ムハンマド・ブハリ (Muhammadu Buhari ムハンマドゥ・ブハリ 、1942年 12月17日 - )は、ナイジェリア の軍人 、政治家 。カツィナ州 出身のフラニ人 で、イスラム教徒 である。
1983年 12月31日 、クーデター でシェフ・シャガリ 文民 政権を打倒し、1985年 8月27日 までナイジェリアの国家元首 を務めるもイブラヒム・ババンギダ のクーデターによって打倒された。
2015年 3月31日 、ナイジェリア大統領選挙で、現職のグッドラック・ジョナサン を破り、大統領に当選した。[ 1]
軍歴
ブハリは1942年12月17日にカツィナ州で生まれ、1962年 に19歳でナイジェリアの陸軍士官学校に入学し[ 2] 、1962年から1964年 までイギリス のサンドハースト王立陸軍士官学校 で軍事訓練を受けた[ 3] 。
1975年 に誕生したムルタラ・ムハンマド 軍事政権の下では北東部州 (英語版 ) の州知事に任命され、1976年 に北東部州が解体されるとボルノ州 の初代知事を務めた。
1976年にオルセグン・オバサンジョ 軍事政権の下で石油・天然資源大臣に任命され、石油 のパイプライン や貯蔵インフラ の整備を推し進めた[ 4] 。1977年 には新設されたナイジェリア国営石油公社の総裁に任命されて1978年 までその地位にあった[ 5] [ 6] 。
1979年 から1980年 までアメリカ陸軍戦略大学 に留学して修士号 を授与された[ 7] 。
ブハリ主義
1983年 12月31日 に当時第3機甲師団 (英語版 ) の師団長だったブハリを中心とするナイジェリア軍将校がクーデターを起こし[ 8] 、民政移管で成立したシェフ・シャガリ 政権を打倒した。ブハリは国家元首である軍事評議会議長に就任すると、文民政権は絶望的なまでに腐敗し、社会から道徳 が失われたとしてクーデターを正当化した[ 9] 。
ブハリの政策はブハリ主義 (英語版 ) と呼ばれ[ 10] [ 11] 、特に「無規律との戦い (英語版 ) 」と称した国民キャンペーンによる綱紀粛正は熾烈さを極め、ナイジェリアの人々はバス停 やエレベーター で整列しなければ鞭打ち で罰せられ、軽微な犯罪でも死刑 に処された[ 12] 。報道の自由 を抑圧して罪状なしでも3ヶ月まで反対派を拘禁できる法案を通過させ[ 13] 、ストライキ やデモ は禁止され、1984年 10月までに汚職 を理由に約20万人の公務員を解雇して約500人の政治家や実業家が投獄され[ 14] [ 15] 、著名なミュージシャン で政治評論家でもあるフェラ・クティ に懲役10年の刑を宣告し、アムネスティ に政治的な弾圧であるとして非難を浴びた[ 16] 。また、国際通貨基金 (IMF)がナイラ を60%切り下げるよう要求したとき、IMFとの関係を断絶した。しかし、ブハリが自ら推進した経済改革はIMFが要求したものより厳格であった[ 17] [ 18] 。
1985年8月27日にイブラヒム・ババンギダによって打倒され[ 19] 、ブハリは1988年 までベニンシティ で拘留された。ブハリ支持者は、ブハリの政策がその規律正しさで具体的な成果を出し始めたゆえに腐敗した勢力に打倒されたと信じていた[ 20] 。
民主化後
釈放後、ブハリはサニ・アバチャ 政権下で石油信託基金の総裁に就任した[ 21] 。
民主化後、2003年にはブハリは全ナイジェリア人民党 から大統領候補として選挙に出馬したが[ 22] 、人民民主党の現職大統領オルセグン・オバサンジョに11万票差をつけられ敗北した。この結果に対し、ブハリは不正選挙がおこなわれたとして受け入れを拒否した。この後、ブハリは北部と軍の支持をバックに、保守派 の有力政治家となっていった。北部諸州がシャリーア を導入して連邦政府と対立した際には、ブハリは北部を支持してオバサンジョ大統領と対立を深めた。
2006年 の大統領選挙にも出馬したものの、いずれも次点に終わった。2006年の選挙では彼の対抗馬は同じカツィナ州出身のウマル・ヤラドゥア であり、ブハリの地盤とする北部票が蚕食される結果に終わった。得票はヤラドゥアの70%に対し、ブハリは18%にすぎなかった[ 23] 。ブハリはこの結果も受け入れを拒否した。選挙後、全ナイジェリア人民党はヤラドゥア政権入りを決めたが、ブハリはこれにも異を唱え、2010年3月には全ナイジェリア人民党から離党して新党である進歩変革会議 を結党した。
2011年 4月6日の大統領選挙においては、ブハリは有力候補とみなされていたものの、南部を地盤とした現大統領グッドラック・ジョナサン に100万票以上の差をつけられて大敗を喫し、またも次点に終わった[ 24] 。これにより、開票結果が発表された18日からブハリ支持者の多い北部を中心に暴動が勃発し、500人以上が死亡した[ 25] 。
大統領として政権復帰
2015年 3月31日 、大統領選挙で当選して現職のグッドラック・ジョナサン を破り、同年5月29日にナイジェリア第15代大統領に就任した。就任半年後の11月11日、組閣にこぎつけた[ 26] 。
2019年 2月23日 に実施された大統領選挙に勝利して再選した[ 27] 。
政策
経済
2015年8月、ブハリは財務省単一口座 (TSA)の導入を開始。これは、さまざまな政府準国家の歳入徴収 を一元化するために行われた。彼はTSAが連邦政府内の汚職 の削減に役立つと信じており、2017年2月までに納税者の納税額が5兆2,440億ナイラ 節約されたと見積もっている[ 28] 。
汚職対策
ブハリはムルタラ政権下から強い反汚職 を主張する人物として知られていた[ 29] 。1980年代に彼が行った無規律との戦いでは、腐敗 の根絶も方針に入っていた。2016年には、サニ・アバチャが登録したスイス 口座に潜む3億ドルの不正資金 を回収、ある程度の勝利を収めた[ 30] [ 31] 。
外交
ブハリはミャンマー国軍 によるロヒンギャ に対する弾圧を民族浄化、つまりジェノサイド であると述べ、ルワンダ虐殺 のような惨事が起こってしまうとミャンマーの軍事政権 を厳しく批判した[ 32] 。また、女性の権利 を擁護し、女性 と少女 に対する暴力を終わらせるための世界条約の締結を呼びかけた初めての大統領である[ 33] 。
脚注
^ “ナイジェリア大統領選挙について(外務大臣談話) ” (Apr 2015). 2015年4月2日 閲覧。
^ Obotetukudo, Solomon (2011). The Inaugural Addresses and Ascension Speeches of Nigerian Elected and Non elected presidents and prime minister from 1960 -2010. University Press of America. p. 90.
^ The Times, "US overtakes Britain at educating leaders" (September 5, 2019), pg. 19
^ "Nigeria's Oil Production on Increase." Afro-American (1893–1988): 16. 16 December 1978.
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