ナチ党の闘争歌ナチ党の闘争歌(ドイツ語:Kampflieder)は、国民社会主義ドイツ労働者党(以下、ナチ党)によって作られた歌や行進曲である。これらナチ党闘争歌の歌詞の内容は、主に愛国主義、民族主義の他、党首(総統)であるアドルフ・ヒトラーへの礼賛や反ユダヤ主義、反共産主義に基づく。 ナチ党の闘争歌は、党のために作曲された歌曲と、ナチ党が多用し、ナチズムと結びつけた古い(第一次世界大戦前の)愛国歌、古謡、民謡などが、しばしば混同されることがある。特に、1841年に書かれた『ドイツの歌(Das Lied der Deutschen)』については、その傾向が顕著である。 1922年にワイマール共和国の国歌となったが、ナチス・ドイツ時代には、1番の歌詞のみが歌わされ、その後はナチ党歌の「ホルスト・ヴェッセルの歌」が演奏された[1] 。 現在、ドイツ、オーストリア国内におけるナチ党歌曲の演奏、歌唱は違法であり、最高3年の懲役刑に罰せられる。 突撃隊の闘争歌1933年以前の突撃隊の闘争歌の多くは、古謡や軍歌などの替え歌を採用していたが、後に、ドイツ共産党の赤色戦線戦士同盟の革命歌の替え歌も行われるようになった。 第一次世界大戦中の軍歌である「闘争へ(Auf, Auf Zum Kampf)」は、大戦後、共産主義者の間でカール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクを称える歌詞の替え歌で革命歌として歌われていたが、ナチ党でも1930年にヒトラーを称える内容の歌詞の替え歌で突撃隊の闘争歌として採用された[2]。 また、「兄弟よ、太陽へ、自由へ(Brüder, zur Sonne, zur Freiheit)」(日本語版では「憎しみの坩堝」として知られる)のソビエトの革命歌を替え歌にした『鉱山と炭鉱の同志よ(Brüder in Zechen und Gruben))[3]』等も存在する。 『ホルスト・ヴェッセルの歌』→「旗を高く掲げよ」も参照
「旗を高く掲げよ(Die Fahne Hoch)」としても知られる『ホルスト・ヴェッセルの歌(Horst-Wessel-Lied) 』は、ナチ党の正式な党歌である。歌詞は、ドイツ共産党員によって殺害された、突撃隊指導者のホルスト・ヴェッセルによって作詞された詞に由来する。彼の死後、ナチ党はホルスト・ヴェッセルを「党の殉教者」として宣伝し、この曲が作曲され、党員の間で広く歌われた[4]。 編曲版として『ホルスト・ヴェッセル追悼行進曲(Horst Wessel Gedenkmarsch)』等がある[5]。 現在、この曲は、ドイツ、オーストリア国内において研究目的以外での演奏、歌唱は禁止されている。 『ミュンヘンの死に誓ふ』『ミュンヘンの死に誓ふ(In München, sind viele gefallen)[6]』はミュンヘン一揆を題材に、一揆に倒れた党員の追悼歌として作曲された。 下記は正式な訳文ではない。
『国民社会主義者の闘争歌』『国民社会主義者の闘争歌(Kampflied der Nationalsozialisten)[7]』は、『我等、鉤十字の軍勢(Wir Sind Das Heer Vom Hakenkreuz)』の替え歌で、初期のナチ党で歌われた。歌詞はナチ党員のKleo Pleyerによって作詞されたが、原曲は、1811年にAlbert Methfesselによって作曲された伝統的な民謡『Stimmt an mit hellemhohenklang』の歌詞に基づいてる。その後、『ベルリン労働建児の歌』(Das Berliner Jungarbeiterlied)の歌詞(Herbei zum Kampf、ihr Knechte der Maschinen)が曲に追加された。 ナチス時代、この曲はカール・ウォイチャッハのオーケストラ演奏により録音され、両方の曲が組み合わされ「Kampflied der Nationalsozialisten /HerbeizumKampf」として演奏された。 また、この曲は後に、ソビエト空軍において『スターリンの航空行進曲(Марш сталинской авиации»)』として1921年にЮлий Абрамовичによって編曲された。 『同志達よ、鳴り響かせよ』『同志達よ、鳴り響かせよ(Kameraden lasst erschallen)[8]』は、1914年にカール・ミュールベルガー(Karl Mühlberger)によって作詞された『皇帝猟歌(Kaiserjägerlied)』の突撃隊による編曲である。 歌詞はベルリンの突撃隊により作詞された為、『ベルリン第67中隊/第5連隊(Sturm 67、Standarte 5)の歌』として知られる。 1930年代にエレクトローラ社によって録音された。 『脆い連中が戦慄する』ハンス・バウマンによる『脆い連中が戦慄する(Es zittern die morschen Knochen)[9]』は、比較的有名なナチ党の闘争歌の1つであり、ヒトラーユーゲントの闘争歌として採用された[10]。 元曲の歌詞(1932年作)は「"Denn heute gehört uns Deutschland / und morgen die ganze Welt"」(「今日はドイツ、明日は世界を獲得せん」)となっており、ナチ党政権掌握後の版(1937年作)では、「今日、ドイツは我々の声を聞く(Denn heute da hört uns Deutschland)」と歌詞が改訂された[11]。 『ヒトラーのインターナショナル』ナチ党は、労働者階級の獲得の為、社会主義者や共産主義者による革命歌や労働歌を採用し「インターナショナル」もその一つであった。 1930年までに、この労働歌のナチ党版が流通し、『ヒトラーのインターナショナル(Hitlernationale)』と名付けられた[12]。 ナチ党員の作曲家ハンス・バイヤーが、1930年のある日曜日の午後、ベルリン北部の労働者地区で行われた突撃隊による行進について、次のように語っている
『ヒトラー者』『ヒトラー者(Die Hitlerleute)[13]』は、 国家ファシスト党の党歌「ジョヴィネッツァ(Giovinezza、青春)」のナチ党による替え歌である。 下記は正式な訳文ではない。
『ヒトラー万歳』『ヒトラー万歳(Heil Hitler Dir)[14]』または、『ドイツよ目覚めよ(Deutschland Erwache)』、『ザクセンナチ党行進曲(Sachsenmarsch der NSDAP)』の別名のついたこの曲は、ドレスデンのナチ党員により作詞作曲された。この闘争歌は、1937年4月20日のヒトラー48歳の誕生祝賀会で(カール・ウォイトシャッハによって演奏された録音で)初演された。 脚注
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