千厩町(せんまやちょう)は、2005年(平成17年)まで日本の岩手県東磐井郡にあった町。東磐井郡の中心的な町であった。現在の一関市のうち、千厩町を冠する各大字にあたる。
地理
自然
- 山岳:黄金山、観音山など
- 河川:千厩川、大平川、南小梨川など
歴史
地名の由来
平安時代半ば、良馬の産地として知られた平泉一円(陸奥国磐井郡平泉とその周辺地域)にて隆盛を極める奥州藤原氏が、平泉近郊にあった当地域に1,000棟の厩舎を設けたことから、この地を、「千の厩(今でいう馬小屋)」の意をもって「千厩」と呼んだのが地名の由来と伝えられているが、根拠のない単なる伝承であり、実際には川幅の狭い場所を意味する「狭場谷」か馬を繋いだ場所が狭いことから「狭屋」が由来ではないか、と日本地名研究所の所長を務めた谷川彰英が指摘している。
年表(合併以降)
町内での主な事象。
- 1957年(昭和32年)
- 4月 - 路線バスの南小梨線が運行開始。
- 5月 - 町体育協会が発足。
- 1959年(昭和34年)
- 1月 - 小梨・磐清水支所を廃止。
- 8月 - 奥玉支所を廃止。
- 1960年(昭和35年)
- 5月 - 役場新庁舎を落成。
- 6月 - 町章を制定。
- 1962年(昭和37年)9月 - 町営水道を着工。
- 1963年(昭和38年)
- 4月 - 旧千厩・清田・磐清水中学校が完全統合し、千厩中学校が開校。
- 9月 - 千厩町観光協会が発足。
- 1964年(昭和39年)7月 - 千厩・小梨・奥玉・磐清水の農協が合併し、千厩農業協同組合が発足。
- 1965年(昭和40年)
- 2月 - 千厩合同庁舎を落成。
- 10月 - 小梨公民館と磐清水児童館を落成。
- 1966年(昭和41年)
- 2月 - 岩手県立千厩職業訓練所(現:岩手県立千厩高等技術専門校)を落成。
- 3月 - 町内の森林組合が合併し、千厩森林組合が発足。
- 1967年(昭和42年)
- 4月 - 奥玉保育所(現:一関市立奥玉保育園)が開所。
- 6月 - 岩手県立千厩病院を移転落成。
- 8月 - 千厩電報電話局が開局。
- 1968年(昭和43年)8月 - 千厩町体育館などの落成式を挙行。千厩郵便局を移転落成。
- 1969年(昭和44年)
- 4月 - 千厩町水道事業所を設置。
- 7月 - 小梨公民館清田分館を落成。
- 10月 - 小梨公民館南小梨分館を落成。
- 12月 - 町内を横断する主要地方道の一関・気仙沼線が国道284号に昇格。
- 1970年(昭和45年)
- 4月 - 奥玉小学校下分校が本校へ統合。
- 7月 - 東磐井郡・西磐井郡・旧一関市が広域市町村圏に指定。
- 1971年(昭和46年)4月 - 千厩保育所(現:一関市立千厩保育園)と小梨保育所(現:一関市立小梨保育園)が開所。
- 1972年(昭和47年)4月 - 両磐地区消防組合が発足し、消防署を設置。
- 1973年(昭和48年)
- 3月 - 一関公共職業安定所千厩出張所を落成。
- 4月 - 千厩消防署庁舎を落成。
- 1974年(昭和49年)3月 - 町立千厩女子専門学校が閉校。
- 1975年(昭和50年)
- 5月 - 給食センターを落成し、町内小中学校が完全給食化。
- 9月 - 千厩町民憲章を制定。
- 1976年(昭和51年)5月 - 町営野球場(現:千厩野球場)が開場。盛岡地方法務局千厩出張所を落成。
- 1978年(昭和53年)
- 4月 - 町表彰条例を制定。
- 6月 - 町立歯科診療所(現:一関市国民健康保険千厩歯科診療所)が開所。
- 1979年(昭和54年)
- 4月 - 奥玉小学校上分校が本校へ統合。
- 6月 - 町内の婦人消防協力隊が合併し、千厩町婦人消防協力隊が発足。
- 1980年(昭和55年)4月 - 奥玉ふるさとセンターの落成式を挙行。
- 1981年(昭和56年)5月 - 老人福祉センターの落成式を挙行。
- 1982年(昭和57年)
- 5月 - 千厩町役場の新庁舎を落成。
- 8月 - 国道284号千厩バイパスが全線開通。
- 1983年(昭和58年)
- 3月 - 路線バスの磐清水線の廃線に伴い、町営バスを運行開始。
- 8月 - 磐清水文化センターの落成式を挙行。
- 1985年(昭和60年)10月 - 路線バスの矢越線・南小梨線の廃線に伴い、町営バスを運行開始。
- 1987年(昭和62年)4月 - 南小梨小学校が小梨小学校へ統合。
- 1988年(昭和63年)11月 - 両磐地域職業訓練センターを落成。
- 1990年(平成2年)11月 -「生涯学習のまち」を宣言。
- 1992年(平成4年)4月 - 保健センター・武道館を落成。みなみ交流センター(現:千厩みなみ交流センター)が開設。
- 1994年(平成6年)10月 - 千厩アイスアリーナが開設。
- 1996年(平成8年)2月 - 県立千厩病院を移転落成。
- 1998年(平成10年)4月 - 千厩保育所(現:一関市立千厩保育園)を移転落成。
- 2000年(平成12年)4月 - 千厩・小梨・奥玉中学校を統合し、新制の千厩中学校が開校。
- 2002年(平成14年)4月 - 千厩東高等学校が千厩高等学校へ統合。千厩町立図書館が開館。
出典:[2][3]
行政区域の変遷
地域
人口
千厩町(に相当する地域)の人口推移
|
1920年(大正9年)
|
12,053人
|
|
1925年(大正14年)
|
12,578人
|
|
1930年(昭和5年)
|
12,545人
|
|
1935年(昭和10年)
|
14,653人
|
|
1940年(昭和15年)
|
14,618人
|
|
1947年(昭和22年)
|
17,194人
|
|
1950年(昭和25年)
|
17,908人
|
|
1955年(昭和30年)
|
18,563人
|
|
1960年(昭和35年)
|
18,047人
|
|
1965年(昭和40年)
|
17,206人
|
|
1970年(昭和45年)
|
16,445人
|
|
1975年(昭和50年)
|
15,730人
|
|
1980年(昭和55年)
|
15,584人
|
|
1985年(昭和60年)
|
15,015人
|
|
1990年(平成2年)
|
14,327人
|
|
1995年(平成7年)
|
14,055人
|
|
2000年(平成12年)
|
13,504人
|
|
|
総務省統計局 国勢調査より
|
合併直後(1955年)の約18,000人をピークに減少に転じている。
各地区の人口・世帯数
2005年3月時点の各地区の人口と世帯数[4]。
増減率は2003年3月時点との比較[5]。
地区名
|
人口
|
世帯
|
男性
|
女性
|
計
|
増減
|
世帯数
|
増減
|
千厩
|
3,190人
|
3,507人
|
6,697人
|
-1.19%
|
2,389世帯
|
0.08%
|
小梨
|
855人
|
853人
|
1,708人
|
-2.40%
|
448世帯
|
±0%
|
清田
|
487人
|
502人
|
989人
|
-3.03%
|
279世帯
|
1.45%
|
奥玉
|
1,317人
|
1,327人
|
2,644人
|
-3.04%
|
701世帯
|
0.42%
|
磐清水
|
580人
|
565人
|
1,145人
|
-1.29%
|
326世帯
|
1.87%
|
合計
|
6,429人
|
6,754人
|
13,183人
|
-1.87%
|
4,143世帯
|
0.36%
|
防災機能
- 東磐井地域の水害時に独立して都市機能を維持する点から、総合避難場所としての機能を持っていた。
行政
歴代首長
代
|
氏名
|
就任日
|
退任日
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出典
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備考
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千厩村(1889年 - 1898年)
|
初
|
白石隆之助
|
1889年(明治22年)5月22日
|
1896年(明治29年)4月9日
|
|
|
2
|
白石猛祐
|
1896年(明治29年)11月24日
|
1898年(明治31年)3月31日
|
|
|
千厩町(1898年 - 1956年)
|
初 |
白石猛祐 |
1898年(明治31年)4月1日 |
1900年(明治33年)8月10日
|
|
村長より留任
|
2 |
村井儀七郎 |
1900年(明治33年)8月13日 |
1900年(明治33年)10月29日
|
|
|
3 |
千菅志満治 |
1900年(明治33年)10月30日 |
1902年(明治35年)7月10日
|
|
|
4 |
下村由之 |
1902年(明治35年)7月11日 |
1904年(明治37年)4月11日
|
|
|
5 |
千葉需 |
1904年(明治37年)4月12日 |
1905年(明治38年)6月12日
|
|
|
6 |
伊東健之助 |
1905年(明治38年)6月13日 |
1905年(明治38年)8月3日
|
|
|
7 |
白石隆之進 |
1905年(明治38年)8月4日 |
1906年(明治39年)4月4日
|
|
|
8 |
村井儀七郎 |
1906年(明治39年)7月31日 |
1910年(明治43年)6月10日
|
|
再任
|
9 |
高橋之善 |
1910年(明治43年)8月25日 |
1914年(大正3年)8月24日
|
|
|
10 |
千葉需 |
1914年(大正3年)12月4日 |
1920年(大正9年)12月5日
|
|
再任
|
11 |
三浦忻郎 |
1921年(大正10年)11月16日 |
1923年(大正12年)12月18日
|
|
|
12 |
加藤久松 |
1923年(大正12年)5月19日 |
1925年(大正14年)2月10日
|
|
|
13 |
千葉需 |
1925年(大正14年)4月5日 |
1930年(昭和5年)1月27日
|
|
3任
|
14 |
千葉小平太 |
1930年(昭和5年)10月13日 |
1935年(昭和10年)8月31日
|
|
|
15 |
中沢賢吉 |
1935年(昭和10年)10月25日 |
1942年(昭和17年)7月9日
|
|
|
16 |
西村恒春 |
1942年(昭和17年)8月8日 |
1946年(昭和21年)11月16日
|
|
|
17 |
熊谷儀兵衛 |
1947年(昭和22年)4月5日 |
1951年(昭和26年)4月4日
|
|
|
18 |
熊谷軍平 |
1951年(昭和26年)4月23日 |
1955年(昭和30年)4月22日
|
|
|
19 |
西村恒春 |
1955年(昭和30年)5月1日 |
1956年(昭和31年)9月29日
|
|
再任
|
千厩町(1956年 - 2005年)
|
20-21
|
西村垣春
|
1956年(昭和31年)11月17日
|
1964年(昭和39年)11月16日
|
|
留任、2期
|
22-23
|
菅原良士
|
1964年(昭和39年)11月17日
|
1972年(昭和47年)3月3日
|
2期
|
24
|
宍戸金三郎
|
1972年(昭和47年)3月25日
|
1976年(昭和51年)3月24日
|
|
25-27
|
熊谷儀一
|
1976年(昭和51年)3月25日
|
1988年(昭和63年)3月24日
|
3期
|
28-30
|
藤野光男
|
1988年(昭和63年)3月25日
|
2000年(平成12年)3月24日
|
3期
|
31-32
|
菊地宏雄
|
2000年(平成12年)3月25日
|
2005年(平成17年)9月20日
|
2期
|
町議会
定数:20名
対外関係
姉妹都市や友好都市といった提携は結ばれなかった。
国内
PALPAL交流
ふるさと運動
農業体験学習
海外
友好交流
若駒の翼事業
- カナダ
- 2001年より、国際友好の一環として千厩中学校生徒が現地の生徒と交流[12]。
公的機関
警察
岩手県警察
このほか、千厩駅前に駅前駐在所を置いていたが、1990年4月に廃止された[13][14]。
消防
両磐地区消防組合
医療
公共施設
主な施設を掲載。
図書館
このほか、1952年9月15日から1970年3月31日にかけて、岩手県立図書館千厩分館が千厩字館山6番地に所在していた[15][16]。
博物館等
公民館
- 千厩公民館
- 小梨公民館
- 小梨公民館清田分館
- 奥玉公民館
- 磐清水公民館
※以下は廃止
運動施設
千厩地域
- 千厩町コミュニティ広場:ソフトボール場、テニスコート、サッカー場、運動広場
- 千厩町体育館
- 千厩町武道館
- 千厩町営野球場
- 千厩アイスアリーナ
奥玉・磐清水地域
- 千厩町維新館(奥玉)
- 千厩町おくらんど(奥玉)
- 磐清水体育館(磐清水)
小梨・清田地域
- 小梨体育館(小梨)
- 町民プール(小梨)
- 町民テニスコート(清田)
その他
- 千厩農村勤労福祉センター
- 千厩農村環境改善センター
- 千厩町みなみ交流センター
- 黄金山キャンプ場
- 飛ヶ森キャンプ場
経済
第一次産業
昭和時代中期ごろまでは養蚕業やたばこ産業が盛んで当町における主要産業であったが、需要低迷や産業構造の高度化等の背景により次第に規模が縮小し、近頃ではほとんど見られなくなった。
第二次産業
電子機器製造
その他「上山製紙」、「日ピス岩手」などの製造業者も存在。
第三次産業
商業
主に国道284号の千厩バイパス沿いに複数のスーパーや小売店が出店しており、商業需要が大きい。千厩市街地内には新町、本町、四日町などの商店街があり、かつては東愛デパートや娯楽施設が所在していた[2]。
- 主な商業施設
町内に本社を置く主要企業
- 千厩マランツ(電子機器)
- 上山製紙(家庭紙)
- 東磐運送(運送)
- ニッコー・ファインメック(産業廃棄物・リサイクル)
- 立石コンクリート(コンクリート)
町内に拠点事務所を置く主要企業
- 日ピス岩手千厩工場(ピストンリング)
- ミドリ千厩工業(安全靴)
- 共栄フード 東北営業所・東北工場(パン粉)
- 大黒電線(電線・コイル)
その他
- いわい東農業協同組合(JAいわい東) - 当町には1964年に発足した「千厩農業協同組合」が存在していたが、1997年に当組合が発足したことに伴い消滅した[2]。
郵便・物流
郵便
郵便局
- 千厩郵便局(集配局)
- 奥玉郵便局(集配局)
- 小梨郵便局
簡易郵便局
物流
教育
専門学校
※以下は廃校
- 千厩町立千厩女子専門学校(1974年閉校) - 当時東磐井郡内では唯一の女子教育機関だった。
高等学校
※以下は廃校
- 岩手県立千厩東高等学校(1988年・千厩農業高校から改称、2002年・千厩高校へ統合)
中学校
※以下は廃校
- 千厩町立千厩中学校〈初代〉(1961年・2代目の千厩中学校へ名目統合、1963年・実質統合)
- 千厩町立磐清水中学校(同上)
- 千厩町立清田中学校(1957年・小梨中学校清田分校から独立、1961年・2代目の千厩中学校へ名目統合、1963年・実質統合)
- 千厩町立千厩中学校〈2代目〉(2000年・3代目の千厩中学校へ統合)
- 千厩町立小梨中学校(同上)
- 千厩町立奥玉中学校(同上)
小学校
※以下は廃校
- 千厩町立奥玉小学校下分校(1970年・奥玉小学校へ統合)
- 千厩町立奥玉小学校上分校(1979年・同上)
- 千厩町立小梨小学校〈旧〉(1987年・新設の小梨小学校へ統合)
- 千厩町立南小梨小学校(同上)
保育園・幼稚園など
- 千厩保育園
- 小梨保育園
- 奥玉保育園
- 磐清水児童館
- 千厩小羊幼稚園(学校法人愛泉学園)
- カトリック清心幼稚園(東北カトリック学園)
学校教育以外の施設
自動車教習所
交通
鉄道
路線バス
千厩町営バス
いずれも岩手県交通によって運行されていた路線の廃止に伴い、運行開始した[2]。
- 北小梨線(旧:矢越線)
- 南小梨線
- 奥玉線
- 磐清水線
大東町営バス
町域の一部が路線に含まれる。
タクシー
町内に営業所を構えるタクシー事業者
道路
国道・県道・町道をあわせた総延長は467.702キロメートルにおよぶ(2004年4月時点)[18]。
- 一般国道
- 県道
- 主要地方道
- 一般県道
- 町道
町内に敷かれた道路のうち、約93パーセントにあたる438.807キロメートルが町道にあたる。2004年4月時点で、1級町道は17路線、2級町道は39路線、その他に区分される町道は916路線ある[18]。
マスメディア
新聞社
放送局
かつて所在していたマスメディア
新聞社
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
国指定文化財
岩手県指定文化財
建造物
- 村上家住宅 - 東磐井郡初の有形文化財に指定され、江戸時代末期以前に建造された全4棟は保存状態が良好である[19]。
- 八幡神社本殿
彫刻
観光地・名所など
イベント
4月から10月までの毎月第2土曜日に開催(8月は14日)。1980年に「愛宕地区の夜市」として始まり、1982年に現在の祭りの形となった。
毎年7月下旬に開催され、2002年に第30回を迎えた。
出身有名人
千厩にゆかりのある有名人
脚注
出典
参考文献
- 谷川彰英『47都道府県・地名由来百科』丸善出版、2015年。ISBN 978-4-621-08761-9。
- 千厩町総務部地域振興課、千厩町制50周年記念誌編集委員会 編『千厩町制50周年記念誌「明日への扉」』千厩町、2005年9月16日。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
千厩町に関連するカテゴリがあります。
外部リンク