パリ万国博覧会 (1937年)
1937年のパリ万国博覧会(せんきゅうひゃくさんじゅうななねんのパリばんこくはくらんかい、Exposition internationale des Arts et Techniques dans la vie moderne, Expo 1937)は、1937年5月25日から11月25日までフランスのパリで開催された国際博覧会(第2種一般博)である。 第二次大戦前最後の博覧会フランスやドイツ、イタリア、ソビエト連邦、スペイン、日本、アメリカなど世界各国から44ヶ国が参加し、185日間の会期中3104万人が入場した。パリで開催された国際博覧会では7回目となる。閉会から2年も経たずに勃発した第二次世界大戦前の不穏な世界状況を反映した万国博覧会だと評価されている。 当時、第一次世界大戦の敗北から急速に立ち直ったナチス率いるドイツと、共産主義国として諸外国に対して国力を見せつけようとしたソビエト連邦がヨーロッパにおける覇権を争っており、国際的な緊張が高まる中での開催であった。ドイツとソヴィエト連邦のパビリオンが向かい合って建てられていたことは象徴的である(写真参照)。また、当時はスペイン内戦のさなかであり、スペイン第二共和政政府によるスペイン館には、ピカソの『ゲルニカ』が出展された。 (参考)直前の国際状況 混乱当時経済不安と内政の混乱にあったホスト国のフランス館の建設が、労働者のストライキなどの影響を受けて大幅に遅れ、完成したのが開会後となるなど、波乱が多い博覧会でもあった。 展示内容などテーマは「近代生活における芸術と技術」(Arts et Techniques dans la Vie Moderne) 。 1878年パリ万国博覧会の際に建てられたシャイヨー宮が大改装されこの展覧会のためのパビリオンとなり、またセーヌ河岸には美術展示場としてパレ・ド・トーキョーが建設された。 生活に密着したテクノロジーの一つとしてラジオに焦点が当てられ、放送の仕組みの展示や、放送スタジオを備えたラジオ・パビリオンが建設された。また、テレビの実験も行われた。 1937年6月14日から閉会後の12月11日まで、音と水と光による芸術イベント「光の祭典」が開催された。各種パビリオンはライトアップされ、噴水や花火が会場を彩った。また、花火のBGMが、メシアン、オネゲル、ミヨー、イベール、フローラン・シュミット、ケックランなど、当時フランスで活躍していた18人の作曲家に委嘱された。この音楽ではシンセサイザーの先祖ともいえる電子楽器オンド・マルトノが活躍した[1]。メシアンが作曲したオンド・マルトノ6重奏曲『美しい水の祭典』はこのイベントのための音楽である。 日本からは、中島広吉が出展したゴールドグラス「唐草模様大鉢」が、ガラス工芸の分野では日本で初めて金賞を受賞[2]した。 日本の出品物審査の結果
以上 出典は「1937年巴里万国博覧会 政府参同事務報告」商工省商務局 昭和13年3月30日発行 脚注外部リンク
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