ミゲル・アンドゥハー
ミゲル・エンリケ・アンドゥハー(Miguel Enrique Andújar, 1995年3月2日 - )は、ドミニカ共和国サン・クリストバル州サン・クリストバル出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。MLBのオークランド・アスレチックス所属。本人の発音には「アンドゥーハル」が最も近い[要検証 ][2][出典無効]。 経歴プロ入りとヤンキース時代2011年7月にアマチュア・フリーエージェントでニューヨーク・ヤンキースと契約してプロ入り[3]。 2012年に傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキースでプレーし、50試合に出場して打率.232・1本塁打・19打点・1盗塁の成績を残した。 2013年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキース2でプレーし、34試合に出場して打率.323・4本塁打・25打点・4盗塁の成績を残した。 2014年はA級チャールストン・リバードッグスでプレーし、127試合に出場して打率.267・10本塁打・70打点・5盗塁の成績を残した。 2015年はA+級タンパ・ヤンキースでプレーし、130試合に出場して打率.243・8本塁打・57打点・12盗塁の成績を残した。 2016年はA+級タンパとAA級トレントン・サンダーでプレーし、2球団合計で130試合に出場して打率.273・12本塁打・83打点・3盗塁の成績を残した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、スコッツデール・スコーピオンズに所属した。11月18日にルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠入りを果たした[4]。 2017年は開幕をAA級トレントンで迎え、AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースを経て6月28日にマット・ホリデイが故障者リスト入りしたため、メジャー初昇格を果たした[5]。同日のシカゴ・ホワイトソックス戦にて「7番・指名打者」で先発出場し、この試合で4打数3安打4打点だった[6]。 2018年は開幕をAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースで迎えたが、4月1日にビリー・マッキニーが故障者リスト入りしたためメジャー昇格を果たした[7]。4月6日以降三塁手の定位置を確保し、6月にはア・リーグルーキー・オブ・ザ・マンスに選出された[8]。前半戦を打率.274 本塁打12本と新人王が狙える位置で折り返すと、後半戦に入り怪我により新人王を争う大谷翔平やグレイバー・トーレスの勢いが落ちる中で8月以降調子を上げてシーズン2度目のア・リーグルーキー・オブ・ザ・マンスに選出された[9]。9月29日のボストン・レッドソックス戦でジョー・ディマジオの持つ球団記録を破るシーズン45本目の二塁打を放った[10]。最終的には149試合の出場で打率.297、27本塁打、92打点、2盗塁を記録した。新人王投票では大谷翔平に敗れ次点となった[11]。 2019年は開幕をメジャーで迎え5番サードで開幕スタメン出場を果たしたが、3月31日の試合で右肩を痛め4月1日に10日間の故障者リスト入りをした。リハビリを経て5月4日に復帰するも復帰後9試合で打率.088と不振にあえぎ、5月13日に再び10日間の故障者リストに入る。5月15日に右肩関節唇の修復手術を受けることを発表し、シーズン中の復帰が絶望的になった。5月21日に10日間から60日間の故障者リストに移行した。 2020年は左翼手としてスプリングトレーニングから復帰した[12]。シーズンが始まるとオプションで代替トレーニングサイトに行くまでに14打数1安打(打率.071)だった[13]。 2022年も開幕から不振で、マイナーでの出場が主となった。6月には出場機会を求めてチームにトレードを要求したものの叶わず、9月22日にDFAとなった[14][15]。 パイレーツ時代2022年9月25日にウェイバー公示を経てピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[16]。 2023年1月20日にアンドリュー・マカッチェンの加入に伴いDFAとなり[17]、傘下AAA級インディアナポリス・インディアンズに配属された。 同年4月29日にアクティブ・ロースター入りした[18]。 アスレチックス時代2023年11月6日にウェイバー公示を経てオークランド・アスレチックスに移籍した[19]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
表彰
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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