トミーズ
トミーズは、吉本興業大阪本部に所属するトミーズ健とトミーズ雅からなる日本のお笑いコンビ。1982年9月結成[1]、1983年6月デビュー。 コンビ名はデビュー当時のマネージャーである冨井善則(後に吉本興業の専務を務めた)に由来し、冨井自らが命名した。 概略幼稚園時代からの幼馴染によるコンビで、高校まで2人は同級生であった。ボクサーを引退し大学も中退していた雅がアパートで独り暮らししていた時、兄から薦められ吉本総合芸能学院(NSC)1期生の募集を知り、健を誘う。健と組む前は濱根隆とコンビ「北村・濱根」を結成、素人名人会や1982年度の「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」決勝などに出場するもパッとせず解散。大学卒業後の健はアパレル会社・スリーエムへの就職が決まっていたため、一度は断ったが雅の兄から半ば強引に説得された末に揃って入学。同期にはダウンタウン、内場勝則などがいる。 NSC卒業後の1983年6月、うめだ花月中席の「フレッシュコーナー」で初舞台を踏む。デビューの頃は健がボケ、雅がツッコミだったが元のキャラクターのままだったため全くウケず、役柄を変えた。 2人ともプロとしてデビューする以前、プロボクサー・北村雅英と(北村の友人)三津田健として『フレッシュ9時半!キダ・タローです』(ABCラジオ)へ出演している。雅が出演した際にキダ・タローから「友達も(スタジオに)呼んでおいで」と勧められたのがきっかけで、素人ながらキダのリクエストで放送中に漫才を演じたこともあった[注釈 1]。 デビュー当初、NSC1期生の中ではダウンタウンを差し置いて一番の出世頭だった。卒業してすぐNHKの漫才コンテストにて大賞を受賞、デビュー3年目にして単独ライブを開催した。 90年代からは雅を中心に全国ネットの番組にも出演するようになるが、現在はほぼ関西のみでの活動となっている。 2023年8月9日に発売したベリーグッドマンのベストアルバム「GOOD GOOD GOOD」に収録された「これからもよろしくな」で雅がミュージックビデオに出演したのをきっかけに出囃子を「これからもよろしくな」にした[2]。 プロフィールトミーズ健本名、三津田 健(みつだ けん)。1959年5月26日(65歳)生まれ。大阪市生野区出身、大阪市港区在住。大阪府立住吉高等学校、関西外国語大学外国語学部(スペイン語)卒業。身長167cm、体重69kg。血液型A型。趣味は大学生時代から続けているサーフィン、海水浴、チークダンス、ストリップ観賞。通称「健ちゃん」。 在日韓国人で帰化前の本名は金建(キム・ケン,韓:김건)。1989年10月23日に帰化済。 漫才では主にツッコミ担当、トークやなんばグランド花月の劇舞台ではボケに回る(所謂スベリキャラ)。 2000年代以降、「キンコンカンコン健ちゃ〜ん」「健ちゃんパウダー、おもろなくなれー」などギャグメーカーとなる。関西では恐妻家として知られ仕事の合間にも家事や買い出しで忙しいため、情報番組では主婦ならぬ「主夫」としての知恵や意見を披露する機会が多い。ちなみに妻は巨体の持ち主らしく、漫才やバラエティ番組などのネタに「トド」「横綱」扱いで頻繁にイジられている。 2007年2月、中国でのロケ収録において4回に渡って観光客に向かって臀部を露出し、地元公安当局から厳重注意を受け吉本より謹慎処分を下される。健本人は「二度とお尻は出しません」と謝罪した[3]。 本人談によると、前田五郎(元コメディNo.1)とは血の繋がりはないが遠い親戚にあたる。 トミーズ雅→「トミーズ雅」を参照
受賞歴
出演テレビバラエティ
ラジオ
テレビCM
映画●…オリジナルビデオ作品
健のみ
書籍
コラボレーショントミーズの所属する吉本と日清食品の共同開発(コラボレーション)商品として、2003年にカップ麺「トミーズのうどん屋さんラーメン どっちやねん」が発売。2004年春には第2弾「トミーズの漫才ラーメン なんでやねん りろーでっと」、同年秋に第3弾「トミーズの辛口つっこみラーメン なにすんねん」が発売された。いずれも近畿地方限定発売。 また、関西テレビ『トミーズのはらぺこ亭』とファミリーマートのコラボレーションによる弁当シリーズ「トミーズのはらぺこ亭 三つ星御膳」が、近畿地方と石川県のファミリーマートにて2004年11月13日から3週間発売。 関係人物
脚注注釈
出典
外部リンク |