トップス広島
トップス広島(トップスひろしま)は、広島県において異なるスポーツ団体で結成されたNPO法人の通称。正式名称は、特定非営利活動法人広島トップスポーツクラブネットワーク[1]。 広島県を本拠地とするチームが「すべての広島の人々がすべての広島のスポーツを応援するような、郷土愛あふれる広島の実現」のスローガンのもと、異競技交流を通じてスポーツの普及振興を目指す組織である[2][1][3][4]。 日本で初めて結成された異競技連携組織[2][3]。参加団体は2022年7月時点で10競技11団体、基本的に各競技のトップカテゴリに所属するチームが参加している。参加団体の各ユニフォームやトレーニングウェア等の袖に「トップス広島ロゴ」が入っている[注 1]。 具体的な活動としては、広島市内の小学校の体育授業への選手の派遣や広島県内の小中学校への選手やコーチなどの派遣、競技力向上を目的としたスポーツ教室、地域イベント等への参加など[2][3]。また他競技間の選手の中で横のつながりもできたという[2]。 参加
沿革1993年にサッカーJリーグは社会現象になるほど華々しく開幕したが、1995年以降Jリーグバブルが弾け観客動員に減少傾向が見られるようになった。これに危機感を抱き、更なる企業スポーツからの脱却と地域社会への貢献を目指し、1996年Jリーグ百年構想を発表する[5]。時を同じくして、サッカー以外のスポーツにもバブル崩壊の影響から企業スポーツの撤退・廃部・休部が続出していた[6][7]。その状況に危機感を持ち1999年12月、サッカー(Jリーグ)・ハンドボール(JHL)・バスケットボール(JBL)・バレーボール(JVL)の4競技における国内リーグ代表者らが異競技チーム連携に向けて集まり、現状打開のテストケースとして広島[注 7]に提案した[6][7]。 2000年4月、任意団体として正式に結成[2]。当初は、サンフレッチェ広島、JTサンダーズ(現JTサンダーズ広島)、湧永製薬男子ハンドボール部(ワクナガレオリック)およびイズミ女子ハンドボール部(現イズミメイプルレッズ)、広島銀行ブルーフレイムズ、の4競技5団体で結成した[2][1]。こうした経緯から、発足当初はJリーグ百年構想を共通理念とし、広報・スポーツ振興・地域アピールとともに観客動員での相乗効果をも期待していた[6]。翌2001年、広島ガスバドミントン部が加入。創設の理念とは相反してイズミおよび広銀が廃部の危機にさらされる。結果広銀は廃部となってしまうも、イズミは広島メイプルレッズとしてクラブチーム化し存続することとなった。 2003年、活動の拡大に伴い今後の維持と発展を目指しtotoの収益配分や行政の援助などを受けやすくするため、NPO法人申請を行い、2004年2月9日に認証された[8]。同年にはNTT西日本広島ソフトテニスクラブ(現NTT西日本ソフトテニス部)、翌2005年中国電力陸上競技部、2007年コカ・コーラウエストレッドスパークスホッケー部(現コカ・コーラレッドスパークスホッケー部)が加盟した。 2007年当時はスポーツ教室の開催以上の展開は見られず、一般への知名度が低いままであった[3]。2008年・2009年の報道でも一般への認知度の課題について触れられている[9][2]。状況を打開するべく、2008年度から各チームの実務担当者が定期的に集合し定例会議を開いたり、隔月広報紙を発行している[2]。 2009年にはこれまでプロ野球組織・選手による現役高校生・大学生への指導に制限のある日本学生野球憲章との兼ね合いから参加を見合わせていた広島東洋カープが加入[注 8][2]。 2010年12月、新たな財源確保としてコカ・コーラが展開する飲料自動販売機の売上の一部を寄付にあてる支援型自動販売機設置を採用する[11]。その「トップス広島支援自販機」1号機を広島信用金庫本社前に設置した[11]。2011年3月に発生した東日本大震災を受けて、酒井大祐や髙萩洋次郎など当時所属9チームの東北出身の選手を含めた72選手で、災害復興支援の街頭募金活動を行った[12]。 また、2018年8月には、地元広島も甚大な被害を受けた西日本豪雨災害の支援活動として、また2019年11月にも、東日本を襲った台風19号の災害支援活動として、街頭募金活動を行った。 2020年4月、広島ドラゴンフライズが加盟[4][注 9]。2022年6月にはプロ自転車ロードレースチームのヴィクトワール広島が加盟した。 活動財源加盟チームの正会員費や1口5万円で賛同者を募る賛助会員費、主催するスポーツ指導・普及事業の参加料[2]、支援自販機など 例
脚注
参考資料
関連項目外部リンク |