ルノードー賞
ルノードー賞、またはルノドー賞(Prix Renaudot)は、ゴンクール賞、フェミナ賞、メディシス賞、アンテラリエ賞と並んで、フランスでの最も権威ある文学賞の一つである[1]。 17世紀のジャーナリスト、テオフラスト・ルノードーにちなんで、1926年に文芸評論家・ジャーナリストらによって制定された。 概要ルノードー賞の名前の由来となったテオフラスト・ルノードー (1586-1653) は、ジャーナリスト、医師、慈善事業家であり、ルイ13世治下の1631年にリシュリューの支援を得てフランス最古の新聞の一つ『ラ・ガゼット』を創刊したことで知られる(1915年終刊)[2]。 ルノードー賞は、1925年のゴンクール賞(1903年創設)の発表を受けて、10人の文芸評論家・ジャーナリストらによって創設された(初回翌年)。彼らは、権威あるゴンクール賞の審査・選定の偏りを批判し、これを補正するためにもう一つの賞が必要であると考えたのである[3][4]。 こうした経緯から、毎年11月初旬に、パリ2区にあるレストラン「ドルーアン」で、ルノードー賞受賞者とゴンクール賞受賞者の発表が同時に行われる。両賞の受賞者が同じであった場合は、ルノードー賞受賞者もう一人選出する[3]。 ゴンクール賞の賞金は10ユーロ、ルノードー賞は賞金はないが[3]、受賞作は平均22万部の売上増となる[4]。 1992年に「高校生のルノードー賞」が創設された。これは、テオフラスト・ルノードー友の会が高校生のゴンクール賞(1988年創設)に倣って、ルノードーの生誕地ヴィエンヌ県ルーダンの高校生(リセの学生)のルノードー賞を創設しようと提案したことに端を発する[5]。さらに、2001年に「随筆(評論)ルノードー賞」[6]、2009年に「ペーパーバック版ルノードー賞」[7]が創設された。 論争2007年に受賞をめぐる論争が起こった。候補に挙がっていなかったダニエル・ペナックの『学校の悲しみ』が受賞したからである。実際、『学校の悲しみ』が出版されたのは(11月初旬のルノードー賞受賞作発表の数週間前の)10月末であったが、もう一つ、『学校の悲しみ』は狭義の小説ではなく、自伝(または自伝的小説)である[8]という問題も指摘された[9]。候補に挙がっていたクリストフ・ドネールは、審査委員長のフランツ=オリヴィエ・ジスベールが、1995年にゴンクール賞を逃したことで、ドネール候補作『束の間の王』の出版社であるグラセ社に恨みを抱き、審査員を「操った」のだと批判した[9]。ジスベールは、「実際、候補に挙がっていない作品が選ばれたのはこれが初めてである」と認めたうえで、「(ドネールは)スケープゴートが必要なだけだ。実際、(当時の審査員の)ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオやパトリック・ベッソンのような偉大な作家を操れると思うのか」と抗議した。この結果、決定に変更はなく、ドネールはメディシス賞をはじめとし他の賞の候補にも挙がっていた『束の間の王』をすべて取り下げた[10]。 審査員2019年現在の審査員は、フレデリック・ベグベデ、ジョルジュ=オリヴィエ・シャトーレノー、パトリック・ベッソン、ドミニク・ボナ、ジェローム・ガルサン、ルイ・ガルデル、クリスティアン・ジュディセリ、ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ、ジャン=ノエル・パンクラジである[11]。 ルノードー賞受賞作家・作品一覧
随筆(評論)ルノードー賞受賞作家・作品一覧
ペーパーバック版ルノードー賞受賞作家・作品一覧
高校生のルノードー賞受賞作家・作品一覧
脚注
関連項目外部リンク |