ピエール・ジョセフ・プルードンはリヨンのミューチュエリスト(上述の労働団体)と関わりを持っていて、後に自分の教えを説明するためにこの名前を採用した[18]。『What Is Mutualism?』にてクラレンス・リー・シュワルツは、「ミューチュアリズム」という単語が1832年に英国作家のジョン・グレイによって初めて使用されたようだと同用語の起源を説明している[19]。1846年までに、プルードンは自著にてmutualitéを語っていた。遅くとも1848年には『Programme Révolutionnaire』で彼はmutuellismeという用語を使用していた。1850年、ウィリアム・バチェルダー・グリーンがミューチュアリズムという用語を使って、プルードンのものと類似する相互信用システムを説明した。1850年、米国の新聞「The Spirit of the Age」紙が、ジョシュア・キング・インガルズ[20]とアルバート・ブリスベン[21]によるミューチュアリズムのタウンシップという提案を、プルードン[22]、グリーン、ピエール・ルルーらの研究と共に公表した。
プルードンは1848年のフランス革命に驚かされた。彼は二月革命および「最初の共和党宣言」と彼が呼んだ新共和国の樹立に参加した。しかし、彼はジャック=シャルル・デュポンドルールが率いる新しい臨時政府については不安を抱いていた。プルードンは1849年に完成した「社会問題の解決(Solution du problème social)」という、改革に向けた自身の見解を発表し、 その中で彼は労働者間の相互金融協力計画を提示した。彼は、これが経済関係の支配を資本家や金融家から労働者に移すことになると信じていた。彼の計画の中心は、非常に低金利で信用貸付(クレジット融資)を提供する銀行の設立と、金に基づく貨幣の代わりに流通する交換手形の発行であった。
1850年以降、グリーンは労働改革に積極的になった[24]。彼は、メンバーの大半がプルードンの相互銀行制度を支持するニューイングランド労働改革同盟の副会長に選出された。そして1869年にはマサチューセッツ労働組合の会長になった[24]。彼はその後『Socialistic, Mutualistic, and Financial Fragments』(1875)を出版する[24]。彼はミューチュアリズムを「自由と秩序」の統合と見なしていた[24]。「アソシエーショニズムは[中略]個人主義によって阻まれる。[中略]「あなた自身の事業を心掛けよ」「あなた達が裁かれないとは判断するな」。例えば道徳的行為のような純粋に個人的な問題について個人は主権者であり、同じく彼自身の製造物についても主権者である。このため、彼は結婚において、彼女(結婚相手)自身の個人的な自由と財産につながる女性の平等権こと「相互性(ミューチュアリティ)」を要求する。[24]」
ミューチュアリズムの思想は、19世紀スペインに肥沃な土壌を見つけた。 スペインでは、プルードンの思想に触発されたラモン・デ・ラ・サグラが1845年にア・コルーニャで無政府主義の学術誌『El Porvenir』を創刊した[26]。カタルーニャの政治家フランセスク・ピ・イ・マルガイはプルードン作品の主要なスペイン語翻訳者になり[27]、1873年に共和派連邦の指導者として短期間だがスペイン大統領になった。ジョージ・ウッドコックによれば、「これらの翻訳は1870年以降、スペインの無政府主義の発展に深く永続的な影響を与えることになったが、その前にプルードンの思想は、ピ・イ・マルガイによって解釈されるように、1860年代初頭に沸き起こった連邦主義運動に対して既に多くの着想を与えていた」という[28]。ブリタニカ百科事典によると「1873年のスペイン革命の間に、ピ・イ・マルガイは分散化またはカントン主義の政治システムをプルードン思想の線上に確立しようと試みた」[26]。ピ・イ・マルガイは、特に『La reacción y la revolución(1855年以後の反動と革命)』『Las nacionalidades(1877年以後の国家)』『La Federación(1880年以後の連邦)』といった長編作品を通じて、彼自身が熱心な理論家となった。著名な無政府組合主義者のルドルフ・ロッカーによると「スペイン人労働者の最初の運動は、スペイン連邦の指導者でプルードンの弟子であるピ・イ・マルガイの思想に強く影響された。ピ・イ・マルガイは当時の傑出した理論家の一人であり、スペインのリバタリアニズム思想の発展に大きな影響を与えた。 彼の政治思想は、リチャード・プライス (哲学者)、ジョセフ・プリーストリー、トマス・ペイン、トーマス・ジェファーソン、および他の初期のアングロアメリカにおける自由主義の代表者のそれと多くの共通点があった。 彼は国家権力を最小限に抑えて、徐々に社会主義の経済秩序に置き換えたいと考えていた」のである[29]。
第一インターナショナルとパリ・コミューン
第一インターナショナルの歴史家G・M・ステクロフによると、1856年4月に「労働者の普遍的な同盟(Universal League of Workers)の設立を目的とするプルードン支持の労働者の代表団がパリから到着した。同盟の目的は労働者の社会的解放にあり、それは開催されたが、国際資本に反対する全ての土地の労働者組合によってのみ達成された。この代表団はプルードン支持団体の一つだったため、この解放はもちろん政治的手法に拠らず、純粋に経済的な手段によって、生産的かつ分配的な協同組合の基盤を通じて確保されるものとなった」[30]。ステクロフが続けて語るには「それは1863年の選挙で、労働者の候補者が初めてブルジョワ(中産階級)の共和体制主義者に反対して選挙に出たが、彼らは票数をほとんど得られなかった。[中略]労働者階級のプルードン主義団体(彼らの中でも、後に第一インターナショナルの設立に参加したのがMuratとTolain)が有名な60年マニフェストを発行し、それは非常に穏健なトーンながらも、フランス運動の歴史の転換点を記すものとなった。長年にわたって、ブルジョワの自由主義者は1789年の革命が階級の区別を廃止したと主張してきた。60年マニフェストは階級がまだ存在していると高らかに宣言した。その階級とはブルジョワジーとプロレタリアートであった。後者には階級特有の利害があり、労働者以外には誰も擁護するだけの信頼をもらえなかった。マニフェストより引導された推論は、労働者階級の独立した候補者がいなければ駄目だという事だった」[31]。
19世紀のミューチュアリストは自分自身をリバタリアニズムの社会主義者と見なしており[35]、今日でもそのように考えている[36]。互助に向けて取り組む一方で、ミューチュアリストは不平等の大部分が政府の介入によって作られた優遇条件の結果だと信じており、自由市場の解決策を支持している[37]。ミューチュアリズムは、古典派経済学と集団主義的な多様性がある社会主義との間にある中庸手法であり[38]、両方の特徴を備えている[39]。現代のミューチュアリスト、ケビン・カーソンはミューチュアリズムを自由市場の社会主義だと考えている。プルードンは、労働者が所有する協同会社および協同組合を支持した[40][41]。「我々には選択の余地がないのでためらう必要はない。[中略]労働者間の組合を形成する必要がある[中略]それがなければ、彼らは部下と上司としての関係を保ち、そして主人と賃金労働者という自由で民主的な社会を嫌うカースト2つが続くだろう」、だから「封建制に逆戻りする痛みに立って、全てのメンバーに平等な条件で、民主的な社会を形成することが労働者には必要になる」[42]。彼の著書『Studies in Mutualist Political Economy(相互主義政治経済学の研究)』の序論で、カーソンはこの研究を「個人主義的無政府主義の政治経済を復活させて過去100年間の有益な発展を取り入れ、21世紀の諸問題に関連させる試み」と説明している[43]。
ヨーロッパでは、プルードンの現代批評家は初期の自由意志共産主義者ジョセフ・デジャックであり[76][77]、彼はニューヨーク在住時の1858年6月9日から1861年2月4日に定期刊行物『Le Libertaire, Journal du Mouvement Social 』(リバタリアン、社会運動の学術誌)で彼の著書『L'Humanisphère、Utopie anarchique』(ヒューマニスフィア、無政府主義の理想郷)の連載をやり遂げた[78][79]。プルードンとは意見が異なり対立して「労働者が権利を有するのは労働の産物ではなく、その性質が何であれ、当人の要求を満足させるためだ」と彼は主張した[80][81][82]。そのプルードン批判において、デジャックはリバタリアンという単語をも作り、プルードンは単なる自由主義(リベラル)の穏健派であり、あらゆる形の権威と財産を放棄することによって「端的かつ完全な無政府主義者」になることを示唆している、と論じた[83]。それ以来、リバタリアンという言葉は労働の産物や生産手段における財産とともに私的および公的なヒエラルキーを拒否するこの一貫した無政府主義を説明するのに使用されている。リバタリアニズムは、無政府主義および自由意志社会主義(libertarian socialism)の同義語として頻繁に使用されている[84][85][86][87][88][89]。
^Avrich, Paul. Anarchist Voices: An Oral History of Anarchism in America, Princeton University Press 1996 ISBN 978-0-691-04494-1, p. 6
^Pierre-Joseph Proudhon, What Is Property?, p. 281.
^George Edward Rines, ed. (1918). Encyclopedia Americana. New York: Encyclopedia Americana Corp. p. 624. OCLC 7308909.
^Hamilton, Peter (1995). Emile Durkheim. New York: Routledge. p. 79. ISBN 0415110475.
^Faguet, Emile (1970). Politicians & Moralists of the Nineteenth Century. Freeport: Books for Libraries Press. p. 147. ISBN 0836918282.
^Bowen, James & Purkis, Jon. 2004. Changing Anarchism: Anarchist Theory and Practice in a Global Age. Manchester University Press. p. 24
^Knowles, Rob. "Political Economy from below : Communitarian Anarchism as a Neglected Discourse in Histories of Economic Thought". History of Economics Review, No.31 Winter 2000.
^Fourier, Charles, Traité (1822), cited in Arthur E. Bestor, Jr., "The Evolution of the Socialist Vocabulary", Journal of the History of Ideas, Vol. 9, No. 3 (Jun., 1948), 259-302.
^New-Harmony Gazette, I, 301-02 (14 June 1826) cited in Arthur E. Bestor, Jr., "The Evolution of the Socialist Vocabulary", Journal of the History of Ideas, Vol. 9, No. 3 (Jun., 1948), 259-302.
^Woodcock, George. Anarchism: A History Of Libertarian Ideas And Movements. Broadview Press. p. 100
^Dolgoff, Sam., Bakunin On Anarchy, Vintage Books, 1972, pp. 366.
^Horowitz, Irving (1964). The Anarchists. Dell Publishing. "Involved with radical politics and in his contact with the Marxists, [Proudhon] soon rejected their doctrine, seeking rather a middle way between socialist theories and classical economics".
^Proudhon, General Idea of the Revolution in the Nineteenth Century. Translated by John Beverly Robinson. New York: Haskell House Publishers, Ltd., 1923, 1969 [1851]. p. 243.
^Bookchin, Murray (1996), The Third Revolution: Popular Movements in the Revolutionary Era, Volume 2, A&C Black, p. 115, "Proudhon made the bright suggestion, in his periodical , that the mass democracy of the clubs could become a popular forum where the social agenda of the revolution could be prepared for use by the Constituent Assembly-a proposal that would essentially have defused the potency of the clubs as a potentially rebellious dual power."
^Lenin, Vladimir (April 1917). “The Dual Power”. 2019年12月28日閲覧。
^Guerin, Daniel (ed.) No Gods, No Masters, AK Press, vol. 1, p. 62
^The General Idea of the Revolution, Pluto Press, pp. 277, 281
^"Introduction", General Idea of the Revolution, p. xxxii
^Pierre-Joseph Proudhon and the Rise of French Republican Socialism, Oxford University Press, Oxford, 1984, pp. 156, 230
^Anderson, Edwin Robert. 1911. The Income Tax: A Study of the History, Theory and Practice of Income Taxation at Home and Abroad. The MacMillan Company. p. 279
^Burton, Richard D. E. 1991. Baudelaire and the Second Republic: Writing and Revolution. Oxford University Press. p. 122
^Corkran, John Frazer. 1849. History of the National Constituent Assembly, from May, 1848. Harper & Brothers. p. 275
^ abMartin, Henri, & Alger, Abby Langdon. A Popular History of France from the First Revolution to the Present Time. D. Estes and C.E. Lauria. p. 189
^Augello, Massimo M., Luigi, Marco Enrico. 2005. Economists in Parliament in the Liberal Age. Ashgate Publishing, Ltd. p. 123
^"Suppose that all the producers in the republic, numbering more than ten millions, tax themselves, each one, to the amount of only one per cent of their capital ... Suppose that by means of this tax a bank be founded, in Competition with the Bank (miscalled) of France, discounting and giving credit on mortgages at the rate of one-half of one per cent." Henry Cohen, ed. Proudhon's Solution of the Social Problem. Vanguard Press, 1927. pp. 118-19.
^Henry Cohen, ed. Proudhon's Solution of the Social Problem. Vanguard Press, 1927. p. 46.
^Woodcock, George (1962). Anarchism: A History of Libertarian Ideas and Movements. Meridian Books. p. 280. "He called himself a "social poet," and published two volumes of heavily didactic verse—Lazaréennes and Les Pyrénées Nivelées. In New York, from 1858 to 1861, he edited an anarchist paper entitled Le Libertaire, Journal du Mouvement Social, in whose pages he printed as a serial his vision of the anarchist Utopia, entitled L'Humanisphére."
^Déjaque, Joseph (21 September 1858). "l'Echange" (in French). Le Libertaire (6). New York.
^Pengam, Alain. "Anarchist-Communism". According to Pengam, D?jacque criticized Proudhon as far as "the Proudhonist version of Ricardian socialism, centred on the reward of labour power and the problem of exchange value. In his polemic with Proudhon on women's emancipation, Déjacque urged Proudhon to push on 'as far as the abolition of the contract, the abolition not only of the sword and of capital, but of property and authority in all their forms,' and refuted the commercial and wages logic of the demand for a 'fair reward' for 'labour' (labour power). Déjacque asked: 'Am I thus right to want, as with the system of contracts, to measure out to each-according to their accidental capacity to produce?what they are entitled to?' The answer given by D?jacque to this question is unambiguous: 'it is not the product of his or her labour that the worker has a right to, but to the satisfaction of his or her needs, whatever may be their nature.' [...] For Déjacque, on the other hand, the communal state of affairs?the phalanstery 'without any hierarchy, without any authority' except that of the 'statistics book'?corresponded to 'natural exchange,' i.e. to the 'unlimited freedom of all production and consumption; the abolition of any sign of agricultural, individual, artistic or scientific property; the destruction of any individual holding of the products of work; the demonarchisation and the demonetarisation of manual and intellectual capital as well as capital in instruments, commerce and buildings."
^Fernandez, Frank (2001). Cuban Anarchism. The History of a Movement. Sharp Press. p. 9. "Thus, in the United States, the once exceedingly useful term "libertarian" has been hijacked by egotists who are in fact enemies of liberty in the full sense of the word."
^"The Week Online Interviews Chomsky". Z Magazine. 23 February 2002. Retrieved 12 July 2019. "The term libertarian as used in the US means something quite different from what it meant historically and still means in the rest of the world. Historically, the libertarian movement has been the anti-statist wing of the socialist movement. In the US, which is a society much more dominated by business, the term has a different meaning. It means eliminating or reducing state controls, mainly controls over private tyrannies. Libertarians in the US don't say let's get rid of corporations. It is a sort of ultra-rightism."
^Ward, Colin (2004). Anarchism: A Very Short Introduction. Oxford University Press. p. 62. "For a century, anarchists have used the word 'libertarian' as a synonym for 'anarchist', both as a noun and an adjective. The celebrated anarchist journal Le Libertaire was founded in 1896. However, much more recently the word has been appropriated by various American free-market philosophers."
^Robert Graham, ed (2005). Anarchism: A Documentary History of Libertarian Ideas. Volume One: From Anarchy to Anarchism (300 CE-1939). Montreal: Black Rose Books. §17
^Marshall, Peter (2009). Demanding the Impossible: A History of Anarchism. p. 641. "The word 'libertarian' has long been associated with anarchism, and has been used repeatedly throughout this work. The term originally denoted a person who upheld the doctrine of the freedom of the will; in this sense, Godwin was not a 'libertarian', but a 'necessitarian'. It came however to be applied to anyone who approved of liberty in general. In anarchist circles, it was first used by Joseph Déjacque as the title of his anarchist journal Le Libertaire, Journal du Mouvement Social published in New York in 1858. At the end of the last century, the anarchist Sebastien Faure took up the word, to stress the difference between anarchists and authoritarian socialists".
^The persistent claim that Proudhon proposed a labor currency has been challenged as a misunderstanding or misrepresentation. See, for example, McKay, Iain. "Proudhon’s Constituted Value and the Myth of Labour Notes." Anarchist Studies. Spring 2017.
^Proudhon, Pierre-Joseph. What Is Property?. p. 118. "The purchaser draws boundaries, fences himself in, and says, 'This is mine; each one by himself, each one for himself.' Here, then, is a piece of land upon which, henceforth, no one has right to step, save the proprietor and his friends; which can benefit nobody, save the proprietor and his servants. Let these multiply, and soon the people [...] will have nowhere to rest, no place of shelter, no ground to till. They will die of hunger at the proprietor's door, on the edge of that property which was their birth-right; and the proprietor, watching them die, will exclaim, 'So perish idlers and vagrants'".
Journal of Libertarian Studies20 (1). This issue is devoted to Kevin Carson's Studies in Mutualist Political Economy and includes critiques and Carson's rejoinders.