伏原 宣足(ふしはら のぶたる)は、幕末の公家。明治時代から昭和時代にかけての神職・政治家・華族。貴族院子爵議員。伏原家10代当主。
経歴
山城国京都で少納言・伏原宣諭の長男として誕生。安政3年12月15日(1857年1月10日)に元服し昇殿を許された[3]。安政6年6月20日(1859年7月19日)左兵衛権佐に任じられ、その後、少納言、侍従を歴任[3]。父・宣諭の死去に伴い、1876年(明治9年)10月16日、家督を継承した。
明治3年(1870年)以降、次侍従、侍従、式部寮出仕、掌典補、式部属、太政官属などを歴任。
明治17年(1884年)7月8日、子爵を叙爵[5]。
明治23年(1890年)7月22日、賀茂別雷神社宮司兼賀茂御祖神社宮司に補任された。翌年(1891年)4月16日、賀茂別雷神社宮司を免ぜられた[注釈 1]。明治25年(1892年)6月21日、賀茂御祖神社宮司も免ぜられた。
明治26年(1893年)3月29日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、1925年(大正14年)7月まで在任した。
栄典
系譜
脚注
注釈
出典
- ^ a b 『伏原家譜』
- ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
- ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 『現代華族譜要』日本史籍協会、1929年、539頁。
参考文献
官報
- 『官報』第2119号、1890年7月23日。
- 『官報』第2336号、1891年4月17日。
- 『官報』第2694号、1892年6月22日。