タナカ岩石
田中 太嘉文(たなか たかふみ、1993年10月3日 - )は、日本の男性元プロレスラー。埼玉県上尾市出身。旧リングネームはACE、WRESTLE-1時代はタナカ岩石(タナカがんせき)、ZERO1時代は太嘉文(たかふみ)。血液型AB型。 経歴WRESTLE-1が設立したプロレス総合学院2期生。GLEATの伊藤貴則とは同い年の同期。 プロレスリングA.C.E2016年9月27日、WRESTLE-1道場で行われた2期生卒業試合での頓所隼戦でプロデビュー[1]。「田中太嘉文」としてプロレスリングA.C.E.に所属。旗揚げ戦にてダイスケ戦デビューした。同年12月5日「タナカ岩石」へ改名[2]。
WRESTLE-1
ZERO1
引退後トライフォース柔術アカデミーのスタッフ、ジムトレーナーとして勤務。 人物生まれは福島県須賀川市、小学校5年生まで埼玉県毛呂山町で過ごす。両親や親戚が教員であり、教育一家で育つ。 父が当初「光」という名を考えていたが、スパルタ教師であった叔母がこれを却下したというエピソードがある。校長を長く務めた母方の祖父が悩んだ挙句多くの意味を込め「太嘉文」と名付けた。本人言わくこの名前は大事な形見のようなものだからこの名前でプロレスラーとして活動を望んでおり、前述のように2020年8月にリングネームをタナカ岩石から太嘉文に改名した。 性格は真面目である。右利きだか幼少期は左利きで、現在もふとした時に左手で物を扱う。もし生まれ変わったら表現者の仕事に就きたいと思っている。一見まぶたが一重のように見えるが実際は二重である。海洋恐怖症、高所恐怖症、揺れ恐怖症である。さらに、一時期は左側恐怖症(シニストロフォビア)でもあった。 小学生の頃にスイミングスクールに通っていた。近い学年では後のオリンピックメダリスト瀬戸大也がいた。 幼少時から絵や写真などを好み芸術的なセンスを伺わせ、小学生の頃には、授業や夏休みの宿題で描いた絵で数々の賞を受賞していた。この頃の夢は漫画家だった。キャナァーリ倶楽部の元メンバーでファッションモデルの岡田怜子は毛呂山町にいた頃の小学校の同級生。 全寮制の中高一貫校に進学し、中学高校時代は練習の虫で柔道に打ち込むが、肘の怪我で悩み大きな結果は残せなかった。後遺症で、今でも右肘は真っ直ぐに伸ばせない。それでも、講道館2段を取得している。この6年間は娯楽が禁じられた寮生活だったため、毎朝の楽しみは生徒に配布された新聞を読むことであった。中学時代は寮のフロア長、高校時代は学級委員長を担任の先生から任せられていた。 俳優の板橋駿谷と映画監督の奥田庸介とは同じ中学高校の先輩であり3人とも柔道部出身。歌手のGReeeeNのメンバーSOHも同校の先輩である。 宝塚歌劇団雪組に所属する娘役彩みちるは中学時代の同級生(高校進学の際に彩みちるは転校)。 高校卒業後にブラジリアン柔術に打ち込み、数々の大会へ出場。単身米国へ練習に行ったこともある。プロレス界入りにあたり一度柔術から離れるが、国内屈指の柔術家岩﨑正寛と出会い国内では柔術の名門であるCARPE DIEM BJJで練習の一環として再開する。2020年に岩﨑正寛よりブラジリアン柔術紫帯を授与される。 デビュー前は柔道や柔術の格闘技のバックボーンがあったが、いわゆるプロレス的な部分のセンスは程遠かった。同期の中でも1番出遅れておりデビューを言い渡された際には「お前をデビューさせるか迷った」と先輩レスラーから言われたという。 デビューからWRESTLE-1活動停止まで武藤敬司の付き人をつとめる。付き人に付いてから身の回りのことは勿論、武藤が両膝人工関節手術をするまで膝のテーピングを試合の度に巻いていたのも太嘉文である。奇しくもプロレスラー引退のタイミングが同時期(武藤は2023年2月21日東京ドームで引退試合)になった。 WRESTLE-1のレフェリーであった神林大介のレフェリングに信頼を置いていた。当時のリングネームから、WRESTLE-1の女性スタッフや一部先輩レスラーからの愛称は岩(ガン)ちゃんだった。 旧リングネーム「岩石」の命名は本名が読みにくく、呼びにくいことから近藤修司が命名。[11]。岩石をイメージする技を使おうと思い、ヘッドバットを得意技とするようになったのは改名後のことである。 リング上で自分に身につけるものや格好をただのカッコつけにするのを嫌い、イメージチェンジをした髪型やリングシューズのデザイン、時々拳に巻くテーピングなどにもそれぞれ意味合いがあるという。ドラマや映画などの映像作品、演劇や造形芸術などの芸術作品に表現するという部分でプロレスに通じるものがあると考えている。 ダンサーで女優の平手友梨奈の表現やパフォーマンスに対する姿勢をとても尊敬している。 ラジオ好きで読書家でもありジャンル問わず多くの本を読む。ニーチェのような哲学的な考えを持ち、インタビューやSNSなどで度々みられる。初めて読んだプロレス関連の書籍は小学生の頃図書館で借りた小学館の入門百科シリーズ「プロレス入門」で、中学生の頃初めて読んだプロレスラーの自伝本はエディ・ゲレロの自伝。その次が元レフェリーミスター高橋の「流血の魔術 最強の演技であった。 中学の頃国語の課題で本の小論文を書くというもので、高田延彦「泣き虫」を題材で提出したところ再提出を言い渡されたことがあり、このときはアントニオ猪木自伝を題材で改めて提出したところOKをもらった。 高校生の頃当時単行本化された700ページを越える2段組大著の「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読破した。これを含む作家増田俊也の作品を読み、後に柔術やグラップリングをはじめる程影響を受けた。また当時から格闘技ファンでもあった為自身を寝技へ導いてくれたものだと言う。 ロックバンドBase Ball Bearのメンバーでプロレス好きの堀之内大介は太嘉文のファンである。 幼少期から特撮物の大ファンで、好きな漫画のキャラクターは宇宙兄弟の南波六太、BEASTARSのレゴシ。 SNSではSPY×FAMILYにもハマったと投稿していた。また、乃木坂46、欅坂46、櫻坂46のファンでもある。櫻坂46は改名前の欅坂46の頃から箱推し。 得意技
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バラエティ
プ女子特集(2020) -VTR出演 脚注出典
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