ジ・ウィンガー(1973年5月5日 - )は、日本のプロレスラー[1]。本名:岡野 隆史(おかの たかし)。
来歴
1992年8月2日、千葉県船橋市の船橋オートレース場で開催されたW★INGの大会でプロレスラーとしてのデビューを飾った。W★ING認定世界タッグ選手権試合であり、組んだ相手はジ・アイスマン、その対戦相手はヘッドハンターズであった[2]。
やがてW★INGを離脱して1994年にI.W.A.JAPANのマットにデビュー。それからおおよそ2年間をI.W.A.JAPANに活動したのち、1997年から大日本プロレスに参戦し始めた[1]、その間に数年間だけ素顔・本名でリングに上がっていた。
その後、シャドウ・ウィンガーとして、1998年にBJW認定タッグ王座を獲得[3]、99年にはBJW認定ジュニアヘビー級王座を獲得[4]すると、更にその翌年大日本プロレスとの抗争下にあったコンバット・ゾーン・レスリングのタイトルCZW世界ジュニアヘビー級王座を賭けてトレント・アシッドと対戦し、勝利した。[5]。
2002年には横浜でBJW認定ジュニアヘビー級王座を再び獲得[4]。やがて大日本プロレスを退団したうえで2005年からフリーへ。2006年よりアパッチプロレス軍、その後プロレスリングFREEDOMSの所属となった[1]。なお古巣の大日本にもスポット参戦の形で出場し続けていた。
また2006年に設立されたBRAVES(ブレイヴス)というプロレス団体ではゼネラルマネージャーを務めていた[2]。
2012年11月23日、新木場1stRingでレスラー生活20周年記念興行『自由人バンザイ』を開催。
2014年1月13日、横浜にぎわい座で自身プロデュースの興行を開催する[6]。2014年のKFCタッグ王座戦では以前所属していた大日本のグレート小鹿会長と『チーム省エネ』としてタッグを組み、優勝して初代王座を獲得。
2016年11月17日、自身のデビュー25周年記念大会が行われた。
2017年5月25日、ウインガー本人と連絡が取れず、3月末の契約更改に応じなかったため、FREEDOMSを自由契約となる。
人物
学習院中・高等科出身[7]。最後に3カウントさえ取れれば、相手を痛めつける必要性はないという頭脳的省エネ殺法は、俗に学習院スタイルと言われる[8]。
得意技
- オキャノンボム
- ブルーサンダーと同型。
タイトル歴
入場曲
エピソード
- マスクは特定のデザインがなく、試合ごとにデザインを変えたものを使用していた。ただ試合中にマスクを脱ぐことが稀にあり、その際には過去素顔でリングに上がっていた頃の名前でファンにコールされていた。
- 2013年に大日本プロレスで結成されたユニット『奥羽越列藩同盟』に加わっていたが、スポット参戦のため「4人目」の扱いになっていた。
- 女子プロレスラーに対しては危ないファイトスタイルで戦い、自身がプロデュースする興行では2012年に米山香織、2014年に豊田真奈美と対戦している。
- 須山浩継曰く「会場には絶対遅刻をする」と言う。
脚注
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初代-10代 | |
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11代-20代 | |
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21代-30代 | |
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31代-40代 | |
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41代-50代 | |
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51代-60代 | |
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61代-70代 | |
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初代-10代 | |
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11代-20代 | |
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BJW認定ジュニアヘビー級王者(第1期) | |
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初代-10代 | |
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11代-20代 | |
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21代-30代 | |
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31代-40代 | |
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(旧)FMW管理 初代-10代 | |
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11代-16代 | |
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初代-10代 | |
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11代-20代 | |
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21代-30代 | |
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31代-37代 | |
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初代-10代 | |
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21代-30代 | |
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