マニー・コーパス
マヌエル・コーパス(Manuel "Manny" Corpas, 1982年12月3日 - )はパナマ共和国パナマシティ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴ロッキーズ時代1999年8月26日にコロラド・ロッキーズと契約。 2006年は、開幕前の3月に第1回WBCのパナマ代表に選出された[1]。この年は傘下AA級タルサ・ドリラーズで19セーブ、防御率0.98と好成績を残し、7月18日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。その後は中継ぎとして定着し、35試合に登板した。 2007年は78試合に登板し防御率2.08と好成績を残し、シーズン中盤には不調に苦しんでいたブライアン・フエンテスに代わりクローザーに定着すると、22セーブ機会で19セーブを記録。9月には月間最優秀救援にも選出され、ロッキーズのシーズン後半からプレーオフの大躍進に貢献した。 2008年は、4月に14試合登板した内の7試合で失点し、4月下旬から中継ぎに降格。シーズン通算では76試合に登板した。 2009年は、開幕前の3月に、第2回WBCのパナマ代表に選出され[2]、2大会連続2度目の選出を果たした。8月には右肘の炎症で60日間の故障者リストに入るなど、35試合の登板にとどまった[3]。 2010年は中継ぎとして56試合に登板したが、オフの11月16日に自由契約となった[3]。 レンジャーズ傘下時代2011年4月8日にテキサス・レンジャーズと契約[3]。この年はトミー・ジョン手術を受けたため、シーズンをリハビリに費やして全休した。オフの11月2日にFAとなった[3]。 カブス時代2012年は2年ぶりにメジャーに復帰して、48試合に登板した。オフの10月26日にFAとなった[3]。また11月には、母国パナマで行われた第3回WBC予選のパナマ代表に選出され[4]、3大会連続3度目の選出を果たした。 ロッキーズ復帰2013年1月9日に古巣のロッキーズとマイナー契約を結び、この年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[3]。開幕はAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスで迎えたが、6月にメジャーに昇格して31試合に登板した。オフの10月17日にFAとなった[3]。 2014年1月31日にロッキーズとマイナー契約で再契約を結んだ[5]。この年はAAA級コロラドスプリングスでも防御率5点台と精彩を欠き、メジャーに昇格することなく7月13日に解雇された[3]。 ロッキーズ退団後2015年4月2日にメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズと契約[3]。7月15日にトレードでオアハカ・ウォーリアーズに移籍[3]。 2016年2月17日にオアハカを自由契約となった[3]。6月19日に独立リーグ・アトランティックリーグのヨーク・レボリューションと契約。 2017年はヨーク・レボリューションと再契約したが、6月16日にシュガーランド・スキーターズと契約。 2018年5月1日にメキシカンリーグのラグナ・ユニオン・コットンファーマーズと契約。47試合に登板して6勝4敗の成績を残した。 2019年は、8月に独立リーグ・ペコス・リーグのベーカーズフィールド・トレイン・ロバーズに入団し[6]、8月14日に独立リーグ・アメリカン・アソシエーションのミルウォーキー・ミルクメンと契約。 2021年はアトランティックリーグのウエストバージニア・パワーに所属したが、防御率13.00と振るわず退団。その後はペコス・リーグのベーカーズフィールド・トレイン・ロバーズに復帰した。 2022年はペコス・リーグのマーティネズ・スタージョンで選手兼任監督としてプレーし[7]、20試合に登板して9勝3敗1セーブ、防御率4.26という成績を挙げた。 現役引退後2024年より、アトランティックリーグの新球団であるヘイガーズタウン・フライングボックスカーズの投手コーチに就任した[8]。 詳細情報年度別投手成績
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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