ピストン西沢
ピストン 西沢(ピストン にしざわ、1964年9月2日[2][1] - )は、日本のDJ[3]、ラジオパーソナリティ、リミックス・エンジニア。 本名:西澤 健(にしざわ けん)。愛称は、「ピス」、「ピス兄(ピスにい)」「ピスちゃん」など。座右の銘は「他力本願」。 来歴東京都目黒区祐天寺出身。成城大学経済学部中退。大学在学中からクラブDJを始め、ダンス・ミュージックやリミックスを多数手がける。 その後、DJ.ICHIRO名義で「ダンス☆マン&ザ・バンド☆マン」のリーダーとして活動。横浜のDISCO PLAZA CIRCUSでもDJをしていた。 音楽活動モーニング娘。(『LOVEマシーン』『恋のダンスサイト』など)を始め様々な歌手の楽曲を多数リミックスしており、ピストン西沢名義でネオンパーク『用がなければ帰ります』(1996年)、Valerie B.『Don't You Wanna Party?』(1998年)、広瀬香美『More More Love Winters』(2000年)など、これまでに数多くの作品にリミキサーとして参加している。 1998年 『Biohazard 2』のリミックス・アルバム『Biohazard 2 ReMix 〜met@morPhoses〜』を制作。2005年に綾小路きみまろの漫談とトランスをリミックスしたアルバム『きみまろトランス』で楽曲提供とリミックスを行い、第47回日本レコード大賞で企画賞を受賞。 2006年5月には福山雅治の楽曲を西沢がリミックスした企画アルバム『Fukuyama Masaharu ANOTHER WORKS remixed by Piston Nishizawa』が発売され、オリコンアルバムチャート初登場2位を記録。「HEAVEN」・「Dear」には、秀島史香がナレーションで参加している。 これらの他にも、当時のJ-WAVEナビゲーター(パーソナリティ)が多数参加するTechnotronic『Get Up!』のリミックスやSKOOP(現・Skoop On Somebody)『壊したい』の「GROOVE LINE Mix」(HMV渋谷で店頭配布)などがある。 2010年4月には「柄沢怜奈とお兄ちゃん」の「チンチンポンポン」というカバー楽曲にお兄ちゃんとしてゲスト参加・ボーカルを務めた。同楽曲ではプロデュースの他、リミックスも行った。 ラジオTOKIO HOT 100(J-WAVE)や横浜エフエム放送でディレクターとして仕事をしていたが、個性的なキャラクターとトークの器用さから1994年からナビゲーター(パーソナリティ)として番組に出演するようになる。横浜エフエム放送で仕事をしていたころの愛称が「ハマラジ」だったため、現在でも会話の中で「ハマラジ」の愛称を使うことがある。 1997年10月からJ-WAVE平日夕方のTHE VILLAGE Part2(火~金曜)を担当、1998年以降は同時間帯のGROOVE LINEおよびGROOVE LINE Zのナビゲーターとして2022年9月までの24年半にわたって出演を行っていた。同番組ではリスナーの投稿を基に、秀島史香をはじめとするアシスタントとのツインナビゲートでノンストップトークを展開、またMix Machineコーナーでは即興であらゆるジャンルの楽曲をDJミックスしていた。 番組内では公開放送に来ている観客や出演者をいじったり下ネタを振ったりすることが多く、開局時より音楽中心となる編成を行っているJ-WAVEとしては異質の番組であったため、GROOVE LINE終了の理由を「J-WAVEの憲法に反した」としている。 2009年12月からはGROOVE LINEと並行してニッポン放送『ピストン西沢のオールナイトニッポンGOLD』のレギュラーも開始。2011年3月まで放送された。自身としては初のAM局および全国ネットでのレギュラーとなった。 第48回ギャラクシー賞でDJパーソナリティ賞を受賞した[4]。 モータースポーツ車好きとして知られ、自動車雑誌に新車評を寄稿する他、ベストモータリングでは本人自ら出演もしている。その関係もあり、土屋圭市、鈴木亜久里、片山右京、川井一仁などのモータースポーツOB・関係者や伊藤大輔、本山哲、脇阪寿一を初めとするGTドライバーや今村陽一、熊久保信重などの全日本プロドリフト選手権ドライバーとも親交があり、業界内では顔が広い。日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員を務めるほか、レーサーとしてインテグラレース(2003年には予選3位を獲得)やスーパー耐久などに参戦するなどしている(自らをプロのアマチュアレーサーと称している)。2005年11月20日にツインリンクもてぎにて行われたスーパー耐久シリーズ第8戦ではTUBEの松本玲二と共にST4クラスに参戦、優勝。2007年はロータス・エリーゼのみのワンメイクレース、ロータスカップジャパンに参戦、全4戦中、3戦で優勝を飾った。 ハンバーガー2007年にバーガーキングが日本に再上陸した時、国内1号店である「新宿アイランドイッツ店」のグランドオープニングセレモニーにて、ファン代表として登場した[5]。 パスタ(ニューオークボの生パスタと乾麺)株式会社ニューオークボのHPにて、西沢自身が同社の生パスタ、乾麺の熱烈なファンとしてその魅力について語っている[6]。 またYouTubeでは、同社公式チャンネル[7]において西沢自身が同社パスタを用いて調理する動画が複数アップされている。 人物(参考:“ラジオ界の宝”ピストン西沢の「GROOVE LINE」、24年半の歴史に幕 「ラジオのために生まれてきた」)西沢の父は当時通産省の官僚であり、彼も父親が薦める企業に勤めるはずであったが、ディスコでDJをすることになった。『GROOVE LINE』の初代プロデューサーで当時を知る杉山博によれば、「彼がターンテーブルミックスを始めると客が集まってきてフロアがぎゅうぎゅうになるんです。とんでもなく人気のあるDJでした」と語る。また、西沢は自身について「小さい頃から今まで子どもが興奮しているような状態がずっと続いている。うるさい子どもだったと思うし、我慢しないと社会でうまくやっていけないことはわかっていたから、自分の能力でごはんが食べられるところを目指した」と語っている。 その後、横浜エフエムの深夜番組で喋り手となり、J-WAVEのパーティーでDJをした際、自らプレゼンして番組制作に携わるようになったという。杉山は「人気DJなのに、一から番組作りを学びたいと言ってADから始めました。努力家で、でも振り切った面白さがあるやつなんで、スタッフの中でも瞬く間に知れ渡り、裏方よりしゃべったほうがいいんじゃないか、となったんです。」と当時を語っている。 J-WAVEでの初出演番組『THE VILLAGE』の3週目くらいに、留守番電話にリスナーが入れた鼻歌の曲名を当てる企画を始めた。「それから番組がうまく回り出しました。僕は制作者としての勘が働いたから生き延びた。どうしたら面白くなるか、自分で矯正していったんでしょうね」と振り返る同コーナーは『GROOVE LINE』では「MUSIC RESQUE」として長年放送される事になる。 その『GROOVE LINE』は旧態依然の"More Music Less Talk"路線からは大きく異なり、ゲストをいじったり、リスナーとの電話を途中で切ったりと、やんちゃな番組は評判になった一方で歓迎しない人もいたという。現在のプロデューサーである松尾健司は、「ただ話しているのではなく、番組が面白いのか、リスナーは喜んでいるのか、スポンサーがどう思っているかまで、360度が見えている。そんな人はそうそういません」と評価し、西沢自身も「僕がディレクターとして自分を見たら、これだけラジオに合ってるやつはいないと思いますね。ラジオのために生まれてきたやつだとも言えます」と語っている。 放送出演現在の出演
過去の出演テレビ
ラジオ
映画出演
放送制作SONY MUSIC TV(Sony Music Access)で、音楽ディレクターを何度か勤め、かつてTOKIO HOT 100(J-WAVE)のディレクターだった。当時のアシスタントディレクターは、後に山梨放送やNACK5で活動することになるかかしのバカボン鬼塚。同番組が1000回を迎えた2007年12月2日には記念に出演[13]。かつてYOUGAKU-KINGDOM(J-WAVE)のプロデューサー。 雑誌連載TOKYO1週間 (講談社)- ピストン西沢のようこそ「こぶとり食堂」 著書
ゲームDJbox (ソニー・インタラクティブエンタテインメント)の開発に参加した。 音楽解説映画『Undercover Brother』のサウンドトラックCD『ディスコ・ブラザー Undercover Brother』の曲目解説を行った。 脚注出典
関連項目
外部リンク |