リシャール・ガスケ
リシャール・ガスケ(Richard Gasquet, 1986年6月18日 - )は、フランス・ベジエ出身の男子プロテニス選手。身長183cm、体重79kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。ATPランキング自己最高位はシングルス7位、ダブルス45位。これまでにATPツアーでシングルス16勝、ダブルス2勝を挙げている。 2004年全仏オープン混合ダブルス優勝者。2012年のロンドン五輪男子ダブルスで、ジュリアン・ベネトーとペアを組んで銅メダルを獲得。ホップマンカップ2017優勝。 シングルスではグランドスラムベスト4が3回、ATPツアー・マスターズ1000決勝に3度進出。ATPファイナルズに2度出場。2018年現在、フランス出身の選手としてはヤニック・ノアに次ぐ歴代2位の勝利数となっている。 選手経歴ジュニア時代4歳からテニスを始める。父親はテニスクラブの経営者で、母親もテニスコーチという恵まれた家庭に育ち、早くも9歳の時に「フランス・テニス・マガジン」1996年2月号の表紙に掲載されたことがあった。 2002年 プロ転向2002年全仏オープンと全米オープンのジュニア男子シングルス部門で優勝したことがあり、全米ジュニア決勝ではマルコス・バグダティスを破っている。
同年にプロ入り。モンテカルロマスターズではマスターズ1000で勝利を飾った最年少選手となる。年間最終ランキングは166位。 2004年 全仏混合ダブルス初優勝2004年全仏オープン混合ダブルス部門で、ガスケは同胞のタチアナ・ゴロビンとペアを組み、ウェイン・ブラック/カーラ・ブラック組を6-3, 6-4で破って初優勝。当時ガスケは18歳、ゴロビンは16歳で、2人の混合ダブルス優勝は地元ファンを大いに喜ばせた。年間最終ランキングは109位。 2005年 ツアー初優勝2005年6月、ノッティンガム・オープンの決勝でマックス・ミルヌイを6-2, 6-3で破り、男子ツアー大会のシングルス初優勝を果たす。この後、ガスケはウィンブルドンと全米オープンで4回戦に進出し、全米オープン終了後に世界ランキング12位をマークした。年間最終ランキングは16位。 2006年 ツアー4勝目2006年のシーズン前半はやや不調であったが、6月のノッティンガム大会で2連覇を果たし、7月第2週のスイス・オープン・グシュタードと10月第3週の南フランス・オープンでも優勝して、シングルスで年間3勝を記録した。10月初頭のモゼール・オープンでは、同じフランスのファブリス・サントロと組んでダブルス初優勝も果たしている。4大大会では全米オープンで2年連続の4回戦に進出した。年間最終ランキングは18位。 2007年 ウィンブルドンベスト4 ATPファイナルズ初出場 世界7位ガスケは2007年ウィンブルドンで初めての準決勝に進出した。準々決勝では第3シードのアンディ・ロディックを4-6, 4-6, 7-6, 7-6, 8-6の逆転で破ったが、準決勝でロジャー・フェデラーに5-7, 3-6, 4-6で敗れた。ガスケとフェデラーは、前年のウィンブルドン1回戦で顔を合わせたこともあった。ウィンブルドン終了後、ガスケは世界ランキングを7位に上げ、初めての世界トップ10入りを果たした。ATPワールドツアー・ファイナルズに初出場。年間最終ランキングは8位。 2008年 ツアー通算150勝2008年全豪オープンでは、ガスケは4回戦で同じフランスのジョー=ウィルフリード・ツォンガに2-6, 7-6, 6-7, 3-6で敗退した。ウィンブルドン4回戦では、地元イギリスのアンディ・マリーに7-5, 6-3, 6-7, 2-6, 4-6の逆転負けを喫している。年間最終ランキングは25位。 2009年 出場停止処分ガスケは、2009年のソニー・エリクソン・オープンのドーピング検査で、コカインの使用疑惑が浮上した[1]。暫定的に出場停止処分となったが[2]、ガスケは潔白を主張し、スポーツ仲裁裁判所はコカインは極めて微量で、2次摂取の疑いが強いとして、2年間の出場停止処分を求めたITFとWADAの提訴を棄却した[3]。年間最終ランキングは52位。 2010年 ツアー6勝目 トップ10復帰2010年5月の地元ニース・オープンの決勝でフェルナンド・ベルダスコを6–3, 5–7, 7–6(5)で破り2年8カ月ぶりのツアー6勝目を挙げた。年間最終ランキングは30位。 2012年 ロンドン五輪銅メダル2012年7月のロンドン五輪でオリンピックに初出場した。シングルスでは2回戦でマルコス・バグダティスに4-6, 4-6で敗れた。ジュリアン・ベネトーと組んだダブルスでは準決勝でアメリカのブライアン兄弟組に4-6, 4-6で敗れたが、3位決定戦でスペインのフェレール/F・ロペス組に7-6, 6-2で勝利し銅メダルを獲得した。シーズンでは全てのグランドスラムで4回戦に進出したように安定した結果を残し、年間最終ランキングは10位で、5年ぶりにトップ10でシーズンを終えた。 2013年 全米ベスト42013年1月のカタール・エクソンモービル・オープン決勝でニコライ・ダビデンコを3-6, 7-6, 6-3で下し、ツアー8勝目を挙げた。全米オープンでは4大大会2度目のベスト4に進出したが、準決勝で優勝したラファエル・ナダルに4-6, 6-7(1), 2-6で敗れた。南フランス・オープンとクレムリン・カップでも優勝した。アンディ・マリーが欠場したことにより、ATPワールドツアー・ファイナルズに6年ぶりに出場した。年間最終ランキングは9位。 2014年 デビス杯準優勝2014年、全豪オープンは3回戦でトミー・ロブレドに敗れた。ウィンブルドンのニック・キリオスとの2回戦ではグランドスラム記録となる9本のマッチポイントを握りながら6-3, 7-6(4), 4-6, 5-7, 8-10で敗れた[4]。全仏オープンと全米オープンでは3回戦で敗退した。このシーズンは、怪我による離脱もあり、全体的に結果を残せなかった。年間最終ランキングは26位。 2015年 ウィンブルドンベスト4 ツアー通算400勝南フランス・オープンとエストリル・オープンで優勝した。6月15日、エイゴン選手権シングルスにてツアー通算400勝を達成。フランス人男子での400勝はヤニック・ノア、ファブリス・サントロに次いで3人目[5]。 ウィンブルドン選手権では4回戦まで1セットを落としたのみで勝ち上がり、準々決勝では全仏オープンの優勝者であるスタン・ワウリンカに6-4, 4-6, 3-6, 6-4, 11-9のフルセットの末に勝利し、8年ぶりに準決勝に進出したが、準決勝ではノバク・ジョコビッチに6-7(2), 4-6, 4-6のストレートで敗れた。 全米オープンでは4回戦でトマーシュ・ベルディハを破り、準々決勝に進出。1シーズン2度のグランドスラムベスト8以上進出は自身初。準々決勝でロジャー・フェデラーに敗れたが、1年を通じて好調を持続し、年間最終ランキングは9位。 2016年 全仏ベスト8全豪オープンは腰の怪我のため、6年ぶりにグランドスラムを欠場した。復帰戦の南フランス・オープンでは2連覇、4回目の優勝を果たす。これはピート・サンプラスを超えて大会史上最多ともなった[6]。 全仏オープンでは4回戦で錦織圭を破って、地元の全仏で初のベスト8に進出。準々決勝でアンディ・マリーに7-5, 6-7(3), 0-6, 2-6で敗れた。ウィンブルドンの4回戦を腰の故障で途中棄権すると、リオ五輪も棄権した[7]。復帰後の全米オープンは初戦敗退だったが、その後深圳オープンは準優勝、ヨーロピアンオープンでは優勝を果たした。年間最終ランキングは18位。 2017年 ポップマン杯・デビス杯初優勝ホップマンカップでクリスティナ・ムラデノビッチと組んで優勝した[8]。全豪オープンでは大会史上最も遅い時間に開始された3回戦でグリゴール・ディミトロフに敗れた[9]。5年連続決勝進出を果たした南フランス・オープンで準優勝した後は、腰の故障と虫垂炎のため[10]、シーズン序盤のマスターズ5大会を含む7大会を欠場した[11]。 復帰後も調子は上がらず、ウィンブルドンと全米オープンでは初戦敗退。ロジャーズカップとシンシナティオープンは2回戦敗退だった。9月にはチャレンジャーツアーのペカオ・シュチェチン・オープンに出場し、優勝した。10月のジャパンオープン、上海マスターズ、エルステ・バンク・オープンは3回戦まで進んだ。 11月に行われたフランス対ベルギーのデビスカップ決勝戦にてダブルスでピエール=ユーグ・エルベールとのペアで出場[12]、勝利し優勝に導いた[13]。年間最終ランキングは31位。 2018年 ツアー15勝目 ツアー通算500勝全豪オープンでは3回戦で第2シードのロジャー・フェデラーに2-6, 5-7, 4-6のストレートで敗れ、同カード9連敗となった。南フランス・オープンは2年連続準優勝を飾った。ハサン2世グランプリではベスト4進出。さらにモンテカルロ・マスターズの3回戦でミーシャ・ズベレフに勝利したことでキャリア通算500勝を達成した[11]。 全仏オープンでは3回戦で第1シードのラファエル・ナダルに3-6, 2-6, 2-6のストレートで敗れ、同カード16連敗(通算0-16)を喫した[14]。リベマ・オープンでは決勝でジェレミー・シャルディーを下し、ツアー15勝目を挙げた[15]。 ウィンブルドンではガエル・モンフィスに6-7(6), 5-7, 4-6のストレートで初戦敗退。スウェーデンオープンでは決勝進出したものの、決勝でファビオ・フォニーニに敗れ、準優勝。全米オープンは3回戦では第6シードのノバク・ジョコビッチに2-6, 3-6, 3-6のストレートで敗れた。デビスカップ2018ではフランス代表として決勝出場予定だったが、左鼠径部の負傷により欠場。年間最終ランキングは26位。 2019年 マスターズベスト4全豪オープンは昨年に引き続き鼠径部の負傷により欠場した[16]。1月17日にヘルニア手術を受けたことを自身のSNSアカウントで公表した[17]。5月のムチュア・マドリード・オープンで復帰し、1回戦のアレハンドロ・ダビドビッチ・フォキナで復帰初の勝利をする。全仏オープンでは1回戦でミーシャ・ズベレフを3-6, 4-6, 3-3のストレートで破り、2回戦ではフアン・イグナシオ・ロンデロに2-6, 6-3, 3-6, 4-6で敗退。 ロスマーレン・グラスコート選手権ではベスト4入り。準決勝ではジョーダン・トンプソンに敗れた。ウィンブルドン選手権では第28シードのリュカ・プイユに1-6, 4-6, 6-7(4)のストレートで初戦敗退。ウエスタン・アンド・サザン・オープンでは1回戦でアンディ・マリー、2回戦でフェデリコ・デルボニス、3回戦ではディエゴ・シュワルツマン、4回戦でロベルト・バウティスタ・アグートらを下してマスターズ1000ベスト4入り。準決勝でダビド・ゴファンに3-6, 4-6のストレートで敗れたが、同大会でベスト4という自己最高成績を更新した。全米オープンでは第24シードのマッテオ・ベレッティーニに4-6, 3-6, 6-2, 2-6で初戦敗退。年間最終ランキングは61位。 2020年 不調全豪オープンは膝の負傷のため欠場を発表。ウエスタン・アンド・サザン・オープンでは2回戦でロベルト・バウティスタ・アグートに敗れた。全米オープンでは1回戦でイボ・カルロビッチをストレートで破るが、2回戦では第21シードのアレックス・デミノーに敗れた。全仏オープンではロベルト・バウティスタ・アグートに初戦敗退。パリ・マスターズでは1回戦でテイラー・フリッツを破るも、2回戦でディエゴ・シュワルツマンに敗れたが、続くソフィア・オープンではベスト4入り。準決勝でバセク・ポシュピシルに敗れた。年間最終ランキングは47位。 2021年 ツアー通算550勝ドバイ・テニス選手権では1回戦でマルコ・チェッキナートを破ったことでツアー通算550勝を飾った。全仏オープンでは1回戦でユーゴ・ガストンに6-1, 6-4, 6-2のストレートで勝利するも、2回戦でクレーキングラファエル・ナダルに6-0, 7-5, 6-2のストレートで敗れた。ウィンブルドン選手権では1回戦で杉田祐一を7-6(4), 4-6, 6-2, 6-1で勝利するも、2回戦でのロジャー・フェデラー戦では6-7(1), 1-6, 4-6のストレートで片手バックハンド戦に敗れた。クロアチア・オープンでは3年ぶりにツアー決勝進出するも、決勝でカルロス・アルカラスに2-6, 2-6のストレートで敗れた。全米オープンでは第2シードのダニール・メドベージェフに4-6, 3-6, 1-6のストレートで初戦敗退。年間最終ランキングは86位。 2022年 グランドスラム3回戦進出全豪オープンでは1回戦で同胞のウゴ・アンベールに3-6, 7-6(4), 7-6(3), 6-3で勝利するも、2回戦のボーティック・ファン・デ・ザンスフルプ戦では4-6, 0-6, 0-4の時点で途中棄権。 ジュネーブ・オープン2回戦では世界ランキング2位のダニール・メドベージェフを6-2, 7-6(5)のストレートで勝利し、そのままベスト4入りを決めるも、準決勝ではジョアン・ソウザに2-6, 2-6のストレートで敗退。全仏オープンでは1回戦でロイド・ハリスを6-1, 6-3, 6-4のストレートで破るも、2回戦では第27シードのセバスチャン・コルダに6-7(5), 3-6, 3-6のストレートで敗れた。 ウィンブルドン選手権では1回戦でジョアン・ソウザを7-6(7), 6-2, 4-6, 4-6, 6-3のフルセットで、2回戦でマッケンジー・マクドナルドを6-3, 3-6, 6-4, 6-3で退けるも、3回戦で第21シードのボーティック・ファン・デ・ザンスフルプに5-7, 6-2, 6-7(7), 1-6で敗れた。 全米オープンでは1回戦でダニエル太郎を6-4, 6-7(1), 6-2, 6-2で、2回戦で第32シードのミオミル・キツマノビッチに2-6, 4-6, 6-4, 4-6で下して、今季2度目のグランドスラム3回戦進出。3回戦では第2シードのラファエル・ナダルに0-6, 1-6, 5-7のストレートで敗れた。年間最終ランキングは68位。 2023年 ツアー16勝目 ツアー通算600勝1月、ASBクラシックでは決勝でキャメロン・ノーリーを4-6, 6-4, 6-4の逆転で下して、2018年6月以来、4年7ヶ月ぶりのツアー優勝を果たし、ツアー16勝目を挙げた。この勝利により、トップ50位圏内までランキングを回復させた。全豪オープンでは1回戦で同胞のウゴ・アンベールに3-6, 4-6, 3-6のストレートで初戦敗退。 5月、全仏オープンでは1回戦で同胞のアーサー・リンダークネッシュに4-6, 6-2, 2-6, 6-7(4)で初戦敗退。ダブルスはリュカ・プイユと組み、初戦敗退。 6月、ボス・オープンでは2回戦で第1シードのステファノス・チチパスを7-6(8), 2-6, 7-5のフルセットで下し、ベスト8に進出。ツアー通算600勝目を挙げた[18]。 2024年 ツアー1000試合出場達成昨年優勝を飾ったASBクラシックでは同胞かつ10代のアルトゥール・フィスに敗れたことでトップ100位956週という2005年4月以来の最長記録が途絶えた。全豪オープンでは73回目のグランドスラム出場(ジョコビッチと同数)となったが、第2シードのカルロス・アルカラスに6-7(5), 1-6, 2-6のストレートで敗れた。 マナーマ・チャレンジャーでは決勝でミハイル・ククシュキンを7-6(5), 6-4のストレートで破り、チャレンジャー10勝目を挙げた。さらにマドリード・オープンではロレンツォ・ソネゴに6-2, 7-5のストレートで初戦敗退するも、ツアー1000試合出場記録を達成した。全仏オープンではワイルドカードを獲得し、グランドスラム74回目の出場となり、ボルナ・チョリッチを7-6(5), 7-6(2), 6-4のストレートで破り、初戦を突破するが、第2シードのヤニック・シナーに4-6, 2-6, 4-6のストレートで敗れ、2回戦敗退となった。 カシス・チャレンジャーでは決勝でユーリ・ロディオノフを3-6, 6-1, 6-2で破り、チャレンジャー11勝目を挙げた。 プレースタイルガスケの片手バックハンドは安定性とスピード、正確さから、ロビー・コイナ、ジョン・マッケンロー、ブラッド・ギルバートなどの過去の多くのプレーヤーやコメンテーターから高く評価されている。史上最も芸術的で効率的かつ効果的なバックハンドの1つと称賛されている片手バックハンドは[19]、フォアハンドのようにテイクバックが大きいことが特徴で、回外運動や大きなフォロースルーもその要因になっているとされる。多くの片手バックハンドプレーヤーが苦しむ[20]トップスピンのかかった高い球をフラットで返すこともできる[21]。ボレーやドロップショットなどの技術も高いものを備えている。 反対にフォアハンドが弱点とされており、セミウエスタンからイースタンでラケットを長く握り、手首をこねながら打つ動作がぎこちなさとパワーロスの原因になっているのではないかと言われている。また、相手のミスを待つような消極的なプレーを行うことや、ベースラインから大きく下がってプレーすることなどがビッグタイトル獲得や対トップ10勝利が難しい理由とも言及される[22]。 ATPツアー決勝進出結果シングルス:33回(16勝17敗)
ダブルス:4回(2勝2敗)
ホップマンカップ:2回(1勝1敗)
オリンピックメダルダブルス:1(1銅メダル)
成績4大大会シングルス
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
※: 2007年全米の不戦敗は通算成績に含まない 大会最高成績
世界ランキング
脚注
外部リンクInformation related to リシャール・ガスケ |