ニッコロ・カネパ
ニッコロ・カネパ(Niccolò Canepa, 1988年5月14日 - )は、イタリア・ジェノヴァ出身の元オートバイレーサー。 2007年のFIM・スーパーストック1000カップのチャンピオン。2008年はドゥカティの公式テストライダーを務め、2009年から2010年にかけてはロードレース世界選手権に参戦した。 経歴初期1999年よりミニバイク選手権に参戦を開始する。2000年にはイタリアミニバイク選手権でシリーズ4位に入る。2002年にはイタリアスーパーストック600選手権とヤマハ・R6・Maxトロフィーに参戦を開始し、イタリア国内のモーターサイクル選手権での史上最年少ライダーとして注目を浴びる。2年間600ccクラスで戦ったあと、2004年から1000ccクラスにステップアップし、そこでも良い結果を残した。 2005年にはスーパーストック600のヨーロッパ選手権に参戦し、17歳でシリーズ4位の結果を残す。この年はスーパースポーツ選手権のレースにもいくつか出場した。2006年もヨーロッパスーパーストック600選手権に継続参戦し、怪我でシーズン最後の2レースを欠場したにもかかわらずシリーズ2位となった。 FIM・スーパーストック1000カップ ( 2007 )2007年、ドゥカティ・ゼロックス・ジュニアチームからドゥカティ・1098Sを駆ってFIMスーパーストック1000カップ(STK1000)にデビューすると、その活躍は瞬く間に周囲を驚かせることになる。最終戦マニクールの最終ラップ、ライバルたちを破ってデビューイヤーでのシリーズチャンピオンを決めた。シーズン終了後、ヘレスでドゥカティのMotoGPマシンのテストライドの機会を得たカネパは、そこでも周囲を驚かせる。初めてのマシンで、テストライダーのヴィットリアーノ・グアレスキと伊藤真一を上回るタイムを出し、レギュラーライダーのマルコ・メランドリのわずか0.4秒落ちのベストタイムを叩き出したのである。[1] ドゥカティのテストライダー ( 2008 )カネパの力強いパフォーマンスを受けて、ドゥカティは彼を2008年のMotoGPとスーパーバイクの両方のテストライダーとして雇うことを決めた。また、スーパーバイク世界選手権への3レースのワイルドカード参戦、MotoGPへの1レースの参戦が計画された。[2]7月にインディアナポリスで2日間おこなわれたMotoGPテストで、彼はトップタイムを記録している。[3]そのすぐ後にバレルンガでおこなわれたスーパーバイクのテストでは、2度SBKチャンピオンになったトロイ・ベイリスとほぼ同じタイムを出している。ベイリスのチームメイトのミッシェル・ファブリツィオよりは常に良いタイムを出していたため、カネパは2009年はスーパーバイクチームでベイリスの後継者となるのではないかと噂された。[4]その後SBK第9戦のブルノでワイルドカード参戦枠でデビューを果たし、初めての "スーパーポール" システム(1回きりの予選タイムアタック)で、カネパはセカンドロウに付ける活躍を見せた。しかし、9月初旬のムジェロでのスーパーバイクテストでクラッシュし、鎖骨と親指を複雑骨折した。これにより、予定されていたSBK第12戦・バレルンガへのワイルドカード参戦は中止となった。[5] MotoGPデビュー ( 2009 )結局2009年は250ccクラスからステップアップしてきたフィンランドのミカ・カリオと共に、ドゥカティのジュニアチームであるプラマック・レーシングからデスモセディチGP9を駆ってロードレース世界選手権・最高峰MotoGPクラスにデビューすることになった[6]。しかしチームメイトのカリオと比べるとカネパのパフォーマンスは伸び悩み、最下位近辺でのフィニッシュを続けることになった。10月6日には翌シーズンのシートをアレックス・エスパルガロに奪われてしまうことが発表され[7]、翌週のオーストラリアGPではフリー走行中に転倒して負傷、続く終盤2戦を欠場し、カネパの2009年シーズンはフル参戦ライダーとしては最下位となるシリーズ16位に終わった。 Moto2クラス ( 2010 )2010年シーズン、カネパはチーム・スコットと契約を結び、250ccクラス後継のMoto2クラスで出直しを図ることになった[8]。しかし資金面でのトラブルから第10戦チェコGPを前にチームは解散[9]。残ったスタッフで参戦を継続し、チェコGPにはスッター、1戦欠場後の第12戦サンマリノGPからはチーム名を変え「M・レーシング」としてビモータ、とシャシーを替えながら参戦を続けたが、カネパは第13戦アラゴンGPを最後にチームを去った[10]。結局このシーズン、カネパは1ポイントも獲得することはできなかった。 再びSTK1000へ ( 2011 )2011年シーズン、カネパはFIMスーパーストック1000カップに戻り、ゴーイレブンチームで新型カワサキ・ニンジャZX-10Rを駆ることになった[11]。 再びスーパーバイクへ2024年シーズンのスーパーバイク選手権の第9戦クレモナで引退試合を行い、20年のキャリアに幕を閉じた[12]。 ロードレース世界選手権 戦績
脚注
外部リンク |