チャールズ・ロバート・レッドフォード・ジュニア(Charles Robert Redford Jr., 1936年8月18日 - )[1][2] は、カリフォルニア州サンタモニカ出身のアメリカ合衆国の俳優、映画監督、映画プロデューサー。サンダンス・インスティテュート(英語版)主宰。1970年代に、ハリウッド屈指の美男俳優として数多くの映画に出演。1980年、自身が監督した映画『普通の人々』でアカデミー監督賞を受賞、作品もアカデミー作品賞を受賞し、ハリウッドで初めて「演技と製作の双方で地位を確立した映画人」といわれた。
経歴
カリフォルニア州ロサンゼルス郡サンタ・モニカ出身。父親の仕事の都合で同ロサンゼルス郡バン・ナイズ(Van Nuys)に移る[3]。バンナイズ高校に入学。クラスメイトにメジャーリーグ投手のドン・ドライスデールがいた[3]。
高校を卒業後、野球の特待生としてコロラド大学に進学。投手として活躍するも、未成年での飲酒が発覚し特待生の資格を失ったことを機に中退[3]。その後画家の道を志しヨーロッパに渡り放浪生活を送る[3] も挫折しアメリカに戻る。ユタ州に移住してアメリカ演劇アカデミーで舞台美術を学ぶ[3] が途中から俳優に転向し1959年にブロードウェイでデビューした。
テレビドラマや舞台で小さな役を経験し1962年には初の映画出演を果たすも大きな役に恵まれず長年に及ぶ下積み生活を余儀なくされた。1969年、アメリカン・ニューシネマの傑作『明日に向って撃て!』に出演。ポール・ニューマンとの共演で話題を呼んだ本作は興業的に大成功を収め、レッドフォード自身も知的で信頼性があり、時に冷淡な雰囲気を醸し出す俳優として一躍スターダムに上り詰めた。
1970年代に入ると、ハリウッド屈指の美男俳優として数多くの作品に出演するようになり、1973年にはニューマンと再びタッグを組んだ映画『スティング』で主役の詐欺師を演じた。本作での軽妙な演技は高い評価を獲得し、第48回アカデミー賞では主演男優賞にノミネートされた上に作品自体は作品賞を受賞。その他にも、男女の哀しき恋愛を描いた映画『追憶』ではバーバラ・ストライサンド演じる理想主義な女性と恋に落ちる男を、ウォーターゲート事件を描いた政治サスペンス映画『大統領の陰謀』ではダスティン・ホフマン演じる若手記者と共に事件の究明を目指す後輩記者を熱演し、高い評価と人気を更に獲得していった。
1980年には監督業にも進出。初監督作品『普通の人々』で、処女作にもかかわらず、アカデミー監督賞を受賞。ハリウッドで初めて「演技と製作の双方で成功を収めた映画人」の地位を確立した。翌1981年、ユタ州のパークシティに若手映画人の育成を目的としてサンダンス・インスティテュートを設立。優秀なインディペンデント映画とその製作者を世に送り出すためにサンダンス映画祭を開催。現在は出演、監督、製作の面から映画に携わっている。
2013年、第66回カンヌ国際映画祭のコンペティション外で上映された『オール・イズ・ロスト 〜最後の手紙〜』(J・C・チャンダー監督)における演技が批評家と観客の双方から絶賛された。
同年、サンタバーバラ映画祭においてアメリカン・リヴィエラ賞を受賞した[4]。
2016年、大統領自由勲章を受章[5]。
2018年8月6日、俳優を引退すると表明したと報じられた[6]。
政治的スタンス
リベラル派で民主党支持者として知られ、環境問題、ネイティヴ・アメリカンやLGBTの権利[7]、芸術活動などに取り組んでいる。議会にはたらきかけるアドヴォカシー団体も支援した。同じリベラル派のポール・ニューマンとは、政治的スタンスも一致していた。
私生活
1959年に結婚し4人の子供をもうけるが(一人は乳児の時に死去)1985年に離婚。1990年代から同棲していた[8]女性と2009年に再婚した[9]。
ギャラリー
代表作品
出演
監督・製作
受賞歴
アカデミー賞
- 受賞
- 1980年度 アカデミー監督賞:『普通の人々』
- 2001年度 アカデミー名誉賞
- ノミネート
- 1973年度 アカデミー主演男優賞:『スティング』
- 1994年度 アカデミー作品賞、アカデミー監督賞:『クイズ・ショウ』
英国アカデミー賞
- 受賞
- 1971年 主演男優賞:『明日に向って撃て!』、『白銀のレーサー』、『夕陽に向って走れ』
- ノミネート
- 1995年 作品賞:『クイズ・ショウ』
ゴールデングローブ賞
- 受賞
- 1966年 有望若手男優賞:『サンセット物語』
- 1975年 ヘンリエッタ賞
- 1977年 ヘンリエッタ賞
- 1978年 ヘンリエッタ賞
- 1981年 監督賞:『普通の人々』
- 1994年 セシル・B・デミル賞
- ノミネート
- 1993年 監督賞:『リバー・ランズ・スルー・イット』
- 1995年 監督賞:『クイズ・ショウ』
- 1999年 監督賞:『モンタナの風に抱かれて』
- 2013年 主演男優賞(ドラマ部門):『オール・イズ・ロスト 〜最後の手紙〜』
- 2018年 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)『さらば愛しきアウトロー』
日本語吹き替え
主に担当したのは、以下の二人である。
- 野沢那智
- 『裸足で散歩』(東京12ch版)で初担当。最も多く吹き替えており、「(日本語吹き替え版の)レッドフォード役といえばこの人」と評されている[11]。
- 生前の野沢はレッドフォードについて「顔がきれいで印象を壊しちゃいけないから、タッチの強い台詞が言えない。いちばん難しい」と吹き替える上での難しさを度々語っており[12]、吹き替える際には「(マイクが4本あったら)一番右のマイクに行き、共演者の皆が見える所で演じると、フランクな気持ちになって、楽になってやりやすい」と野沢流の“作法”を明かしており、吹き替える上では独自のこだわりを持って務めていたという[13]。
- 広川太一郎
- 『雨のニューオリンズ』(日本テレビ版)で初担当。野沢の次に多く吹き替えている。
- 後年は担当する機会が減ったものの、『大統領の陰謀』(TBS版、先述の野沢も自身の持ち役の一人であるダスティン・ホフマンの吹き替えで広川と共演している)での“ダンディ広川”とも評される名演から「またもう一度、広川さんにあのダンディなお声でロバート・レッドフォードをアテて頂きたい」という当時のテレビ東京のプロデューサーの希望から『スパイ・ゲーム』は広川による新録吹替が制作されることもあった[14]。なお、同作はシリアスな作品であるにもかかわらず広川はいざという時のアドリブに備えて台本に多数のダジャレを書き込んでいたといい、共演者は「やっぱりすごいなぁと思いましたね」とそのプロ意識に驚嘆したとのこと[15][16]。
- アニメ『キャプテン・フューチャー』ではレッドフォードをモデルにした主人公カーティス・ニュートンの声を担当した。
このほかにも、菅生隆之や磯部勉、田中秀幸、勝部演之なども複数回、声を当てている。
関連書籍
- アンドリュー・アルバネーゼ/ブランドン・トリスラー編/佐々田雅子訳『グラデュエーションデイ ~未来を変える24のメッセージ』2007年4月。ISBN 9784903825007。本書にスピーチが収録。
脚注
関連項目
外部リンク
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