ドリュー・ネイラー
Drew Naylor
中日ドラゴンズ時代 (2015年7月26日) |
基本情報 |
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国籍 |
オーストラリア |
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出身地 |
クイーンズランド州ブリスベン |
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生年月日 |
(1986-05-31) 1986年5月31日(38歳) |
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身長 体重 |
196 cm 105 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
2004年 アマチュアFA |
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初出場 |
NPB / 2015年8月1日 |
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最終出場 |
NPB / 2016年5月7日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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派遣歴 |
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国際大会 |
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代表チーム |
オーストラリア |
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WBC |
2017年 |
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ドリュー・ロイ・ネイラー(Drew Roy Naylor、1986年5月31日 - )は、オーストラリア連邦クイーンズランド州ブリスベン出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
プロ入りとフィリーズ傘下時代
フィラデルフィア・フィリーズと契約を結びプロ入りを果たした。
2006年は傘下ルーキーリーグのガルフ・コーストリーグ・フィリーズでプレーし、12試合(2試合で先発)の登板で2勝3負1セーブ、防御率4.66、22奪三振を記録した[1]。
2007年は傘下ショートシーズンAのウィリアムズポート・クロスカッターズでプレーした。この年は14試合に先発登板し、8勝6負、防御率3.28、97奪三振を記録した[1]。
オフにはハワイで開催されたハワイ・ウィンターリーグに参加し、ノースショア・ホヌでプレーした。8試合に登板し、0勝1負1セーブ、防御率7.30、19奪三振を記録した[1]。
2008年は傘下Aのレイクウッド・ブルークロウズでプレーし、14試合に先発登板し、5勝3負、防御率2.99、97奪三振を記録した[1]。その後、傘下アドバンスAのクリアウォーター・スレッシャーズでプレーした。ここでは、13試合に先発登板し、3勝7負、防御率4.85、59奪三振を記録した[1]。
2009年はシーズン開幕前の3月に開催された第2回WBCのオーストラリア代表に選出された[2]。シーズンでは傘下アドバンスAのクリアウォーターでプレーした。26試合(25試合で先発)登板し、8勝11負、防御率4.22、115奪三振を記録した[1]。
2010年は傘下AAのレディング・ファイティン・フィルズでプレーした。27試合(26試合で先発)登板し、12勝10負、防御率4.63、113奪三振を記録した[1]。オフには母国オーストラリアのオーストラリアンベースボールリーグ(ABL)のブリスベン・バンディッツでプレーした[3][1]。4試合(2試合で先発)登板し、0勝0負、防御率3.21、8奪三振を記録した[4]。
2011年はトミー・ジョン手術を行いシーズンを終えた。シーズン中の9月16日にDFAとなった。
2012年5月に傘下AAのレディングに復帰し、5試合の先発登板で3勝2負、防御率6.04、16奪三振を記録した[1]。その後、傘下ルーキーリーグのガルフ・コーストリーグ・フィリーズで2試合に登板した[1]後、傘下アドバンスAのクリアウォーターでプレーした。ここでは、2試合に登板した[1]。オフの11月に解雇された。
フィリーズ退団後
2013年と2014年は、手術の影響でどの球団にも所属せず少年野球の指導を行っていた[5]。2014年オフにはABLのブリスベンで4年振りにプレーした[6]。3試合に先発登板し、0勝2負、防御率7.24、13奪三振を記録した[3]。
香川時代
2015年3月2日に日本の独立リーグである四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズとウェスリー・エドワーズと共に契約を結んだ事が発表された[7]。
3月15日の石川ミリオンスターズとの交流戦(丸亀市民球場)に先発して日本で初登板し、6回を3安打無失点に抑えて勝利投手となった[8]。前期シーズンは主に先発として起用され、4勝1敗2Sで防御率1.37、55奪三振という成績を上げ[9]、前期優勝したチームでローテーションの一角を占めた[10][11]。
5月29日に、リーグの北米遠征のメンバーに選出された事が発表された[12]。ここで2勝1敗の成績を記録したことが評価され、北米遠征読売新聞優秀賞を受賞した[13]。日本に戻ったあとの7月6日、中日ドラゴンズが獲得を検討するためにナゴヤドームでテストをおこなった[14]。8日にはナゴヤ球場でおこなわれた香川と中日ドラゴンズ2軍とのオープン戦に先発し、3回を投げ4安打1失点という内容だった[15]。
中日時代
2015年7月13日にラファエル・ペレスとともに中日ドラゴンズへの入団会見が行われた[16]。推定年俸は1250万円[17]。8月1日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)に先発で初登板し、6回2失点であったが、勝敗はつかなかった[18]。8月7日の対東京ヤクルトスワローズ戦(ナゴヤドーム)に先発、8回1失点でNPBでの初勝利を挙げるとともに、4回の打席では本塁打を放った[19]。
2016年はオープン戦から好調をアピールし開幕ローテにも入った。5月7日の巨人戦で右肩痛を発症し、緊急降板。その後も右肩痛が完治せず、1軍に復帰することなくシーズンを終えた。オフの12月2日に自由契約公示された[20]。
中日退団後
2018年に来日したブリスベン・バンディッツ時代の監督である元中日のデーブ・ニルソン(現役時代の登録名はディンゴ)によると、地元オーストラリアで少年野球のコーチをしながら右肩のリハビリを行い現役復帰を目指している模様[21]。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- NPB投手記録
- NPB打撃記録
- 初安打・初本塁打・初打点:2015年8月7日、対東京ヤクルトスワローズ17回戦(ナゴヤドーム)、4回裏に古野正人から右越ソロ
独立リーグでの投手成績
独立リーグでの表彰
背番号
- 98 (2015年 - 同年途中)
- 54 (2015年途中 - 2016年)
登場曲
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク