レアル・バリャドリード
レアル・バリャドリード(スペイン語: Real Valladolid Club de Fútbol, S.A.D.、スペイン語発音: [reˈal βaʎaðoˈlið ˈkluβ ðe ˈfuðβol])は、スペイン・カスティーリャ・イ・レオン州の州都バリャドリッドに本拠地を置くサッカークラブチーム。2024-25シーズンはラ・リーガ(1部)に在籍している。 歴史レアル・ウニオン・デポルティーバ・デ・バリャドリード(Real Unión Deportiva de Valladolid)とクルブ・デポルティーボ・エスパニョール(Club Deportivo Español)の合併により、1928年6月20日にレアル・バリャドリード・クルブ・デ・フトボルが誕生した。1946-47シーズンのセグンダ・ディビシオン(2部)を制し、1947-48シーズンにプリメーラ・ディビシオン(1部)に初参戦した。1948-49シーズンのコパ・デル・レイでは決勝に進出したが、エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われたアスレティック・ビルバオ戦に1-4で敗れて準優勝に終わった。その後の10年間はトップリーグに在籍し、1957-58シーズンにはセグンダ・ディビシオン降格となったが、ホセ・ルイス・サソ監督に率いられた1958-59シーズンにはテッラーサFCを歴史的な5-0というスコアで下すなどし、わずか1シーズンでプリメーラ・ディビシオンに再昇格した。サソ監督はかつてゴールキーパーとしてレアル・バリャドリードでプレーした選手であり、最終的にはクラブの会長まで上り詰めた。 1984年には、1980年代前半のみ開催されたコパ・デ・ラ・リーガ決勝でアトレティコ・マドリードを下して優勝した。1992-93シーズン終了後にプリメーラ・ディビシオンに昇格し、2003-04シーズンまで11シーズン連続でトップリーグに在籍した。レアル・マドリード・カスティージャを指導していたラファエル・ベニテスを監督に迎え、1996-97シーズンには同期間中最高位の7位となった。2000年にはJリーグの横浜F・マリノスからレンタル移籍で獲得した城彰二が半年間在籍した。 2006年夏にはバスク人のホセ・ルイス・メンディリバル監督を招聘し、2006-07シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)でクラブ史上最高のひとつに数えられるシーズンを送った。ビクトルとホセバ・ジョレンテのコンビはリーグ最強と謳われ、15節終了後に首位に浮上すると、2位には勝ち点8差を付けて、セグンダ・ディビシオン史上最高の勝ち点88を獲得して優勝した。昇格を逃した4位には実に勝ち点差26も付け、2位との勝ち点差・4位との勝ち点差のいずれもセグンダ・ディビシオンの新記録を更新した。2006年10月10日から2007年5月6日まで29試合も無敗を続け、42節中34節が終了したばかりの2007年4月22日に昇格を決めた。こちらも最速昇格記録となった。同シーズンのコパ・デル・レイでは、大会を通じて控え選手中心で臨んだにもかかわらず快進撃を続け、プリメーラ・ディビシオンのジムナスティック・タラゴナ(2試合合計4-1)とビジャレアルCF(2試合合計3-1)を破って準々決勝にまで進出した。2007-08シーズンは、最終ラインを高く保った攻撃的なディフェンスと、縦に突破してクロスをあげることを徹底したサイド攻撃で、中小クラブながら旋風を巻き起こした。ホセ・ルイス・メンディリバル監督は高く評価され、アウェーでの強さが他のチームに恐れられた。2008年夏にはFWホセバ・ジョレンテがビジャレアルCFに移籍したが、MFペドロ・レオンやMFホナタン・セスマ、GKセルヒオ・アセンホなどが急成長し、目標の残留を果たした。どちらのシーズンも残留を決めたのは最終節であり、2007-08シーズンはレクレアティーボ・ウェルバに1-1で引き分けて、2008-09シーズンはレアル・ベティスに1-1で引き分けて残留を祝った。 2009-10シーズンは開幕から20試合で3勝しか挙げられないスロースタートぶりであり、2010年2月1日、ホームでのUDアルメリア戦に引き分けた後にメンディリバル監督が解任された。オネシモ・サンチェス監督が後を引き継いだが、メンディリバル監督の解任から1週間後、チームはシーズンで初めて降格圏内に足を踏み入れた。なお、メンディリバル監督が指揮を執った138試合は降格圏に落ちたことがなかった。監督交代から10試合でわずか1勝に終わり、サンチェス監督もまた解任された。かつてスペイン代表の指揮官も務めたハビエル・クレメンテ監督が登用され、残りの8試合で絶望的と言われていたプリメーラ・ディビシオン残留を目指した。いったんは残留圏内の16位に浮上したが、チームは再び下位3クラブに逆戻りし、シーズン最終節ではカンプ・ノウでFCバルセロナから勝利することが必須であった。しかし、FCバルセロナも優勝のために勝利を目指しており、結局レアル・バリャドリードは0-4で敗れ、3シーズン踏みとどまったトップリーグから脱落した。 2011-12シーズンはミロスラヴ・ジュキッチ監督のもと、3位で終え、昇格プレーオフを勝ち抜いてプリメーラ・ディビシオンに昇格したが、2013-14シーズンに、セグンダ・ディビシオン降格となった。 2017-18シーズンは5位で終え、昇格プレーオフで、スポルティング・ヒホンとヌマンシアに勝利して4年ぶりのプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした。 2018年9月3日、元ブラジル代表のロナウドがクラブの株式の51パーセントを取得し、会長に就任。2020年4月時点で、クラブの株式の82%を所有している[2]。 タイトル国内タイトル
記録欧州カップ戦出場歴
新記録
過去の成績1929年以降のすべての会長や監督を挙げている。国旗が示されていない人物はすべてスペイン人である。
欧州カップ戦の歴史UEFAカップ
UEFAカップウィナーズカップ
現所属メンバー
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
歴代所属選手→詳細は「Category:レアル・バリャドリードの選手」を参照
GK
DF
MF
FW
歴代監督
脚注
外部リンク
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