中村義作
中村 義作(なかむら ぎさく、1928年1月22日 - 2020年6月4日)は、日本の電通官僚、工学者(情報工学・ソフトウェア工学)、数学者(組み合わせ数学・有限数学・経営数学)。工学博士(東北大学・1970年)。静岡県立大学名誉教授。 電気通信省、日本電信電話公社での勤務を経て、信州大学工学部教授、静岡県立大学経営情報学部教授、静岡県立大学経営情報学部学部長(第3代)、東海大学教育開発研究所教授などを歴任。 来歴生い立ち1928年に日本の東京府で生まれた。中学生の頃、竹内端三の『群論』を購入したが、内容が高度すぎて当初は理解できなかった。しかし、何度も読み返すうち数学の面白さを知る。その後、高木貞治の『近世数学史談』を読み感銘を受けた。日本大学工学部電気工学科に在籍し、1952年に卒業した。同年、電気通信省に技官として入省した。なお、博士論文「共通制御方式電話交換システムに関する研究」により、工学博士の学位を取得している。 官界にてしかし、入省した電気通信省は、組織改編が相次いでいた。電気通信省の外局である電波庁が廃止され、電波監理行政は総理府の外局である電波監理委員会に移管された。続いて、同じく電気通信省の外局である航空保安庁も廃止され、運輸省の外局である航空庁に業務が移管された。さらに、中村が入省した直後には電気通信省自体も廃止されることになり、日本電信電話公社に移行した。中村は44歳になるまで日本電信電話公社の職員として勤務を続けた[1]。 学界にて1976年、信州大学に転じ、工学部の教授に就任した。信州大学への着任に際しては、自らの紹介を兼ねて地元である長野県のマスコミに挨拶回りをするなど[1]、当時の国立大学教官としては異例ともいえるパブリックリレーション活動を行った。東京大学で非常勤講師を兼任していた際、経営学者の林周二と知り合った[2]。その後、林からの要請を受け、1989年に静岡県立大学に移った[2]。同大学では経営情報学部の教授に就任し、学部長など要職を歴任したうえで、名誉教授の称号を得た。1996年、東海大学にて教育開発研究所の教授となった。2017年4月、日本数学会出版賞を受賞した[3]。2020年6月4日に死去した[4]。 研究情報工学やソフトウェア工学など工学分野でも活動したが、中心は数学分野であり、特に組み合わせ数学や有限数学に関する研究を行った。また、著書が極めて多いことも特徴の一つである。パズルに関する児童書から、本格的な学術書や研究書まで、その作品の範囲は幅広い。代表的なパズル本『マンホールのふたはなぜ丸い?――暮らしの中の数学』は、当初日本経済新聞社から単行本として出版されたが[5]、その後「知的生きかた文庫」や「日経ビジネス人文庫」にて文庫本化されるなど[6][7]、複数の出版社から出版された。また、物理学者の伏見康治、画家の安野光雅との対談なども出版されている[8]。なお、「ブースの乗算アルゴリズム」を発見したことで知られるアンドリュー・ドナルド・ブースの著書を翻訳したことでも知られている[9]。 人物因習に囚われない人物として知られている。静岡県立大学の経営情報学部にて学部長に就任した際、教員のメールボックスが教授、助教授、講師、…と職位順に並んでいたことに呆れ、五十音順に改めたとされる[10]。 著作単著
共著
編纂
翻訳
監修
脚注
関連人物関連項目外部リンク
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