厚ヶ瀬 壱哉(旧本名:厚ヶ瀬 美姫)スポーツ健康医療専門学校女子硬式野球 監督 エイジェック女子硬式野球部 総合コーチ #88 |
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シンデレラインタビューを受ける厚ヶ瀬(右) |
基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
大阪府枚方市 |
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生年月日 |
(1991-02-12) 1991年2月12日(33歳) |
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身長 体重 |
159 cm 53 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投左打 |
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ポジション |
遊撃手、二塁手、投手 |
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プロ入り |
2009 内野手1巡目 |
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初出場 |
2010年 |
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最終出場 |
2019年10月17日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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選手歴 |
|
|
|
厚ヶ瀬 美姫(あつがせ みき、1991年2月12日[1] - )は、日本の元女子プロ野球選手、野球指導者。大阪府枚方市出身。現在は厚ヶ瀬 壱哉(あつがせ いちや)に名を改め、男性の野球指導者として活動している。
女子野球選手としての現役時代は、球界のミキティとも呼ばれた。
概要
3歳の頃から、父親の所属する草野球チームの練習に参加し、小学校1年の時に父が監督を務める少年野球チーム「菅原東ビクトリー」に入部。小学の間は両親の方針から野球以外にも様々な習い事に通ったが、飽きっぽい性格が災いして長続きしなかった。しかし、なぜか野球だけは6年間続けることができた。中学に入ると女子が入部できる軟式野球部が無かったため、父が軟式野球チーム「牧方ビクトリー」を結成し、そのチームでショートのレギュラーを掴む。中学卒業後は女子硬式野球部のある神村学園高校に入学し、在学中は野口霞、中野菜摘と合わせて「神村学園三人娘」と呼ばれた。高校3年時の2008年のIBAF女子ワールドカップでは日本代表に選出され、遊撃のレギュラーとして5割を超える打率を残し、世界一に貢献した。[要出典]
2009年、高校卒業後スポーツトレーナーをめざし専門学校に入学。野球を引退する。しかし、それによって生活に身が入らなくなってしまい、見かねた父親がクラブチーム(塁ベースボールクラブ)を結成し、そこでプレーした。それでも目標を失った消失感に悩まされていたが、同年8月に日本女子プロ野球の発足が発表されると、もう一度トップで野球をやりたいとの思いがこみ上げてくる。その後専門学校を自主退学し[要出典]、父親と野球の猛特訓を開始し、トライアウトにてトップクラスの評価を受けて合格した[2]。その際の履歴書の自己PR欄には、「私は野球をするために生まれてきた女子です」と記されていた。同年12月のドラフト会議で兵庫スイングスマイリーズから内野手1位指名を受け、入団。
プロ1年目となる2010年シーズンでは、主に一番・遊撃として全40試合連続出塁の記録を残し、攻守と相まってリーグの看板選手へと成長した。翌2011年シーズンでは、リーグ2人目となる通算100安打を達成。盗塁王にも輝いた。2012年シーズンからはチームのキャプテンに就任することが発表された。2017年8月30日、わかさスタジアム京都でライトへプロ入り初ホームランを打つ[3]。2018年8月17日、わかさスタジアム京都でリーグ3人目となる通算400安打を達成[4]。2019年から京都フローラに移籍。守備コーチを兼任した。同年11月1日に現役を引退し[5]、2020年2月11日に愛知ディオーネの監督に就任することが発表された[6]。
2021年、性別適合手術を受け男性となり、厚ヶ瀬壱哉に名を改めた[7]。
野球から離れていたが、指導者としてのオファーがあり、2022年10月5日にエイジェック学園スポーツ健康医療専門学校の女子硬式野球部監督に就任[8]、翌2023年にはエイジェック女子硬式野球部総合コーチを兼任することとなった[9]。
エピソード
- 神村学園高1年時にジャイアンツカップへ出場した際、阿部慎之助から「打球判断がよかった」と褒められるほどの守備を魅せた。
- 枝豆が大好物。プロ入り後は寮生活で、あまり食べられないことをブログでこぼしている。
- 2011年のある試合で、抽選で選手のサイングッズとツーショット写真が当たるイベントが行われた。リーグ屈指の人気を誇る厚ヶ瀨には応募が殺到し、相当な高倍率になっている中、厚ヶ瀨の父親がまさかの当選。当選者名が発表された瞬間、球場が爆笑に包まれ、観客に声援を送られながら親子でツーショット写真を撮った。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2010
|
スマイリーズ ディオーネ
|
40 |
195 |
167 |
34 |
56 |
13 |
4 |
0 |
77 |
23 |
18 |
10 |
3 |
0 |
25 |
- |
0 |
10 |
0 |
.335 |
.422 |
.461 |
.883
|
2011
|
50 |
196 |
157 |
32 |
50 |
5 |
6 |
0 |
67 |
21 |
17 |
3 |
2 |
1 |
35 |
- |
1 |
8 |
3 |
.318 |
.443 |
.427 |
.870
|
2012
|
36 |
132 |
104 |
20 |
39 |
2 |
4 |
0 |
49 |
14 |
8 |
5 |
2 |
0 |
26 |
- |
0 |
3 |
2 |
.375 |
.500 |
.471 |
.971
|
2013
|
44 |
142 |
120 |
17 |
39 |
6 |
0 |
0 |
45 |
12 |
17 |
3 |
2 |
1 |
19 |
- |
0 |
6 |
1 |
.325 |
.414 |
.375 |
.789
|
2014
|
アストライア
|
35 |
126 |
105 |
20 |
33 |
4 |
4 |
0 |
45 |
8 |
8 |
3 |
3 |
0 |
17 |
- |
1 |
10 |
1 |
.314 |
.415 |
.429 |
.844
|
2015
|
ディオーネ
|
52 |
206 |
166 |
37 |
60 |
7 |
4 |
0 |
75 |
11 |
13 |
4 |
9 |
0 |
28 |
- |
3 |
9 |
0 |
.361 |
.462 |
.452 |
.914
|
2016
|
35 |
141 |
105 |
25 |
36 |
4 |
2 |
0 |
44 |
11 |
4 |
2 |
6 |
0 |
30 |
- |
0 |
3 |
3 |
.343 |
.489 |
.419 |
.908
|
2017
|
47 |
190 |
164 |
33 |
51 |
4 |
4 |
1 |
66 |
7 |
3 |
3 |
3 |
0 |
23 |
- |
0 |
6 |
1 |
.311 |
.396 |
.402 |
.798
|
2018
|
44 |
175 |
151 |
27 |
54 |
10 |
4 |
0 |
72 |
24 |
7 |
1 |
1 |
2 |
21 |
- |
0 |
14 |
2 |
.358 |
.431 |
.477 |
.908
|
2019
|
フローラ
|
66 |
244 |
216 |
33 |
70 |
9 |
1 |
0 |
81 |
22 |
23 |
4 |
1 |
0 |
23 |
- |
4 |
11 |
5 |
.324 |
.399 |
.375 |
.774
|
JWBL:10年
|
449 |
1747 |
1455 |
278 |
488 |
64 |
33 |
1 |
621 |
153 |
118 |
38 |
32 |
4 |
247 |
- |
9 |
80 |
18 |
.335 |
.434 |
.427 |
.861
|
- 2019年度シーズン終了時
- 「-」は記録なし
- 太字はリーグ1位
- 赤太字は女子プロ野球記録
- スマイリーズは、2013年にディオーネに球団名を変更
年度別投手成績
- 2016年度シーズン終了時
- 「-」は記録なし
- 太字はリーグ1位
タイトル
- ゴールデングラブ(2017年、2019年)
- ベストナイン(2012年、2014年-2019年)
背番号
- 51 (2010年 - 2013年)
- 9 (2014年)
- 6 (2015年)
- 1(2016年 - 2019年)
- 50(2020年)
脚注
関連項目
外部リンク