ロバート・ハフ
ロバート・ハフ(Robert "Rob" Huff、1979年9月25日 - )は、イギリス出身のカーレースドライバー。世界ツーリングカー選手権 (WTCC) の2012年シリーズチャンピオンである。 経歴初期の経歴カートでは、1992年から1997年にかけ参戦したプロカートエンデュランスシリーズにおいて5度のチャンピオンを獲得した実績を持つ。 1998年以降は、フォーミュラ・フォードのジュニアシリーズ(1998年)、フォーミュラ・ヴォクスホール(2000年)など、ジュニア・フォーミュラにも参戦したが、プジョー306トロフィー(1998年)、イギリス・MG・BCV8選手権(1999年)、イギリス・ルノー・スポール・カップ(2002年)など、主にツーリングカー系のカテゴリで腕を磨いた。 フォーミュラ・フォード、フォーミュラ・ヴォクスホールの両選手権においても初年度でチャンピオンとなっており、少なくともジュニア・フォーミュラの段階では特段フォーミュラカーの運転を苦手としたわけではなかったが、ハフはツーリングカーの道を選び、2003年にセアト・クプラ・チャレンジでチャンピオンとなると、翌年はイギリスツーリングカー選手権 (BTCC) へとステップアップした。 なお、父親はRICS (en:Royal Institution of Chartered Surveyors) の経営者であったため、初期のキャリアにおいてはRICSを主なスポンサーとした。 ツーリングカー2004年はBTCCで初年度でしかもペイドライバーという立場でありながらセアト・トレドを駆って2勝を挙げるなど活躍し、ランキング7位を獲得した。 この年BTCCでハフが所属していたチームを率いていたレイ・マロック (Ray Mallok) は、翌2005年から世界ツーリングカー選手権 (WTCC) に参戦を開始する予定だったシボレー (GM) の計画に関わっていたため、ハフはその正ドライバーの一人に抜擢され、以後、WTCCでニコラ・ラリーニ、アラン・メニュとトリオを組むこととなる。 チームが投入したシボレー・ラセッティは戦闘力を欠き、初年度は苦戦を余儀なくされたが、翌2006年9月にチェコのブルノ・サーキットで行われたレースで、5月のアラン・メニュの優勝に次ぐシボレーにとっての2勝目を挙げることに成功した。 2007年もシボレーからWTCCに参戦し、引き続きラリーニ、メニュをチームメイトとする。この年はランキング9位となる。2008年は頭角を表しランキング3位を獲得した。2009年は新車シボレー・クルーズが投入される。2010年からはラリーニに代わり新たにイヴァン・ミュラーがチームに加わった。この年からチームと共に快進撃が始まり他チームを圧倒するようになる。2010年はランキング3位、2011年はランキング2位と着々と順位を上げていき、ついに2012年にチームメイトのメニュ、ミュラーを破りWTCCチャンピオンを獲得した。しかしこの年をもってシボレーがワークス撤退を表明。これにより長年在籍したRMLを離れることとなった。 2013年はミュニッヒ・モータースポーツからセアト・レオンWTCCで参戦。第4戦ハンガロリンクと最終戦マカオの第2レースで優勝するも前年までの勢いが衰えランキング4位に終わる。 2014年はラーダから参戦。ライバルより戦闘力を欠いているラーダ・グランタで苦戦を強いられたものの、第9戦北京の第2レースで優勝しラーダにとってチーム初優勝をもたらした。さらに最終戦マカオの第2レースではファイナルラップでイヴァン・ミュラーの猛追を振り切り前年に続くマカオ連覇を果たした。しかしランキングでは前年を下回る10位となった。 2015年は新車ラーダ・ベスタWTCCで参戦。この年の表彰台は第5戦ロシアの第2レースでの2位と、第9戦ツインリンクもてぎの第2レースでの3位の2度のみで未勝利に終わり、ランキングでは前年同様10位となった。 2016年はホンダ・レーシングチームJASへ移籍。開幕戦フランスのオープニングレースで移籍初戦で優勝し、完全復活が期待されたが、以降は勝利に見放されランキング6位に終わる。 2017年はミュニッヒ・モータースポーツへ復帰し、シトロエン・C-エリゼWTCCで参戦。3年振りの開催となった第9戦マカオのメインレースでポールトゥウィンを飾り、マカオ3連覇を果たした。ランキングの獲得ポイントは前年を上回るも順位は一つ下の7位となった。またこの年はインディペンデント部門のWTCCトロフィーにも参戦し、同じシトロエンを駆るトム・チルトンと争うも9ポイント届かず2位となった。 2018年はWTCCに代わり新設された世界ツーリングカーカップ (WTCR) にセバスチャン・ローブ・レーシング(SLR)からフォルクスワーゲン・ゴルフGTI TCRを駆って参戦。チームメイトはモロッコのメディ・ベナーニ。第2戦ハンガロリンクのレース2ではポールトゥウィンを達成。第9戦鈴鹿のレース2ではスタート直後の1~2コーナーでポールポジションのクプラ・レオン TCRを駆るペペ・オリオラをかわしそのまま最後まで逃げ切り優勝を決めた。初年度はチャンピオン争いを演じる活躍も見せランキング8位でシーズンを終えた。 2019年もセバスチャン・ローブ・レーシング (SLR VW Motorsport) から引き続き参戦。しかしチャンピオン争いを演じた前年とは一転しなかなか優勝どころか表彰台に上がれず苦戦を強いられたが、終盤でようやく復調し第8戦鈴鹿のレース2で2位、第9戦マカオのレース3ではポールポジションを獲得するもLynk & Coのアンディ・プリオールに敗れこちらも2位に終わる。最終的に未勝利となり前年を下回るランキング11位で終えた。 2020年はWTCRを離れSTCC TCR(スカンジナビアツーリングカー選手権)にフル参戦し2勝を挙げ、参戦初年度ながらチャンピオンを獲得した。またTCRチャイナの最終戦マカオにもスポット参戦しレース1で優勝した。 2021年は再びWTCRに復帰。ハンガリーのゼングー・モータースポーツからクプラ・レオン コンペティション TCRで参戦。第4戦ハンガロリンクのレース2でポールポジションを獲得するが18位に終わる。またその他のレースでもリタイアかポイント圏内に入るのがやっとという状態で本来の強さを発揮出来ずにいたが、最終戦ロシアのソチ・オートドロームでのレース2で難しくなった雨のコンディションで上位勢が次々と脱落しハフは6番手スタートながら7周目でトップに浮上しそのまま2位以下を引き離し3年振りの優勝を決めた。またこの最終戦のレース1ではチームメイトのミケル・アスコナが優勝しており、クプラ勢にとっては嬉しい結果となった。 しかしランキングでは2019年を大幅に下回る18位に終わった。 2022年も引き続きゼングー・モータースポーツから参戦。この年は前年の4台から縮小し2台体制となる。前半から好調で3レース連続で2位表彰台に立つと、第5戦ポルトガル、第7戦アルザスのレース2で優勝し、この時点でランキング3位につけ久々のチャンピオン獲得のチャンスが巡ってきた。だがチーム側の事情で第8戦バーレーンの欠場を余儀なくされ、これによりチャンピオン獲得の可能性がなくなった。しかし最終戦サウジアラビアのジッダ市街地コースには出場しレース1で9位、レース2で5位に入った。最終的にはチャンピオンを争ったアスコナ、ネストール・ジロラミに次いで出場した全レースでポイントを獲得しランキング6位でシーズンを終えた。一方インディペンデント部門のWTCRトロフィーにも参戦し、ライバルを圧倒する11勝をマークしチャンピオンを獲得した。 記録
Complete SEAT Cupra Championship UK results(key) (Races in bold indicate pole position) (Races in italics indicate fastest lap – 1 point awarded all races)
Complete British Touring Car Championship results(key) (Races in bold indicate pole position – 1 point awarded in first race) (Races in italics indicate fastest lap – 1 point awarded all races) (* signifies that driver lead race for at least one lap – 1 point given all races)
Complete World Touring Car Championship results(key) (Races in bold indicate pole position) (Races in italics indicate fastest lap) † — Did not finish the race, but was classified as he completed over 90% of the race distance. * Season in progress. ポルシェ・カレラ・カップ・グレートブリテン(key) (Races in bold indicate pole position – 1 point awarded in first race; Races in italics indicate fastest lap – 1 point awarded all races)
† Not eligible for points. ジネッタ・G50カップ(key) (太字はポールポジション) (斜体はファステストラップ)
† Not eligible for points. 外部リンクウィキメディア・コモンズには、ロバート・ハフに関するカテゴリがあります。
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