上方落語協会
公益社団法人上方落語協会(かみがたらくごきょうかい)は、近畿を中心に活動する落語家などが組織する公益法人。上方落語を中心とする寄席芸能の普及向上、継承・保持を図り、日本の文化の発展に寄与することを目的としている。現会長(7代)は笑福亭仁智。 概要
沿革
歴代会長一覧
役員会長副会長所属会員落語家系図により表す[5]。太字は現役会員、細字は非会員、†印は物故者、※は廃業者、名跡の後の数字は代数(贈は没後追贈)を表す。 笑福亭松鶴一門松鶴一門(しょかくいちもん)は、昭和の「上方落語の四天王」の1人である6代目笑福亭松鶴を師と仰ぐ落語家の一派のことである。 6代目松鶴は、父である5代目松鶴に入門。兄弟弟子には松之助がいる。一門は、孫弟子曾孫弟子まで含め、総勢50名以上在籍している。 所属事務所については、多くは松竹芸能に所属するが、仁鶴一門や鶴笑一門と、曾孫弟子に当たる笑助は松之助と同じ吉本興業に所属している。 また笑福亭円笑などのフリーで活動する者や、福笑のように個人事務所を設立している者、笑瓶(松竹芸能から太田プロダクションに移籍し、亡くなるまで所属)など、その他の芸能事務所に所属する者もいる(笑瓶は吉本芸人との繋がりが深く、弟子である笑助も前述の通り吉本に所属している。なお、笑助は松鶴一門の中で唯一の東京吉本所属である)。 なお、鶴光と、その弟子のうち里光以降の者は松竹芸能所属ではあるものの、東京の落語芸術協会に加入し、首都圏で活動している。鶴光は上方落語協会と両方に所属(東西合わせて5つある落語家団体のうち、現役で2つ以上の団体に所属するのは鶴光のみ)しているが、里光以下の弟子たちは落語芸術協会にのみ所属している。大阪時代からの筆頭弟子である學光は現役では唯一、上方落語協会にのみ所属している。 森乃福郎一門は、笑福亭福松の系統から枝分かれした一門であり、遡れば2代目松鶴に行き着く。 この他に松鶴一門から枝分かれした上方噺家の系統としては林家染丸一門がある。
さんまは協会公式サイトの系図にも掲載されているが、落語家としての活動は昭和末期以降長期休止中であるものの、廃業はしていない。 森乃福郎一門森乃福郎一門(もりのふくろういちもん)は、3代目笑福亭福松の弟子であった初代森乃福郎を師と仰ぐ落語家の一派。笑福亭松鶴の分枝だが、その枝分かれは大正時代以前に遡る。 初代福郎以前は笑福亭福松を参照。
桂米朝一門米朝一門(べいちょういちもん)は、「上方落語の四天王」の1人、人間国宝・3代目桂米朝を師と仰ぐ落語家の一派。 「桂米朝一門会」などの興行を打つ。また、主に一門の若手のための舞台として「桂米朝落語研究会」を催している。 上方落語の他の一門の多くは吉本興業あるいは松竹芸能に所属するのに対し、同一門の大半が独立した米朝事務所に所属しているのが特徴である[注釈 8]。 現在の一門の実質的な止め名は「米團治」である。当代の米團治は5代目(2008年に襲名)。米團治系統の名跡は「米歌子」「米之助」「米朝」「米團治」「文團治」「文治」の順に名前が大きくなる[6]。先代文團治の惣領弟子、4代目文紅の死後は、大本である文團治系統全体の嫡流となったが、3代目米朝は結局「米團治」「文團治」は襲名せずに亡くなるまで「米朝」のままで通した。現時点で5代目文團治襲名を一門内の誰かが行うという話は無いが、「米團治」は2008年10月に3代目桂小米朝が5代目として襲名しており、「米之助」も2025年3月に桂ちょうば(2代目桂ざこばの弟子)が4代目として襲名する。また、3代目米朝の俳号であった「八十八」も名跡化し、3代目米朝は同名跡の初代として扱われ、2021年8月に3代目米朝弟子の桂宗助が2代目を襲名した。 他にも「塩鯛」「米喬」「米紫」「小米」「米若」「米太郎」等がある。尚「枝雀」「ざこば」「南光」「文我」「歌之助」は米團治系とは関係がない。 文團治系の他の系統には、同じ上方の桂春団治一門、江戸落語の桂小文治一門がいる。東西合わせてこれらの親戚筋を併せた一門総数は150名を越え、東西落語界の最大勢力となっている。 一時橘ノ圓都門下の橘家圓三は米朝の預かり弟子であった。また、6代目小文吾(6代目文吾)の上方での復帰を後押ししたことでも知られる。 また可朝以下弟子を可朝一門、うち八方以下弟子は月亭一門と呼ぶ。過去、月亭を名乗った落語家は江戸時代の月亭生瀬、明治時代の月亭文都一門などがいるが、これらは何れも桂一門の本流である文治→文枝一門の分派である。なお月亭文都(桂文都としては2代目)と米朝一門の源流・初代桂文團治は兄弟弟子であった。文都の名は可朝の孫弟子・月亭八天が2013年に7代目を襲名した。
橘ノ圓都一門→「橘ノ圓都」を参照
圓都死後、圓三は米朝に預けられ、米朝一門となった。 桂文枝一門文枝一門(ぶんしいちもん)は、「上方落語の四天王」の1人、5代目桂文枝を頂点とする落語家の一派。主に吉本興業に所属するが、文福のように個人事務所を設立している者(2010年よしもと復帰)や、松竹芸能に所属する者(文鹿が在籍していたが2014年退社)もいる。 5代目文枝は生前に桂派の由緒ある名跡(文枝、小文枝、文吾、小文吾、文左衛門、花橘など)を預かっているとされる。2012年7月16日には筆頭弟子の三枝が「六代 桂文枝」を、2019年3月12日には二番弟子のきん枝が「四代 桂小文枝」をそれぞれ襲名した。また文吾は、5代目文枝のいとこ弟子にあたる人物が6代目として現在も活動中である。
桂春団治一門春団治一門(はるだんじいちもん)は、「上方落語の四天王」の1人、3代目桂春団治を頂点とする落語家の一派。 2000年より毎年4月29日には、春団治三代の碑がある池田市で「春団治まつり」を開催している。一門の多くは松竹芸能に所属するが、他の芸能事務所に所属する者やフリーで活動している者もいる。名前については「團」の字を用いる場合もあるが、ここでは「団」に統一した。 3代目春団治の師匠は、実父である2代目春団治。兄弟弟子には2代目露の五郎兵衛など。
3代目文我・舶伝は2代目春団治死後、3代目春団治の弟子であった。3代目文我は生涯春団治一門だったため、現在でも協会公式サイトの系図において別枠で記載されている。また、4代目桂文紅(故人)が春団治一門に同様に別枠で掲載されている[注釈 12]。 露の五郎兵衛一門露の五郎兵衛一門(つゆのごろべえいちもん)は、2代目露の五郎兵衛を頂点とする落語家の一派で、上記春団治一門からの分枝。紋は「ききょう」。一門会「露の会」を開催している。 他の一門が吉本興業や松竹芸能、米朝事務所といった大手事務所に所属していることが多いのに対して、五郎兵衛一門の場合には五郎兵衛自身が1980年に独立してフリーで活躍し続けていたこともあり、MC企画や露の五郎兵衛事務所、露の都事務所などの個人事務所に所属していることが多い。 一門には、現役最年長・最古参の女性落語家露の都らがいる。孫弟子世代が2014年までは全員女性だったことや、五郎兵衛の実の娘・露のききょうの存在を含め一門の女性率は上方落語界の中では高い。
林家染丸一門林家染丸一門(はやしやそめまるいちもん)は、上方落語協会初代会長3代目林家染丸を師と仰ぐ落語家(上方)の一派。紋は「ぬの字うさぎ」。2019年現在、4代目染丸を中心に集まっている。 東京の林家正蔵などの林家や、元来の上方林家(林家正三、林家正楽)とは別の系統にあたる。これは、現在の上方林家が、4代目笑福亭松鶴襲名争いに敗れた5代目笑福亭松喬が2代目林家染丸を襲名し興したものであるため。したがって上方林家は笑福亭の傍流とされる[注釈 13]。元来の系統はその後6代目林家正楽で途絶えた。 孫弟子まで含め、総勢10名を超える。一門の多くが吉本興業所属。 一門は代々「ハメモノ」を得意とし多くのハメモノネタを発掘継承している。師弟関係は以下の通り。なお、他一門に移籍した者の弟子は各移籍先の弟子一覧を参照。
4代目染語楼は4代目小染、5代目小染は4代目染丸の預かり弟子。また、4代目染語楼の弟子かつ実子であった市楼は、父の死後に4代目染丸の預かり弟子となった。その後、市楼は2022年11月に急逝し、師の意向もあり5代目染語楼を追贈されている。 お囃子染丸一門のお囃子系図
非所属の者近畿を中心に活動している落語家の全てが所属しているわけではない。 主な非所属の落語家は以下のとおり。
この他、関西落語文芸協会(2012年に死去した3代目林家染三が結成、事実上染三門下のみで構成)所属のセミプロ・アマチュア落語家が何人か存在するものの、現在公の場で活躍が確認出来るのは林家三笑のみであり、また三笑は「林家流どじょうすくい家元」「三笑会講師」として主に河内音頭などの民芸踊りの活動に力を入れており、落語と距離を置いた色物活動に専念している。 また、2019年に死去した笑福亭松之助は上方落語協会を脱退したことが知られている。なお、実子である明石家のんきは2012年に復帰している。弟子の明石家さんま[注釈 14][10]、五所の家小禄(廃業)も協会に所属はしていない。
賞
その他
脚注注釈
出典
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