スタン・プラスキー
スタン・プラスキー(Stan "The Mad Russian" Pulaski、本名:Eric Ronald Pomeroy、1933年6月12日 - 2012年9月29日)は、カナダのプロレスラー。ニューファンドランド・ラブラドール州セントジョンズ出身[3]。 ロシア人ギミックのヒールとして活動した試合巧者の職人レスラーであり[4]、NWAやAWAの各テリトリーで実績を残した[2]。 来歴少年時代からレスリング、ボクシング、ウエイトリフティングなどのスポーツに取り組み、1950年にオンタリオ州トロントにて18歳でデビュー[3][5]。以降、本名のエリック・ポメロイ(Eric Pomeroy)、イゴール・カルミコフ(Igor Kalmikoff)、スタニスラウス・プラスキー(Stanislaus Pulaski)などのリングネームを用いてカナダおよびアメリカ各地を転戦[2]。 1962年には五大湖エリアにおいて、ハンス・シュミット、ドミニク・ブラボー、ガイ・ミッチェル、トニー・マリノらと対戦した[6]。大西洋岸南部のミッドアトランティック地区では1963年にレイ・アンドリュースと組み、クリス・トロス&ジョン・トロスなどのチームとNWA南部タッグ王座を争っている[7]。 1965年3月11日、太平洋岸北西部のオレゴン州ポートランドにてNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を獲得[8]。同年12月、スタン・プラスキー(Stan Pulaski)として日本プロレスの『ウィンター・シリーズ』に初来日。リキ・スポーツパレスにおける豊登とのシングルマッチでは、反則裁定ながら勝利を収めている[9]。 1967年より深南部のジョージア地区に参戦。スタン・バション(Stan Vachon)と名乗り、モーリス "マッドドッグ" バション&ポール "ザ・ブッチャー" バションのバション兄弟の「次兄」というギミックで活動する[4][10]。エンリケ、アルベルト、ラモンのトーレス3兄弟と抗争を繰り広げ[5]、「弟」のポールとのコンビで同地区認定のタッグ王座を再三獲得した[10]。 ジョージアで活躍中の1967年9月、マッド・ラシアン(The Mad Russian)のリングネームで日本プロレスの『ダイヤモンド・シリーズ』に再来日。アントニオ猪木、キム・イル、吉村道明、キンジ渋谷らとシングルマッチで対戦した[11]。同シリーズには後にロシア人ギミックの後継者となるイワン・コロフもレッド・マクナルティの名義で参戦しており、開幕戦の大田区体育館大会で両者はタッグを組み、ヤマハ・ブラザーズの凱旋帰国試合の相手を務めている[12]。 アメリカではバション・ブラザーズを解散後、AWAの提携テリトリーだったネブラスカ州オマハを主戦場に、リングネームをスタン・プラスキーに戻してベビーフェイスのポジションで活動[5]。1969年2月1日にマイク・デビアスからAWA中西部ヘビー級王座を奪取し、以降もターザン・タイラー、ラーズ・アンダーソン、ロック・ロゴウスキー、グレート草津、バディ・ウォルフらを破り、1972年下期にかけて同王座を通算6回獲得した[13]。レジー・パークスと組んでAWA中西部タッグ王座にも就き、当時AWAと提携していた国際プロレスの草津&ヒゴ・ハマグチの挑戦も受けたが[14]、国際プロレスへの参戦は実現していない。なお、敵対関係にあった草津とは1972年の元旦にセントルイスのキール・オーディトリアムにてタッグを組み、ロニー・エチソン&ジョニー・ウィーバーと対戦している[15]。 1973年3月、マッド・ラシアンとして全日本プロレスに来日。『チャンピオン・カーニバル』の第1回大会に出場したが、トーナメント1回戦でザ・デストロイヤーに敗退した[16][17]。全日本プロレスには同年11月開幕の『ジャイアント・シリーズ第2弾』にもスタン・プラスキー名義で参戦しており、富山市体育館大会では特別参加のブルーノ・サンマルチノのパートナーとなって、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田の師弟コンビと対戦した[18]。 1974年はフロリダ地区で再びスタン・バションと名乗り、「兄」のモーリスとバション・ブラザーズを再結成[19]。2月12日には若手ヒール時代のディック・スレーターをパートナーに、ポール・ルダック&ジョー・ルダックを下してNWAフロリダ・タッグ王座を奪取した[20]。7月にはカナダ沿海州のESAにおいて、エリック・ポメロイ名義でグレート・クマから北米ヘビー級王座を奪取したが[21]、同年に交通事故に遭い、引退を余儀なくされた[3]。 その後、1976年に一時的に復帰して、ESAではザ・マーセナリーズ(フレンチ・マーチン&マッドドッグ・マーテル)やザ・ブルート[22]、AWAではキム・ドクと対戦した[23]。 引退後は、主戦場だったネブラスカ州のストロムズバーグに居住していた[3]。2012年9月29日、79歳で死去[1]。 得意技
獲得タイトル
脚注
外部リンクInformation related to スタン・プラスキー |