チン兄弟同盟
チン兄弟同盟(チンきょうだいどうめい、英語: Chin Brotherhood: CB)はミャンマー・チン州で活動する複数の少数民族武装勢力の軍事・政治同盟である。CBはミャンマー内戦中の2023年12月30日に結成され、チン州とチン民族コミュニティにおける協働を促進することを目的としている[4]。CBは、チンランド憲法、チンランド評議会、チンランド国家の制定が「民主的な基準を遵守しておらず、平等性を欠き、チン族全体の結束を代表も反映もしていない」と主張するチンランド防衛隊(CDF)によって結成された。 チンランド評議会との対立マーラランド防衛隊(MDF)がチン民族軍(CNA)兵士1人を殺害し、CDF-マーラの兵士数人を拘束したと報じられた。その後の2024年1月31日、CDF-マーラ、CDF-パレッワ、CDF-タントラン、CDF-ゾフェイ、CDF-ラウトゥ、CDF-センタンは、CNAとともに、CB構成組織であるMDFへの攻撃を開始した[5]。1ヶ月後、MDFとCNAはチン州とラカイン州の境界近くのパレッワ郡区で衝突した[2]。同年5月初旬、CBがチンドウェの町を占領した後、CBはチンランド評議会(Chinland Council: CC)とチン民族戦線(CNF)がチン州の紛争にかこつけて町を占領し、領土支配を拡大しようとしていると非難した。同声明では、CNFに対しチン州の州都ハカへの攻撃を優先するよう促し、対立が続く場合は同盟が「反撃」すると警告した。チンランド評議会のメンバーであるCDFマトゥピ(第2旅団)は、この警告を非難した[2]。 マトゥピのチン族抵抗勢力が二分されたことはCBとCCの対立をより複雑化させた。6月9日、アラカン軍(Arakan Army: AA)とヨー軍(Yaw Army)の支援を受けたCBがマトゥピ郡区のミャンマー軍キャンプと大隊への攻撃を開始した。CBの攻撃開始後、CCはマトゥピ郡区のマトゥピ丘陵にあるミャンマー軍第140歩兵大隊基地に対して攻撃を開始した。同月18日、CBとCCの間でマトゥピの支配を巡り、戦闘が発生した。同月23日、マトゥピ防衛隊資金調達委員会は、マトゥピ郡区におけるCBとCCの紛争を解決するため、即時交渉を行うよう求めていた。同月24日、CCは撤退し、CBに第140歩兵大隊への攻撃を許した。そして同月25日、CBとAAはマトゥピ丘陵のミャンマー軍基地を占領した[6]。 同年6月にはインド・ミゾラム州の中部青年ライ協会(Central Young Lai Association: CYLA)が、アラカン軍の占拠するチン州パレッワを通じてラカイン州へと向かう物資の流れを封鎖した。ライ・チンはCNFの主要な民族であり、CNFがAAのパレッワからの撤退を求めて圧力をかけるために妨害活動を行ったと見られている[7]。 同年7月にはCCが対話を通じた解決を望むなど、事態は緊張の緩和へと向かった[8]。 同年8月、CBとCCはゾ再統一機構(Zo Reunification Organization)の仲介により、インド・ミゾラム州アイゾールで会談を行った[9]。双方の緊張緩和に向けて国民統一政府(NUG)も活動しており、NUGのチョーゾーは外部からの仲介が役立つと示唆している[7]。 同年9月、CBとCCはゾ再統一機構(Zo Reunification Organization)の仲介のもと、意見の相違が生じても武力衝突を避けるとする5項目の初期合意に達した[10]。 2025年1月、CC傘下のテディム郡議会/PDA-テディムがテディムに残るミャンマー軍を攻撃する計画を明らかにすると、CB傘下のPDFゾーランドは激しく反発する声明を出した[11]。 加盟組織結成当初の組織: 後に加入した組織: 脚注
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