三垣龍次
三垣 龍次(みがき りゅうじ、1981年9月12日 - )は、日本の元プロボクサー、トレーナー。第54代日本ライト級王者。第43代OPBF東洋太平洋ライト級王者。岡山県岡山市出身。現役時代はM.Tボクシングジム所属。2020年8月末まで協栄新宿ボクシングジムのトレーナーを務めていた[1]。関西高等学校、駒澤大学経済学部卒業。 来歴中学生の時にボクシングを始める。1998年に行われたかながわ・ゆめ国体では少年の部ライトウェルター級で優勝し、高校、大学時代はトップアマとして活躍した。 2004年6月28日、横浜アリーナで行われた世界戦のアンダーでプロデビュー戦としてスーパーライト級6回戦を行い、2回KO負けを喫した[2]。2005年12月22日、主戦場となるライト級へ移り、A級ボクサー4回戦賞金獲得試合で元吉真三に2RTKO勝利を収めた。2006年には右拳の手術のため8か月のブランクをつくったが、12月9日に行われた萩森良平との6回戦で最終回にTKO勝利を収め、翌2007年2月には日本ライト級9位にランクインした。同年10月8日、再び右拳の手術のため8か月ぶりとなったリングでは加藤善孝との8回戦に3-0の判定勝利を収めた。2008年3月5日、日本4位として7位熊野和義とのランカー対決8回戦に3-0の判定勝利を収めた。同年6月21日、日本2位・OPBF8位としてインドネシア7位ロッキー・アラップアラップに3RTKO勝利を収め、7月には日本1位となった。同年12月17日、日本2位・OPBF6位として鈴木拓也に3-0の判定勝利を収めた。 2009年4月4日、第30回チャンピオンカーニバルで日本ライト級王者石井一太郎と対戦し、8Rに右ストレートでダウンを奪い、9Rには石井にタオルが投げ込まれ、TKO勝ちを収め王座を獲得した[3][2]。三垣はこの試合に対し、4月23日選考の同チャンピオンカーニバル技能賞および東日本ボクシング協会の平成21年4月度月間敢闘賞を受けたが、同年8月1日に近藤明広と対戦し、初回45秒TKO負けを喫し初防衛に失敗、王座から陥落した[2]。 2010年1月16日、OPBF東洋太平洋ライト級王者長嶋建吾と対戦し、4回に続いて10回にもダウンを奪い、タオル投入による10回TKO勝ちを収め王座を獲得した[4][2]。この試合に対しては、東日本ボクシング協会の平成22年1月度月間最優秀選手賞を受けた[5]。同年5月17日にはさいたまスーパーアリーナで同級2位・趙喜在(韓国)と対戦する予定であったが、趙が肺炎により直前に棄権したため[6]、この日は小口雅之と2Rの公開スパーリングを披露した[7]。 2010年9月20日、金井アキノリと対戦。2回にダウンを奪われるも、3回にダウンを奪い返した上で、6回TKO勝ちで王座初防衛に成功した[8][2]。 2010年12月13日、無敗の高瀬司と対戦。初回からダウンを奪いそれ以降も優勢に試合を進め、8回TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。[9][2]。 2011年7月2日、川瀬昭二と対戦。血まみれの激闘となったが10回に豪打でレフリーストップに追い込みTKO勝ちで3度目の防衛に成功した。[10][2]。 2012年2月28日、三垣本人が怪我のため3度防衛後OPBF王座を返上。このタイトルを奪還するために世界3位で現OPBF王者の荒川仁人に挑戦した。ともに世界ランカー同士の白熱した好試合となったが0-3の判定負けで王座返り咲きに失敗した[11][2]。 2012年10月27日、東京国際フォーラムで元日本スーパーフェザー級王者の三浦隆司とライト級10回戦を行い、1回1分37秒TKO負けを喫した[12][2]。この試合を最後に現役引退を発表した[13]。 戦績
獲得タイトル脚注
関連項目外部リンク
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