日高郁人
日高 郁人(ひだか いくと、1972年8月5日 - )は、日本の男性プロレスラー。実業家。島根県益田市出身。血液型B型。 人物プロレスラーとしては小柄でジュニアの体躯ではあるが、卓越した試合センスを持つ。格闘系のバトラーツ出身ながらも純粋なプロレスを貫き通し、その評判も高く「名勝負製造機」と言われている。入場時には必ずマスクをかぶって登場するため、マスクがトレードマークにもなっている。着用しているマスクはオリジナルでありグッズ化もしている[1]。 選手活動と並行して男女外国人問わず若手選手育成にも携わっており、所属団体の若手選手だけではなく、アニマル浜口レスリング道場の後輩である高橋奈苗と夏樹☆たいようを始めとする女子プロレスラーのコーチ役[2]を、2012年には初めていちからプロレスを指導した夕陽を、ZERO1からデビュー[3][4]させた。 2012年からは経営者としての顔も併せ持ち、興行プロデュース[5]やパーソナルジム経営[6]なども行っている。 来歴一度は大阪で就職するも、プロレスラーへの夢を諦めきれず上京しアルバイトをしながら同郷の大先輩でもあるアニマル浜口(浜田市出身)の道場で体を鍛え、1996年4月1日に格闘探偵団バトラーツに入門、1997年1月21日に船木勝一(元WWE所属のFUNAKI)を相手にデビューする。その後、ECWでの海外修行を経て2001年12月3日にバトラーツを退団、みちのくプロレス(ディック東郷や石井智宏らとFEC{ファーイーストコネクション}を結成)、大日本プロレス、ZERO-ONEと様々なリングを転戦し、2005年6月にZERO1-MAX⇒ZERO1所属していたが、2020年6月退団。その道中で、共に「親友」[7]と呼び合うパンクラスの伊藤崇文とDEEPでバーリトゥード対決[8]を行っている(伊藤とは、大阪時代に所属していた栗栖正伸トレーニングジム時代からの親友)。 1998年3月29日、みちのくプロレスにて藤田ミノルと初めて組んで以来、合間合間で長いブランクはあれども現在までにタッグを組み続け、その相性の良さからお互いに「相方」と呼び合い2005年のプロレス大賞にて最優秀タッグチーム賞を受賞[9]するに至った。また、日高のデビュー戦の相手である船木を「師匠」と言って慕っており、船木の決め技でもある「ショーンキャプチャー」も船木から使用許可を得て使っているものである。船木のオリジナルブランド「flamex」では有名な「I LOVE NY」Tシャツのパロディ「I LOVE SC(ショーンキャプチャー)」Tシャツを自らのプロデュースにて販売した。豊富なカラーバージョンが存在するが、少量限定生産である。 2006年4月のZERO1-MAXのS-ARENA大会に於いて男女混成出身地別都市対抗戦が行われ、日高も益田市出身同士というよしみから豊田真奈美とのタッグを結成した。 ZERO1-MAXの夏の恒例である「火祭り2007」において、当初は日高はノミネートされていなかった(日高はジュニアヘビー級であるため、「火祭り」の直後に行われるジュニア版火祭りとも言える「天下一Jr.」への参加に照準を合わせている)。しかし、火祭りの参加選手であった村上一成が、開幕戦の大谷晋二郎とのリーグ戦で、大谷の過度な椅子攻撃により頭部損傷で絶対安静ということで、村上の枠が空白になったのに伴い、参加全選手10人の中の当初4枠をファン投票で選出していた中の5番手であった日高が村上の代役でAブロックより出場となった(村上の開幕戦の大谷戦は両者リングアウトの為1点獲得し、日高にその得点が引き継がれた)。以後日高は、体重差が2倍の巨漢である吉江豊に軽快な身のこなしから20カウント手前でリングインしリングアウト勝ちで2点、同門の崔領二には敗れたが、プロレスリング・ノアから参戦の齋藤彰俊にはこれも狡猾な両者リングアウトにより1点をもぎとり、4点でリーグ戦終了する大健闘を見せた。なお、Aリーグは日高を含め何と5人が各4点で横一線という結果でリーグ戦を終え、8月2日の後楽園ホールでの決勝戦の当日に5WAYマッチで決勝戦進出者を決定するということになり、崔領二が勝ちBリーグトップの田中将斗と決勝戦を行い(2006年と同じ決勝戦カード)田中が火祭り2連覇を果たした。9月からの「天下一Jr.」では、トーナメント準決勝戦でDRAGON GATEの望月成晃に敗北。 10月26日、後楽園ホール大会でディック東郷を破りインターナショナルジュニアヘビー級王者に返り咲くも、2008年1月23日後楽園ホール大会にて「天下一Jr.」のリベンジを賭けた防衛戦で望月成晃に再び敗れ、王座を失う。 新日本との対抗戦でも金本浩二、田口隆祐とのシングルマッチで敗北を喫するなど深刻なスランプに陥るが、5月27日の後楽園ホール大会でタッグマッチながら望月から初のピンフォールを奪う。 2009年11月には、プリンス・デヴィットを破りついに「天下一Jr.」を初制覇。また同試合にかけられていたインターナショナルジュニアヘビー級王座を奪取し、3度目となる同ベルトを巻く。 2010年9月には「天下一Jr.」において史上初の連覇を達成。その直後の10月には歌手のあびこめぐみと結婚した事をブログにて発表[10]した。 2017年3月、デビュー20周年記念興行「日高祭20」を総合プロデュース。東京・江東区の豊洲PITで開催し、プロレスラーだけではなくパフォーマンス集団電撃ネットワークや芸人、歌手といったさまざまな人たちを巻き込んで、エンターテインメントとプロレスを見せる試みを行い成功した[11]。 2015年に中野ブロードウェイ2Fでセレクトショップ「ホカクドウ」を、2019年8月に高円寺でパーソナルトレーニング&シェアスペース「フレンジ」をプロデュースするなど、実業家の一面も持つ。 2020年6月30日をもって、自身が経営する株式会社ショーンキャプチャーの体制作りに専念するためZERO1を退団、レスラーとしてはショーンキャプチャー所属として活動していくことを発表した[12]。 戦績
得意技レスラーとしては小柄ながらも、飛び技、関節技、蹴り技をミックスした独自のスタイルを構築するものが多い。最近では、同郷の先輩レスラーでもある豊田真奈美から受け継いでいる技や、日高の出身地・島根県に因んだ技をメインとして使うことがある。
タイトル歴
オリジナルビデオ出演
脚注
外部リンク
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