スティーヴ・ガッド
スティーヴ・ガッド(Steve Gadd、1945年4月9日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ロチェスター生まれのフュージョン・ドラマー、セッション・ドラマー、スタジオ・ミュージシャンである。『東のスタッフ、西のクルセイダーズ』とも称された、スタッフのメンバーだった。 来歴ニューヨーク州ロチェスター生まれ。軍楽隊のドラマーをしていた叔父の影響で、7歳よりドラムのレッスンを受けるようになる。小学生である11歳の時にタレント・コンテストに優勝して、ウォルト・ディズニーに出会い、ミッキーマウス・クラブでドラム演奏とタップダンスの披露もおこなった。[1]また、ロチェスターのイーストマン音楽学校でクラシックの打楽器奏法を学んでいる。その後、アメリカ陸軍の軍楽隊に3年所属していた。地元のビッグバンドで活動。その後、ニューヨークに出て、ジャズ・クラブでチック・コリア、チャック・マンジョーネ、ジョー・ロメオ、マイク・マイニエリらとセッションを重ね、実力をつけていった。1970年には無名時代のチャック・マンジョーネのアルバムに参加している [2]。1972年、トニー・レヴィン、マイク・ホルムスとトリオを結成、ニューヨークに出て演奏した。 トリオ解散後、ニューヨークでスタジオ・ミュージシャンとして活動を始める。1973年にはチック・コリアのバンド「リターン・トゥ・フォーエヴァー」に参加するが、短期間で脱退。その後、チャールズ・ミンガスのアルバム、アル・ディ・メオラの「エレクトリック・ランデヴー・バンド」、マンハッタン・ジャズ・クインテットなどに参加。ゴードン・エドワーズとスティーヴ・ガッドは、ジェームス・ブラウンの楽曲に参加経験がある。ガッドはハービー・マンの「ハイジャック」[3] 、コーネル・デュプリーは、ブルック・ベントンの「雨のジョージア」に参加したことがあった。 クロスオーバー、フュージョンの初期から技巧派ドラマーとして知られていた。ガッドは、大ヒット曲「ハッスル」を含むヴァン・マッコイのアルバム『ディスコ・ベイビー』のレコーディング・セッションに参加した[4]。ガッドは、ゴードン・エドワーズを中心とする当時のニューヨークの著名スタジオ・ミュージシャンら(コーネル・デュプリー、エリック・ゲイル、リチャード・ティー、クリストファー・パーカー)によるフュージョン・バンド「スタッフ」に参加した。1976年に、スタッフはデビュー・アルバムを発売している。 1980年代には自己のバンド「ザ・ガッド・ギャング」を結成し、R&Bの名作をフュージョン・カヴァーした。1983年、教則ビデオ『Up Close』をリリース。1984年、初のリーダー・アルバム『ガッドアバウト』をリリース。1992年、ロックの殿堂入りアーティストであるザ・ベンチャーズ[5]の楽曲をカバーしたアルバム『ハイパー・ベンチャーズ』をリリース。同アルバムには、デヴィッド・スピノザ、ジョン・トロペイ、ウィル・リーが参加している。ジョー・サンプル、ミシェル・ペトルチアーニらと共演、1995年からはエリック・クラプトンの要請により彼のツアー・バンドに参加し、その演奏は多くのロック・ファンの間でも評判となった。ポール・サイモン[6]、ジェームス・テイラー、ロバータ・フラックといったミュージシャンのアルバムにも参加した。その他、クインシー・ジョーンズ、スティーヴィー・ワンダー、ポール・マッカートニー、スティーリー・ダン[7]、チック・コリア等のレコーディングやツアーに参加。ジャンルを超えてのビッグネーム達との共演歴、そして膨大な数のレコーディング歴と、ツアー歴を持つ著名ドラマーとなっている。 2003年9月13日、シンバル・メーカーのジルジャン社からアメリカン・ドラマー・アチーヴメント・アワードとして讃えられた(ボストンのバークリー・パフォーマンス・センターにて)。2021年5月、ドラム練習用の楽譜である『GADDIMENTS』をハドソン・ミュージックから販売。付録として本人による練習パッドによる演奏動画がダウンロード・コンテンツが収録されている。 セッション経験がある著名ミュージシャンジャズ、フュージョン系をメインに、ポール・サイモン、エリック・クラプトンのツアーに参加するなど、ジャンルを問わず多くのミュージシャンのレコーディングやライブ、ツアーに参加した。
ほか多数 メンバーを務めたバンド
ディスコグラフィ→詳細は「en:Steve Gadd discography」を参照
リーダー・アルバム
ザ・ガッド・ギャング
ブリッチャー・ヘマー・ガッド
脚注出典
関連項目外部リンク |