プリモ・カルネラ
プリモ・カルネラ(Primo Carnera、1906年10月26日 - 1967年6月29日)は、イタリアのプロボクサー、プロレスラー。フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州セクアルス出身[2]。元世界ヘビー級王者。 人物
来歴1928年にレオン・シーのスカウトでプロボクサー入り[3]。 1928年9月12日、フランスのパリでプロボクシングデビュー[3]。1930年から主戦場をアメリカに移した。 1932年11月18日、身長202cmで当時最も身長が高かったヘビー級ボクサーのホセ・サンタと対戦し、6回KO勝ち。 1933年2月10日、アーニー・シャアフと対戦し、13回KO勝ちを収めるが、シャアフは4日後に死亡した。 世界ヘビー級王者1933年6月29日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン・ボウルで世界ヘビー級王者ジャック・シャーキーに6回KO勝ちして王座を獲得。 1934年6月14日、3度目の防衛戦でマックス・ベアに11回TKO負けを喫し王座から陥落した。 1935年6月25日、ニューヨークのヤンキー・スタジアムでジョー・ルイスと対戦し、6回TKO負け。 1938年、糖尿病が悪化したため腎臓を除去した。 1939年3月13日、郵便局の事務員の女性と結婚した。 1945年、約8年ぶりにボクシングに復帰し、2回KO勝ちを収める。 プロレス転向1946年にプロレスラーに転向し、1946年8月22日にカリフォルニア州でプロレスデビュー。1948年7月8日にはフランク・セクストンの持つAWAボストン世界ヘビー級王座に挑戦し引き分ける[4]。 1950年ごろ、サンダー・ザボーと組んでNWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版)を奪取[5]。 1952年3月8日にはボストンにてルー・テーズの持つNWA世界ヘビー級王座に挑戦[6]。 1953年、アメリカ合衆国の市民権を取得して、ロサンゼルスに移住した。 1954年7月17日にはフレッド・ブラッシーの持つNWA南部ヘビー級王座(ジョージア版)に挑戦[7]。 1955年には日本プロレスに来日して力道山と対戦している、4月27日には レオ・ノメリーニの持つNWA世界ヘビー級王座に再挑戦、5月10日にはタッグでキンジ渋谷と対戦[8]。 1956年11月28日にはロサンゼルスでボボ・ブラジルと組んでNWAインターナショナルTVタッグ王座(ロサンゼルス版)を奪取[9]。 1957年には世界ヘビー級王座(ヨーロッパ版)(ジョージ・ハッケンシュミットが捲いたベルト)を奪取[10]。 1959年3月11日にはハワイでNWAハワイヘビー級王座に挑戦[11]。 1961年5月12日シカゴにてバディ・ロジャースの持つNWA USヘビー級王座に挑戦[12]、8月22日にはフレッド・ブラッシーの持つWWA世界ヘビー級王座に挑戦[13]、翌年の1962年2月22日にも再戦[14]。 バッド・シュールバーグの小説「殴られる男」は、カルネラをモデルに書かれた[15]。後にマーク・ロブソン監督、ハンフリー・ボガート主演で映画化された。 1967年6月29日、肝臓病と糖尿病の合併症により死去。 1990年、世界ボクシング殿堂入り。2019年にはWWE殿堂のレガシー部門に迎えられた[16]。 得意技
獲得タイトル
脚注
関連項目外部リンク
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