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ヘンリエッタ・ナギョワ Henrieta Nagyová |
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基本情報 |
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国籍 |
スロバキア |
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出身地 |
同・ノヴェー・ザームキ |
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生年月日 |
(1978-12-15) 1978年12月15日(45歳) |
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身長 |
177cm |
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体重 |
60kg |
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利き手 |
右 |
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バックハンド |
両手打ち |
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ツアー経歴 |
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デビュー年 |
1994年 |
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引退年 |
2006年(2011年一時復帰) |
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ツアー通算 |
13勝 |
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シングルス |
9勝 |
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ダブルス |
4勝 |
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生涯通算成績 |
524勝372敗 |
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シングルス |
366勝234敗 |
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ダブルス |
158勝138敗 |
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生涯獲得賞金 |
$1,743,970 |
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4大大会最高成績・シングルス |
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全豪 |
4回戦(1998) |
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全仏 |
4回戦(1998・2001) |
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全英 |
2回戦(1998・2004) |
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全米 |
3回戦(1998・99・2001) |
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4大大会最高成績・ダブルス |
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全豪 |
2回戦(1997・98・2001・03) |
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全仏 |
ベスト8(2003) |
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全英 |
ベスト8(2001) |
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全米 |
ベスト8(2002) |
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キャリア自己最高ランキング |
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シングルス |
21位(2001年9月17日) |
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ダブルス |
37位(2002年5月13日) |
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ヘンリエッタ・ナギョワ(Henrieta Nagyová, 1978年12月15日 - )は、スロバキア・ノヴェー・ザームキ出身の女子プロテニス選手。自己最高ランキングはシングルス21位、ダブルス37位。WTAツアーでシングルス9勝、ダブルス4勝を挙げた。身長177cm、体重60kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
来歴
両親とも化学技師の家庭に生まれたナギョワは、1994年1月に15歳でプロ入りした。1995年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのスロバキア代表選手になり、7月22日・23日に行われた「ワールドグループ2部・プレーオフ」の対パラグアイ戦で代表デビューを果たす。1993年にチェコスロバキアが連邦解体したことにより、チェコ共和国とスロバキア共和国が独立国家となり、「スロバキア」チームとしてのフェドカップ初参加は1994年であった。ナギョワはその最初期から、スロバキア女子の代表選手として不可欠な存在になった。1996年全仏オープンで4大大会に初出場し、同年9月22日にポーランド・ワルシャワ大会でツアー初優勝を達成。翌1997年は全豪オープンでメアリー・ジョー・フェルナンデスとの3回戦に進み、11月末のタイ・パタヤ市大会でツアー2勝目を挙げた。
ヘンリエッタ・ナギョワは1998年に、4大大会のシングルスで自己最高成績を出し、全豪オープンと全仏オープンの2大会連続で4回戦に進出した。全豪オープン4回戦では、第5シードのマリー・ピエルスから1ゲームも取れず、全仏オープン4回戦では第8シードのビーナス・ウィリアムズに 1-6, 1-6 で敗れた。ウィンブルドンでは、2回戦で左膝の故障による長期療養から復帰した第4シードのシュテフィ・グラフに敗れている。ナギョワはウィンブルドンが不得意で、初戦突破は1998年と2004年の2度だけであった。
2000年は女子ツアーで年間3勝を挙げ、シドニー五輪にもスロバキア代表選手として出場したが、シングルス1回戦でビーナス・ウィリアムズと当たってしまい、当時絶好調だったウィリアムズに 2-6, 2-6 で敗れた。2001年、ナギョワは全仏オープンで3年ぶり2度目の4回戦進出を果たす。この大会では、前年のシドニー五輪で女子シングルス銀メダルを獲得したエレーナ・デメンチェワを2回戦で破ったが、4回戦でベルギーの新鋭キム・クライシュテルスに 4-6, 6-4, 3-6 のフルセットで敗れた。結局、ナギョワは4大大会シングルスでベスト8に勝ち残ることができなかった。
2002年は、スロバキアがフェドカップで初優勝を果たした年である。それまで8年間スロバキア・チームの代表選手を務めてきたナギョワも、この優勝メンバーの一員であった。この年にテニス成績を伸ばしたダニエラ・ハンチュコバだけでなく、ナギョワやヤネッテ・フサロバも大きな役割を果たし、11月2日-3日の「ワールドグループ」決勝でスペインを「3勝1敗」で破って初優勝を決めた。ナギョワ自身は、2003年11月のタイ・パタヤ市大会が現役最後の優勝になった。2006年7月、ヘンリエッタ・ナギョワは27歳で現役を引退した。
ナギョワは引退から5年後の2011年に下部ツアーであるサーキット大会のダブルスに出場した。5大会に出場し2勝5敗の成績を残している。
WTAツアー決勝進出結果
シングルス: 14回 (9勝5敗)
大会グレード
|
グランドスラム (0–0)
|
ティア I (0–0)
|
ティア II (0–0)
|
ティア III (2–3)
|
ティア IV & V (7–2)
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結果
|
No.
|
決勝日
|
大会
|
サーフェス
|
対戦相手
|
スコア
|
優勝
|
1.
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1996年9月22日
|
ワルシャワ
|
クレー
|
バルバラ・パウルス
|
3-6, 6-2, 6-1
|
準優勝
|
1.
|
1997年7月27日
|
ワルシャワ
|
クレー
|
バルバラ・パウルス
|
4–6, 4–6
|
準優勝
|
2.
|
1997年8月3日
|
マリア・ランコヴィッツ
|
クレー
|
バルバラ・シェット
|
6–3, 2–6, 3–6
|
優勝
|
2.
|
1997年11月23日
|
パタヤ
|
ハード
|
ドミニク・ファン・ルースト
|
7–5, 6–7(6), 7–5
|
優勝
|
3.
|
1998年8月2日
|
ソポト
|
クレー
|
エレナ・パンポロバ
|
6-3, 5-7, 6-1
|
優勝
|
4.
|
1998年8月9日
|
イスタンブール
|
クレー
|
オリガ・バラバンシコワ
|
6-4, 3-6, 7-6
|
優勝
|
5.
|
1999年2月14日
|
プロスチェヨフ
|
カーペット (室内)
|
シルビア・ファリナ
|
7–6(2), 6–4
|
優勝
|
6.
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2000年5月14日
|
ワルシャワ
|
クレー
|
アマンダ・ホップマンス
|
2–6, 6–4, 7–5
|
優勝
|
7.
|
2000年7月16日
|
パレルモ
|
クレー
|
パブリナ・ノーラ
|
6–3, 7–5
|
優勝
|
8.
|
2000年11月12日
|
クアラルンプール
|
ハード
|
イバ・マヨリ
|
6-4, 6-2
|
準優勝
|
3.
|
2001年11月11日
|
パタヤ
|
ハード
|
パティ・シュナイダー
|
0–6, 4–6
|
準優勝
|
4.
|
2002年5月12日
|
ワルシャワ
|
クレー
|
エレーナ・ボビナ
|
3–6, 1–6
|
準優勝
|
5.
|
2002年7月27日
|
ソポト
|
クレー
|
ディナラ・サフィナ
|
3–6, 0–4 途中棄権
|
優勝
|
9.
|
2003年11月9日
|
パタヤ
|
ハード
|
ルボミラ・クルハイツォバ
|
6–4, 6–2
|
ダブルス: 10回 (4勝6敗)
結果
|
No.
|
決勝日
|
大会
|
サーフェス
|
パートナー
|
対戦相手
|
スコア
|
準優勝
|
1.
|
1995年9月13日
|
ワルシャワ
|
クレー
|
Denisa Krajčovičová
|
サンドラ・チェッキーニ ラウラ・ガローネ
|
7–5, 2–6, 3–6
|
優勝
|
1.
|
1997年5月4日
|
ボル
|
クレー
|
ラウラ・モンタルボ
|
マリア・ホセ・ガイダノ マリオン・マルスカ
|
6-3, 6-1
|
優勝
|
2.
|
2000年11月12日
|
クアラルンプール
|
ハード
|
シルビア・プリシュケ
|
リーゼル・ホーン ヴァネッサ・ウェッブ
|
6-4, 7-6(4)
|
準優勝
|
2.
|
2002年1月6日
|
オークランド
|
ハード
|
クベタ・ヘルドリコバ
|
ニコル・アレント リーゼル・フーバー
|
5–7, 4–6
|
準優勝
|
3.
|
2002年5月5日
|
ボル
|
クレー
|
エレーナ・ボビナ
|
タチアナ・ガルビン アンジェリク・ウィジャヤ
|
5–7, 6–3, 4–6
|
優勝
|
3.
|
2002年5月12日
|
ワルシャワ
|
クレー
|
エレナ・コスタニッチ
|
エフゲニア・クリコフスカヤ シルビア・タラヤ
|
6–1, 6–1
|
優勝
|
4.
|
2002年10月20日
|
ブラチスラヴァ
|
ハード (室内)
|
マヤ・マテブジッチ
|
メイレン・ツー ナタリー・ドシー
|
6–0, 6–4
|
準優勝
|
4.
|
2003年4月5日
|
カサブランカ
|
クレー
|
エレナ・タタルコワ
|
ヒセラ・ドゥルコ マリア・エミリア・サレルニ
|
3-6, 4-6
|
準優勝
|
5.
|
2004年7月25日
|
パレルモ
|
クレー
|
ルボミラ・クルハイツォバ
|
アランチャ・サンチェス・ビカリオ アナベル・メディナ・ガリゲス
|
3–6, 6–7
|
準優勝
|
6.
|
2005年4月30日
|
エストリル
|
クレー
|
ミハエラ・クライチェク
|
李婷 孫甜甜
|
3–6, 1–6
|
4大大会シングルス成績
- 略語の説明
W
|
F
|
SF
|
QF
|
#R
|
RR
|
Q#
|
LQ
|
A
|
Z#
|
PO
|
G
|
S
|
B
|
NMS
|
P
|
NH
|
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
※: 1999年全米3回戦の不戦敗は通算成績に含まない
外部リンク