ナウマンゾウ
ナウマンゾウの化石(複製)
地質時代
更新世
分類
学名
Palaeoloxodon naumanni (Makiyama , 1924 )
シノニム
Elephas namadicus naumannni Loxodonta (Palaeoloxodon) namadicus naumannni Palaeoloxodon namadicus naumannni Palaeoloxodon naumanni Elephas (Palaeoloxodon) naumanni
和名
ナウマンゾウ
ナウマンゾウ (英 :Naumann's elephant 学名 :Palaeoloxodon naumanni )は、約1万5000年前までの日本列島 に生息していたゾウ である。後期更新世 の日本列島 に棲息した長鼻目 は本種とケナガマンモス のみであり、ヤベオオツノジカ やハナイズミモリウシ と共に後期更新世の日本列島に分布した大型陸棲哺乳類でもとくに有名な種である。
分類
ゾウ目ゾウ科 に属し、現生のアジアゾウ と近縁である。今日一般的に受け入れられている学名 は Palaeoloxodon naumanni である。
現在[いつ? ] では Palaeoloxodon を Loxodonta (アフリカゾウ属 )の亜属 とする見解の研究者はおらず、亜属として扱う際には Elephas (アジアゾウ属 )の亜属とする。その見解からは Elephas 属に分類され、Elephas naumanni または Elephas (Palaeoloxodon) naumanni とされることもある。
なお、同じく絶滅 したゾウ科 動物のマンモス は、独立した Mammuthus 属の総称だが、こちらも Elephas 属の亜属とされることがある。約120 - 65万年前に日本列島 に生息していたムカシマンモス を、通常はケナガマンモス の古い祖先であるとみなされている一方で、ナウマンゾウの一種であると主張する学者 もいる。
学名
本種の学名 の変遷を以下に示す。
Elephas namadicus naumannni 槇山次郎 (1924):記載論文[ 1]
Loxodonta (Palaeoloxodon) namadicus naumannni 松本彦七郎 (1924):Palaeoloxodon 亜属の新設と移行
Palaeoloxodon namadicus naumannni 鹿間時夫 (1937):Palaeoloxodon を亜属から属に変更
Palaeoloxodon naumanni 亀井節夫 (1978):野尻湖での発見などから独立種と判断
特徴
生体復元模型(北海道 中川郡 幕別町 ・忠類 ナウマン象記念館)
肩高2.5m〜3mで、現生のアジアゾウ よりもやや小型である。一方で、氷期 の寒冷な気候に適応するために皮下脂肪が発達し、全身は体毛で覆われていたと考えられている。
牙 (門歯 )が発達しており、雄では長さ約240cm、直径15cmほどに達した。この牙は小さいながらも雌にも存在し、長さ約60cm、直径は6cmほどであった[ 2] 。また、(牙の)外側から内側へのねじれの様な湾曲も特徴的である[ 3] 。
最大の特徴として頭蓋骨上の頭頂部の隆起があり、頭部のシルエットがベレー帽 を思わせるほどに突き出ていたとされている[ 3] [ 4] 。
分布
本種が出現したのは約34万年前とされており、寒冷期で陸橋が形成された約43 - 30万年前に日本列島 への渡来があったと考えられている[ 5] 。ユーラシア大陸 からもナウマンゾウとされる化石 の発掘例があるが、日本のナウマンゾウと同種であるかどうかは今のところ不明である。
現在の北海道 から九州 までの日本列島 の広範囲に生息していたが、約2万年前頃から衰退し約1万5000年前の新生代 ・後期更新世 に絶滅したとされる[ 4] 。
発見
明治神宮前駅 工事の際に出土したナウマンゾウの化石の一部(国立科学博物館 の展示)
北海道 ・忠類村 から出土したナウマンゾウの骨格標本(北海道博物館 )
最初の標本は明治 初期に横須賀 で発見され、東京帝国大学(現・東京大学 )地質学 教室の初代教授だったドイツ のお雇い外国人 ハインリッヒ・エドムント・ナウマン によって研究、報告された[ 6] 。その後1921年 (大正 10年)には浜名湖 北岸の工事現場で牙 ・臼歯・下顎骨 の化石 が発見された。
京都帝国大学理学部 助教授 の槇山次郎 は、1924年 (大正13年)にそれがナルバダゾウ (Elephas namadicus )の新亜種であるとしてこれを模式標本 (模式地は遠江国 敷知郡 伊佐見村 佐濱、現在の静岡県 浜松市 中央区 佐浜町)とし、日本の化石長鼻類研究の草分けであるナウマンに因んでElephas namadicus naumannni と命名した[ 1] 。これにより和名 は「ナウマンゾウ 」に決定した。
1962年 (昭和 37年)から1965年 (昭和40年)まで長野県 の野尻湖 畔に位置する立が鼻遺跡(野尻湖遺跡群 )で実施された4次にわたる発掘調査 では、大量のナウマンゾウの化石 が見つかった。それまでは本種は熱帯性の動物 で毛を持っていないと考えられていたが、野尻湖での発掘により、やや寒冷な気候下でも生息していたことが判明した[ 7] 。
1976年 (昭和51年)、東京 の地下鉄 都営新宿線 浜町駅 付近の工事中に、地下約22メートルの地点から3体のナウマンゾウの化石が発見された。この化石は浜町標本と名付けられ、頭蓋 や下顎骨が含まれている。出土地層は約1万5000年前の上部東京層である[ 8] 。他にもナウマンゾウの化石は、東京都内だけでも田端駅 、日本銀行 本店、明治神宮前駅 など20箇所以上で発見されている。
1998年 (平成 10年)、北海道 湧別町 東芭露(ひがしばろう)の林道沿いの沢で奇妙な形の石 を隣村から山菜取りに来ていた漁師 が発見し湧別町教育委員会に寄贈した。同委員会は札幌の北海道開拓記念館 に石(化石)の調査を依頼した。北海道ではケナガマンモス は6 - 4万年前に、ナウマンゾウは約12万年前に生息していたと考えられていたので、約35,000年前のマンモス の臼歯化石であると発表された。しかし、2002年 (平成14年)に滋賀県立琵琶湖博物館 の鑑定でナウマンゾウのものであり、北海道 でもマンモス と入れ替わりながらナウマンゾウが津軽海峡 (ブラキストン線 )を越えて生息していた新しい事実が明確になった[ 9] 。
人との関わり
野尻湖ナウマンゾウ博物館 の生体復元模型
千葉県 印旛村 (現在の印西市 、1966年 (昭和41年)発見、国立科学博物館 収蔵)や、北海道 広尾郡 忠類村 (現在の中川郡 幕別町 、1969年 (昭和44年)発見、北海道開拓記念館 収蔵)から骨格 の化石が発掘されている他、日本各地から断片化石が見つかっている。長野県 上水内郡 信濃町 の野尻湖 畔からはナウマンゾウ、ヤベオオツノジカ の化石と共に、旧石器時代 の石器や骨器が見つかっており(野尻湖遺跡群 )、ナウマンゾウは当時の人類 の狩猟 の対象であったと考えられている。日本においては約2万年前に絶滅 したとされるが、これは日本列島 に(現生)人類が現れた後期旧石器時代にあたる。
ナウマンゾウなどのように大型の動物の歯や骨の化石は「龍骨(竜骨 )」と呼ばれ、古くから収斂薬 (しゅうれんやく)、鎮静薬などとして用いられてきた。正倉院 には「五色龍歯」(ごしきりゅうし)と呼ばれるナウマンゾウの臼歯 の化石が宝物として保存されている。
脚注
^ a b Makiyama, J., 1924: Notes on a Fossil Elephant from Sahama, Totomi. Memoires of the College of Science, Kyoto Imperial University, Series B, vol.1, no.2, pp.255 - 264, pls.12 - 16.
^ 川崎悟司イラスト集・ナウマンゾウ
^ a b 信濃町産業観光課, 野尻湖発掘とナウマンゾウ part 1
^ a b 三枝春生, ナウマンゾウの祖先をエチオピアで掘る , 標本とむきあう
^ 高橋啓一「ナウマンゾウ研究百年 」『琵琶湖博物館研究調査報告』第35巻、滋賀県立琵琶湖博物館、2022年、1-253頁。
^ 『絶滅哺乳類図鑑』 193頁
^ 亀井節夫 「『日本の長鼻類化石』とそれ以後」、『地球科学』第54号 211 - 213頁。
^ 古泉弘 「武蔵野の開拓者」 竹内誠 ・古泉弘 ・池上裕子 ・加藤貴 ・藤野敦 『東京都の歴史』山川出版社 2003年 (平成 15年)1月 10 – 16ページ
^ 高橋啓一 「ナウマンゾウは津軽海峡を泳いで渡ったか」/ 化石研究会編『化石から生命の謎を解く -恐竜から分子までー』 - 朝日新聞出版 2011年 (平成23年) 136 - 139ページ
参考文献
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
ナウマンゾウ に関連するカテゴリがあります。
外部リンク