ヒース・アンドリュー・レジャー(Heath Andrew Ledger, 1979年4月4日 - 2008年1月22日)は、オーストラリア出身の俳優。
人物
オーストラリアでテレビ・映画に出演した後、1999年に『恋のからさわぎ』でハリウッドデビューを果たす。当初はアイドル路線的な注目だったが、ほどなくして本人がこの路線を拒否し、以後出演作品を選ぶようになった。
『ブロークバック・マウンテン』(2005年)の演技が絶賛され、26歳でアカデミー主演男優賞にノミネート[1]、一躍若手演技派俳優と目されるようになった。
その後も順調にキャリアを重ねていったが、2008年、睡眠薬などの薬物併用摂取による急性薬物中毒により急死した。死後、『ダークナイト』(2008年)の演技により、アカデミー助演男優賞を受賞した。28歳での同賞受賞は、史上4番目の若さだった。
生い立ち
1979年4月4日、西オーストラリア州パースにて生まれる。ファーストネームのヒースはエミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』の主人公ヒースクリフに由来する[2]。父親のキム・レジャーはレーサー兼鉱山エンジニア、母親のサリー・レジャー(旧姓レンショー)はフランス語教師だった。
レジャー家はスコットランド人とアイルランド人の血を引くパースでは有名な家系で、先祖は「レジャー・エンジニアリング・ファウンドリー」という鋳物工場を経営して、パースからカルグーリーへ至る有名なパイプライン建設の際には原材料を供給していた。また、ヒースの曾祖父の名前を冠した団体「サー・フランク・レジャー慈善信託」は、地元の大学に対して、講師を招いたり才能ある学生へ奨学金を支給するために財政援助をしており、地域の人々から尊敬を集めている[3][4]。
ヒース・レジャーが11歳の時に両親は離婚した[5]。その後、父親はエマ・ブラウンと、母親はロジャー・ベルと再婚した。兄弟には実姉(ケイト)と異母妹(オリヴィア)、異父妹(アシュリー・ベル)がいる[6]。
学生時代はホッケー選手として活躍し、演劇部の部長を務めた。飛び級で16歳の時に高校を卒業。
キャリア
オーストラリア時代
10歳の時に地元の劇団に所属し、オーストラリア国内の舞台やテレビに出演。小さい役ながら1992年公開の『Clowning Around』に出演している。1996年、オーストラリアのテレビドラマ『Sweat』でレギュラー役をつかむ。番組自体あまり人気がなく、また役柄がゲイ役だったこともあり、この頃、街中で嫌がらせや、いじめを受けることもあったというが、彼の演技は業界関係者の注目を浴び、これが本格的なキャリアの出発点となった[7]。その後、1997年公開のオーストラリア映画『ブラックロック』で本格的に映画デビューを果たし、同年に全米放送のテレビシリーズ『Roar』でさらに注目を集めた。
ハリウッド進出
1999年公開の『恋のからさわぎ』でハリウッドに進出。この映画の成功で、ヒース・レジャーのもとにはアイドル路線的な役柄のオファーが殺到するようになったが、本人がこの路線を拒否し、エージェントにはシリアスで重みのある役柄を演じたいと申し入れた。しかし、大した実績もない駆け出しの若手俳優にそうしたオファーがそうそう来るはずもなく、その後ほぼ1年間、本人いわく「ヌードルと水」だけの貧窮生活を送ることになった[8]。
2000年、ヒース・レジャーは『パトリオット』に出演してメル・ギブソンの息子役を演じた。この映画の評価自体は二分されたものだったが、レジャー自身は「メジャーなスターになれるだけの才能とルックスを備えている」と評価されるなど、その演技は好感をもって受け入れられた[9]。
2001年公開の『チョコレート』では、ビリー・ボブ・ソーントンの息子役を演じた。冒頭40分足らずの出演であったが、その演技は「短いながらも強烈な存在感」との批評を得るなど[10]、単なる若手アイドル俳優ではないことを示した。ダニエル・デイ=ルイスも、後年の全米映画俳優組合賞での追悼スピーチの中で、『ブロークバック・マウンテン』とともにこの映画での彼の演技を讃えている。
2001年公開の『ROCK YOU!』でハリウッド作品に初主演する。この作品は全米興行収入初登場1位を記録、約5600万ドルのヒットとなりトップスターの仲間入りを果たす。この年のピープル誌の「最も美しい人物50人」にも選出された。その後も『サハラに舞う羽根』や『ケリー・ザ・ギャング』、『ブラザーズ・グリム』など、様々なジャンルの映画に出演した。これらの映画において、ヒース・レジャーの演技はそれなりに評価される向きもあったものの、映画自体の興行がいずれもふるわず、また批評家からの作品レビューも辛辣なものがあった。
『ブロークバック・マウンテン』
2004年製作、2005年公開の映画『ブロークバック・マウンテン』にイニス・デルマー役として出演した。ヒース・レジャーは、せりふの少ないこの主人公の20歳から40歳近くまで20年に及ぶ役柄を、わずかなメイクと、あとは歯を食いしばるようなしゃべり方や声の調子を変えることで演じた。抑制的な、ときに激情を爆発させる彼の演技は、批評家からマーロン・ブランドやショーン・ペンのそれに比せられるなど、手放しの絶賛を受けた。
ヒース・レジャーはこの役でニューヨーク映画批評家協会賞などを受賞。また、史上9番目(26歳と302日)の若さでアカデミー主演男優賞にノミネートされ、映画芸術科学アカデミーの会員に招待された[11]。
『ブロークバック・マウンテン』は2005年度の各映画賞を総なめにした。また、当初全米で5館のみという上映であったが次第に上映館を増やし、興行収入もこの種の映画では考えられないほど記録的なものになった。
『ブロークバック・マウンテン』以後
『ブロークバック・マウンテン』の後、ロマンティック・コメディ映画『カサノバ』に出演した。作品自体評価のあまり高くないドタバタ喜劇で、「レジャーのカリスマ性と知性は、発想が陳腐で演出も不器用なこのバロック風駄作には、もったいなさすぎる」(『英タイムアウト誌』)[12][13]と、前作で名声を得た彼がこうしたB級映画に出ることを惜しむ批評もあったが、レジャー自身はこの映画の出演を楽しんだ。
2006年公開のオーストラリア映画『キャンディ』では、ドラッグに溺れる詩人志望の役柄を演じた。映画自体は『ブロークバック・マウンテン』以前に撮られていたが、公開は2006年まで先延ばしにされていた。低予算で作られた映画だったが、『ブロークバック・マウンテン』以降のヒース・レジャーの人気もあって、公開されるとそれなりの興行収入を叩きだした。彼の演技も「レジャーは、まっすぐに生きられない人間を、傑出した才能で演じた」「彼は冒頭からキャラクターになりきっている」(『ニューヨーク・タイムズ』)[14]と評されるなど、批評家から高い評価を受けた。
2007年公開の『アイム・ノット・ゼア』では、ボブ・ディラン役を演じる6人の俳優の1人として出演した。この映画がヒース・レジャーの生前に公開された最後の映画となった。
『ダークナイト』
2008年の死後に公開された『ダークナイト』では主人公バットマンの宿敵ジョーカーを演じた。ヒース・レジャーは、1か月間ロンドンのホテルにひとりきりで閉じこもり、ジョーカー独特の声や笑い方を作り上げるなどして圧倒的な役作りで撮影に臨み[15][16][17]、ジャック・ニコルソンとはまた違ったジョーカー像を創造することに成功し、批評家から高い評価を得た。
この作品で彼はアカデミー助演男優賞、ゴールデングローブ賞 助演男優賞、英国アカデミー賞 助演男優賞など主要映画賞を総なめにした。故人のアカデミー賞受賞は、ピーター・フィンチ以来32年ぶり2例目となる。アカデミー授賞式には亡き本人に代わり、両親と姉が出席。父親のキム・レジャーは、「息子の演技を評価していただき、ありがとうございます」と礼を述べた。また、関係者にも感謝の意を伝え、「息子は映画の世界を愛していました」とメッセージを送った[18]。また、同助演男優賞の中では史上4番目(28歳と324日)の若さでの受賞となった。
死亡時、テリー・ギリアム監督作『Dr.パルナサスの鏡』の撮影途中であったため、ジョーカーを演じた『ダークナイト』が遺作になるものとみられていたが、親友のジョニー・デップ、コリン・ファレル、ジュード・ロウが代役の出演を快諾して製作の続行が可能になり、無事に完成し公開された。なお、本作でのヒースの演技はカット・加工されることなく予定通り使用された。さらに、ヒースの代役を務めた3人は出演料のすべてを娘のマティルダに寄付した[19]。
監督活動
ヒース・レジャーは映画監督業にも興味があり、生前いくつかのミュージックビデオでは監督をつとめている。2006年には、オーストラリアのヒップホップアーティストN'faのシングル「Seduction Is Evil (She's Hot)」[20][21]やベン・ハーパーのシングル「Morning Yearning」のミュージックビデオを監督した[22][23]。
突然の死
2008年1月22日、ヒースは映画『ダークナイト』の完成を待たずに、マンハッタンの自宅アパートで全裸状態の遺体が発見された[24][25]。28歳没。前年11月頃から不眠症となり、「とても疲れているのに2時間程しか眠れない」と映画『ダークナイト』出演に際してのインタビューでは睡眠薬服用を公言している。また、インタビュー時期は自身の婚約解消と別居が重なる時期でもあった。当時はインフルエンザにもかかっており、薬の併用摂取(特定の薬物を過剰摂取したわけではない)による急性薬物中毒による事故死だった[26]。
1月26日にロサンゼルスで、2月9日に地元パースの学校で葬儀が行われた。
当初は、睡眠薬の過剰摂取による自殺と見られていたが、最近になって、ドラッグによる中毒死だと報道された。 ヒースは、友人であり、同じく、ドラッグ中毒によって死亡したフィリップ・シーモア・ホフマンに、自身の麻薬依存症について相談している[27]。
私生活
2001年から2002年まではヘザー・グラハム、2002年から2004年まではナオミ・ワッツと交際。『ブロークバック・マウンテン』で共演した女優ミシェル・ウィリアムズと2005年に婚約。同年10月28日に長女マティルダ・ローズが誕生したが、2007年9月に婚約解消[28]。その後はヘレナ・クリステンセン[29][30]、ジェマ・ワード[31]、メアリー=ケイト・オルセン[32]とも交際の噂があった。
評価
- 映画評論家のピーター・トラヴァースは、雑誌『ローリング・ストーン』誌上での『ブロークバック・マウンテン』のレビューにおいて、「レジャーの壮麗な演技は、まさに演技における奇跡である」と述べ、「レジャーは彼(イニス)がどう動くか、どんな喋り方や動き方をするかを理解しているだけではなく、どう呼吸するかまで理解している」と評した[33]。
- 作家、音楽・映画批評家、詩人のステファン・ホールデンは、『ニューヨーク・タイムズ』紙上での『ブロークバック・マウンテン』のレビューにおいて、「レジャー氏の演技は、マーロン・ブランドやショーン・ペンの最良の演技に匹敵するくらい、偉大な演技である」と評した[34]。
- ダニエル・デイ=ルイスは、ヒース・レジャー死去直後の2008年全米映画俳優組合賞、主演男優賞の受賞スピーチにおいて、自分に映画界復帰の気持ちを与えてくれた俳優としてヒース・レジャーの名前を挙げ、「『ブロークバック・マウンテン』での彼の演技は、比類なく、完璧でした」と語り、「映画の最後のあのトレーラーの場面は私が今まで見た全てのシーンのどれにも引けを取らないほど感動的でした」と述べて、賞をヒース・レジャーに捧げた[35]。
マスコミとの確執・あがり症
- マスコミ及びパパラッチ嫌いであり、『キャンディ』の撮影現場にいたパパラッチにつばを吐いたことがきっかけ(ヒース側は否定)で[36]、2006年1月にシドニーで行われた『ブロークバック・マウンテン』のプレミアのレッドカーペットで、パパラッチに水鉄砲で水をかけられた[37]。
- 『パトリオット』の最初のオーディションは、前作の出演から期間が空いていたこともあり、完全にしどろもどろになって失敗してしまった。レジャーは2001年に、「僕は本当にオーディションがダメなんだ」「ほんとに、本当にダメなんだよ。ひとに判断されるっていうのが。すごく意識しすぎてダメになってしまう。リラックスできなくて、ガチガチになる。声も緊張して固くなる。演技してるって事を意識しすぎてしまうんだ。なにしろ目の前に座ってる女性が、『撃タレタクナカッタラ、言ウコトヲ聞ケ』とかなんとか、紙に書いてある台詞を棒読みで読み上げるんだから。すごくやりにくいよ! 本当にいやなんだ」と語っている[38]。幸いキャスティング担当者が彼に女性ファンが多いことを知っていて、監督を説得して再挑戦させた。2度目のオーディションのときには、のちに『ブロークバック・マウンテン』で共演することになるジェイク・ジレンホールも参加していた。このときのオーディションでは見事に勝ち進んで、最後はライアン・フィリップとの対決を制して役を手に入れた。
- 第12回全米映画俳優組合賞(2005年度)で、ヒース・レジャーは、アンサンブル演技賞にノミネートされていた『ブロークバック・マウンテン』の紹介のために、ジェイク・ジレンホールと舞台に上がった。このとき、彼は緊張のあまり腰に手を当て、落ち着きなく、ときに意味のないくすくす笑いを発するなど挙動不審な行動を行った。この様子を『ロサンゼルス・タイムズ』紙が「明らかにゲイの人たちをからかっていた」と報道した[39]。この報道に慌てたレジャーは直接新聞社に電話して、自分の「あがり症(stage fright)」について告白した。そして「自分はたくさんの人を前にすると緊張するんだ」「自分の神経質さに対して大変申し訳なく、謝罪したい気持ちです。もし自分のあがり症のせいで、この映画や映画のテーマ、またこの映画の製作にたずさわった人たちを侮辱したと誤解されたのなら、それは本当に恐ろしいことです」と弁解した。また、腰に手を当てていたことも「子供の頃からの癖なんだ。僕の母に聞いてもらってもいい。たぶん緊張してそんな事をするんだと思う。自分はひどく落ち着きのない人間で、絶えず動き回ってて、じっと座ったり立ったりしてる事ができないんだ」と語った[40][41]。
- トーク番組やバラエティショーに出るのも苦手としていた。人気トーク番組『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』に出演したとき、本人いわく「『ヘイ!ジョークを思いついたよ!』なんて言わずに、ただそこにくそまじめに座って緊張して、ごく普通の人間みたいにしていたら、退屈で気の利かないやつって書かれたよ」とのこと[42][5]。
逸話
- 『パトリオット』で共演したメル・ギブソンとは親交があったものの、『ブロークバック・マウンテン』の出演を機にレジャーとの関係が疎遠になった。ギブソンはレジャーにゲイの役を演じないように忠告したが、彼がこの忠告を無視して『ブロークバック・マウンテン』への出演を決めたため、両者の関係は冷めてしまったという。ギブソンは超伝統主義カトリック教徒として知られ、道徳的にも極めて保守的な信条の持ち主であったため、レジャーが同性愛者の役柄を演じるのは受け入れがたかったと見られる[43][44]。
- ギブソンの代表作『マッドマックス』シリーズの4作目の制作企画が2001年~2003年頃にあった時、『パトリオット』以来の共演の可能性があった。ギブソンが演じた主人公マックスのDNAを受け継ぐ「息子」としての新しいマックス役で、ギブソン演じるマックスが過去のフラッシュバックで登場する形で共演するとされていた。また2014年にジョージ・ミラー監督はレジャーをキャスティングしようとしていた事を認めている。
- 『Dr.パルナサスの鏡』の出演オファーを1度は断るも、その後、自分から直接テリー・ギリアム監督のもとに出向いて前言を撤回。「ケータリング係でもいいから参加させてほしい」と頼んだ。
主な出演作品
映画
テレビ
主な受賞
関連書籍
脚注
出典
- ^ “Philip Seymour Hoffman Wins Best Actor: 2006 Oscars”. Oscars (2011年4月1日). 2020年12月16日閲覧。
- ^ allcinema ONLINEによるプロフィール
- ^ クリス・ロバーツ 著、上原裕美子 訳『ヒース・レジャー追悼写真集』ブルース・インターアクションズ、2010年、1頁。ISBN 4860203852。
- ^ Wills, Dominic (2008年). “Heath Ledger Biography”. en:Tiscali TV (UK). http://www.tiscali.co.uk/entertainment/film/biographies/heath_ledger_biog.html 2008年4月22日閲覧. "The Ledger name was well-known in Perth, the family having run a foundry that provided much of the raw material for the famous Perth to Kalgoorlie Pipeline ... The Sir Frank Ledger Charitable Trust, named after Heath's great-grandfather, was renowned for granting funds to the area's universities, paying for visiting lecturers and scholarships for gifted students."
- ^ a b Lipsky, David (2006年3月23日). “Heath Ledger's Lonesome Trail”. ローリング・ストーン. http://www.rollingstone.com/culture/news/heath-ledgers-lonesome-trail-rolling-stones-2006-cover-story-20110120 2011年2月5日閲覧。
- ^ Heath Ledger Biography Archived 2007年12月16日, at the Wayback Machine.
- ^ Duralde, Alonso「ヒース・レジャー-インタビュー『この愛を100%信じて演じた』」『yes』第2号、インフォレスト、2006年、pp. 7-8。
- ^ クリス・ロバーツ 著、上原裕美子 訳『ヒース・レジャー追悼写真集』ブルース・インターアクションズ、2010年、34頁。ISBN 4860203852。
- ^ ピーター・トラヴァース. “The Patriot”. ローリング・ストーン (rollingstone.com)
- ^ クリス・ロバーツ 著、上原裕美子 訳『ヒース・レジャー追悼写真集』ブルース・インターアクションズ、2010年、56頁。ISBN 4860203852。
- ^ http://www.oscars.org/press/pressreleases/2006/06.07.01a.html
- ^ クリス・ロバーツ 著、上原裕美子 訳『ヒース・レジャー追悼写真集』ブルース・インターアクションズ、2010年、101頁。ISBN 4860203852。
- ^ MH (2006-02-15/22). “Film Review Casanova (2005) - Movie review”. Time Out London (Time Out). http://www.timeout.com/film/reviews/83360/casanova.html 2011年1月28日閲覧。
- ^ クリス・ロバーツ 著、上原裕美子 訳『ヒース・レジャー追悼写真集』ブルース・インターアクションズ、2010年、103頁。ISBN 4860203852。
- ^ Dan Jolin (January 2008). “Fear Has a Face”. Empire 223: 87–88. http://www.empireonline.com/magazine/covers/image.asp?id=24227&gallery=1365&caption=%23223%20%28January%202008%29 2008年7月8日閲覧。.
- ^ Dan Jolin (July 2008). “The Dark Knight”. Empire 229: 92–100. http://www.empireonline.com/magazine/covers/image.asp?id=27819&gallery=1365&caption=%23229+%28July+2008%29 2008年8月18日閲覧。.
- ^ Olly Richards (2007年11月28日). “World Exclusive: The Joker Speaks: He's a Cold-blooded Mass-murdering Clown”. Empire. http://www.empireonline.com/news/story.asp?nid=21560 2008年8月18日閲覧。
- ^ “Heath Ledger Wins Supporting Actor: 2009 Oscars”. Oscars (2009年2月26日). 2020年12月16日閲覧。
- ^ AFPBB News (2008年2月19日). “ヒース・レジャー死去で撮影がストップしていたテリー・ギリアム監督映画が撮影再開”. 2008年2月21日閲覧。
- ^ “Seduction Is Evil”. Inertia Catalogue. inertia.net (2006年10月28日). 2007年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年3月5日閲覧。
- ^ Andrew Drever (2006年8月21日). “N'Fa: Frontman for 1200 Techniques May Be Doing Solo Work, But Everything's Cool”. The Age (Melbourne: theage.com.au): p. 2. http://www.theage.com.au/news/gig-previews--reviews/nfa/2006/08/21/1156012452247.html 2008年3月5日閲覧。
- ^ Lyall, Sarah (2007年11月4日). “Movies: In Stetson or Wig, He's Hard to Pin Down”. ニューヨーク・タイムズ. http://www.nytimes.com/2007/11/04/movies/moviesspecial/04lyal.html 2008年8月18日閲覧。
- ^ “Heath Ledger Teams Up with Ben Harper to Launch New Record Label”. Starpulse Entertainment News Blog. starpulse.com (2007年2月14日). 2008年3月5日閲覧。
- ^ “ヒース・レジャーが28歳で死去。NYの自宅にて全裸遺体で発見!”. 映画.com. (2008年1月24日). https://eiga.com/news/20080124/1/ 2022年9月14日閲覧。
- ^ James Barron (2008年1月23日). “Heath Ledger, Actor, Is Found Dead at 28”. The New York Times (nytimes.com). http://www.nytimes.com/2008/01/23/movies/23ledger.html 2008年4月27日閲覧。 、“Heath Ledger: The Times Obituary”. The Times (timesonline.co.uk). (2008年1月23日). http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/obituaries/article3237974.ece 2008年4月27日閲覧。
- ^ Sewell Chan (2008年2月6日). “City Room: Heath Ledger's Death Is Ruled an Accident”. The New York Times (cityroom.blogs.nytimes.com). http://cityroom.blogs.nytimes.com/2008/02/06/heath-ledgers-death-is-ruled-an-accident/ 2008年2月6日閲覧。 、Associated Press (2008年2月6日). “Heath Ledger Died of Accidental Overdose: 28-Year-Old Actor Had Oxycodone, Anti-Anxiety, Sleep Aids in His System”. MSNBC (Entertainment) (msnbc.msn.com). http://www.msnbc.msn.com/id/23029566/ 2008年3月17日閲覧。
- ^ https://moviewalker.jp/news/article/44233/
- ^ シネマトゥデイ (2007年9月4日). “ヒース・レジャー、ミシェル・ウィリアムズ破局”. 2007年9月20日閲覧。
- ^ “Supermodel's Last Call to Heath”. news.com.au (Herald Sun). (2008年1月24日). http://www.news.com.au/heraldsun/story/0,21985,23100669-5015809,00.html 2008年1月26日閲覧。
- ^ Robert Stansfield (2008年1月24日). “Helena Christensen Was On Way to See Heath Ledger”. Scottish Daily Record. p. 6. http://www.dailyrecord.co.uk/news/uk-world-news/2008/01/24/helena-christensen-was-on-way-to-see-heath-ledger-86908-20296307/ 2008年1月26日閲覧。
- ^ MovieWalker (2008年1月21日). “ヒース、新カノは同郷のスーパーモデル?”. 2008年1月23日閲覧。
- ^ Janet Fife-Yeomans (2008年1月25日). “Sorrow of Heath Ledger's Secret Love”. The Daily Telegraph. p. 4. http://www.news.com.au/dailytelegraph/story/0,22049,23105983-5001021,00.html 2008年2月6日閲覧。
- ^ ピーター・トラヴァース (2005年12月1日). “Review: Brokeback Mountain”. ローリング・ストーン (rollingstone.com). http://www.rollingstone.com/movies/reviews/brokeback-mountain-20091202 2011年1月22日閲覧。
- ^ Holden, Stephen (2005年12月9日). “Film Review - Brokeback Mountain - Riding the High Country, Finding and Losing Love”. ニューヨーク・タイムズ. p. 1. http://movies.nytimes.com/2005/12/09/movies/09brok.html 2011年1月22日閲覧。
- ^ Billington, Alex. “Daniel Day-Lewis Dedicates His SAG Award to Heath Ledger”. FIRSTSHOWING.NET. http://www.firstshowing.net/2008/daniel-day-lewis-dedicates-his-sag-award-to-heath-ledger/ 2011年1月22日閲覧。
- ^ World Entertainment News Network (2006年1月12日). “Ledger Slams Spitting Claims”. 2008年1月23日閲覧。
- ^ Australian Associated Press (2006年1月14日). “Sprayed Heath flies out”. 2008年1月23日閲覧。
- ^ クリス・ロバーツ 著、上原裕美子 訳『ヒース・レジャー追悼写真集』ブルース・インターアクションズ、2010年、35頁。ISBN 4860203852。
- ^ Elizabeth Snead (2006年1月30日). “Ledger's Strange SAG Behavior”. The Dish Rag (Blog) (ロサンゼルス・タイムズ). http://latimesblogs.latimes.com/thedishrag/2006/01/ledgers-strange.html 2008年1月23日閲覧。
- ^ Elizabeth Snead (2006年2月3日). “Heath Explains His SAG Giggles”. The Dish Rag (Blog) (ロサンゼルス・タイムズ). http://latimesblogs.latimes.com/thedishrag/2006/02/heath-explains-.html 2008年1月23日閲覧。
- ^ “Ledger in Damage Control”. The Age (Melbourne: theage.com). (2006年2月12日). http://www.theage.com.au/news/film/ledger-in-damage-control/2006/02/12/1139679468944.html 2007年8月17日閲覧。
- ^ Lipsky, David (March 2006). ローリング・ストーン (Rolling Stone) (996): p. 49.
- ^ “Heath Ledger's role in 'Brokeback Mountain' miffed Mel Gibson”. NYDailyNews.com. (2008年1月24日). http://www.nydailynews.com/gossip/2008/01/25/2008-01-25_heath_ledgers_role_in_brokeback_mountain.html 2011年2月2日閲覧。
- ^ “Report: Mel Gibson Distanced Himself From Heath Ledger After 'Brokeback Mountain'”. FOXニュース. (2008年1月25日). http://www.foxnews.com/story/0,2933,325567,00.html 2011年2月2日閲覧。
外部リンク
|
---|
1936–1940 | |
---|
1941–1960 | |
---|
1961–1980 | |
---|
1981–2000 | |
---|
2001–2020 | |
---|
2021–現在 | |
---|
|
---|
1968–1980 | |
---|
1981–2000 | |
---|
2001–2020 | |
---|
2021–2040 | |
---|
|
---|
1943–1960 | |
---|
1961–1980 | |
---|
1981–2000 | |
---|
2001–2020 | |
---|
2021–2040 | |
---|
|
---|
1994-2000 | |
---|
2001-2020 | |
---|
2021-2040 | |
---|
|
---|
1995 - 2000年 | |
---|
2001 - 2020年 | |
---|
2021 - 2040年 | |
---|
|
---|
1935–1940 | |
---|
1941–1960 | |
---|
1961–1980 | |
---|
1981–2000 | |
---|
2001–2020 | |
---|
2021–現在 | |
---|
|
---|
1977–1980 | |
---|
1981–2000 | |
---|
2001–2020 | |
---|