモデルである。 タイトル
個人成績クラブでの出場記録
代表での年別出場試合数
脚注
外部リンク
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