仲澤春香
仲澤 春香(なかざわ はるか、2001年4月10日 - )は、女子競輪選手、自転車競技選手。日本競輪選手会福井支部所属、ホームバンクは福井競輪場。日本競輪選手養成所(以下、養成所)第126期生。師匠は山出裕幸(90期)。 来歴福井県大飯郡高浜町出身[1]。小学生の頃は野球を、中学ではバスケットボールをやっていたが、高校入学前に知り合いからボート競技(漕艇。現ローイング競技)を薦められ、ボート競技を始める[2]。 福井県立若狭高等学校在学中は、国内大会では全国高校選抜大会で2年連続優勝、年代別の日本代表にも選ばれ世界ボートジュニア選手権に2年連続で出場しダブルスカルで8位入賞するなど目覚ましい活躍を見せた[2]。高校卒業後は関西電力に入社しボート部[3]で実業団選手として活躍するも、U-19(19歳以下)からU-23(23歳以下)へとカテゴリを変更した頃にイップスに陥ってしまい、以降は精彩を欠いて成績が伸び悩む。ボート競技に限界を感じて引退し、関西電力も2年足らずで退職した[4][5]。 地元に戻り次の進路を模索する中で、当初は自衛隊に入隊しボクシングに取り組もうかと考えていたが[5]、高校時代の顧問からガールズケイリンを薦められ、県内の自転車競技が強豪な高校を紹介される[2]。のちガールズケイリンの道に進むことを決め、半年ほどのトレーニングで実技でのタイムが出たことから養成所は技能試験で受験。2023年1月19日、第126回養成所選手候補生入所試験に合格[4][6]。 養成所在所中は126期生の中で唯一、自転車競技のエリートを育て上げるHPD教場[7]で鍛え上げられる[8]。また、第1回記録会では女子候補生として飯田風音以来となるゴールデンキャップを獲得。さらに第3回記録会でもゴールデンキャップを獲得し、吉川美穂以来となるゴールデンキャップ複数回獲得者(女子では4人目)となった[注釈 1]。このほか、在所中2回行われたトーナメント競走でもいずれも優勝した[9]。卒業式直前に行われた卒業記念レースでは、予選2走をともに1着で勝ち上がり、決勝戦でも1着となり前年の松井優佳に続く完全優勝を果たした[1]。卒業記念レースも含めた在所中の競走訓練成績は、45勝で1位[10]。 2024年5月3日、富山FII(ルーキーシリーズ)でデビュー、デビュー戦で初勝利を挙げる。翌日も勝利したが、決勝戦では捲り不発で5着に終わる。次戦である5月12日の平塚FII(ルーキーシリーズ)にて初優勝。7月1日からの豊橋FIで本格デビュー、予選では2走とも日野未来を退け注目されたが[11]、決勝戦では坂口楓華に先捲りを許し2着[注釈 2]。 養成所卒業後は、将来のトラック種目日本代表入りを目指し、活動拠点をナショナルチームが練習を行っている伊豆に移した。そして2024年12月、正式に日本自転車競技連盟より強化指定選手として認められ、「B」指定選手(アカデミー)となりナショナルチーム入りした[5]。ガールズケイリンでは新人選手ながら同年だけで43走し1着38回(勝率8割8分3厘)、優勝12回(単発レース含む)、9月17日の平塚FII最終日決勝で優勝して以降20連勝と圧倒的な強さを示し、さらに獲得賞金額は126期に限れば断トツでトップの991万円であった[13]。 脚注注釈出典
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