Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

太陽の彼方に

「太陽の彼方に (Movin')」
アストロノウツシングル
初出アルバム『真夏のリズム〜サーフィン!
(Surfin' With The Astronauts)』
B面 ベビー・レッツ・プレイ・ハウス (Let's Play House)
リリース
規格 シングル
ジャンル ロックサーフ・ミュージック
レーベル ビクター
作詞・作曲 リー・ヘイズルウッド
チャート最高順位
日本の旗 日本 シングル首位
1964年の年間チャート5位(洋楽)[1][2][3]
アストロノウツ シングル 年表
サーフィンNo1
(Baja)
(1964年)
太陽の彼方に
(Movin')
(1964年)
サーフ・パーティー
(Surf Party)
(1964年)
テンプレートを表示
「太陽の彼方に (Movin')」
藤本好一シングル
B面 カーニバルの夜は更けて
寺内タケシとブルージーンズ
リリース
規格 シングル
レーベル テイチクレコード
作詞・作曲 リー・ヘイズルウッド
日本語詞:タカオカンベ
テンプレートを表示
「太陽の彼方に (Movin')」
田川譲二シングル
B面 好きだよベイビー
リリース
規格 シングル
レーベル ビクター
作詞・作曲 リー・ヘイズルウッド
日本語詞:タカオカンベ
テンプレートを表示
「ゴールデン・ハーフの
太陽の彼方」
ゴールデン・ハーフシングル
B面 カム・カム・ハワイ
リリース
規格 シングル
レーベル 東芝音楽工業
作詞・作曲 リー・ヘイズルウッド
日本語詞:タカオカンベ
チャート最高順位
ゴールデン・ハーフ シングル 年表
ゴールデン・ハーフのチョット・マッテ・クダサイ
(1971年)
ゴールデン・ハーフの太陽の彼方
(1972年)
24,000回のキッス
(1972年)
テンプレートを表示

太陽の彼方に」(たいようのかなたに、Movin')は、アメリカ合衆国のロック・バンド、アストロノウツが日本で大ヒットさせたインストゥルメンタル曲。リー・ヘイズルウッドが書いた楽曲で、大滝詠一らの誤った発言で、アストロノウツのプロデューサーがリー・ヘイゼルウッドと書かれていることがよくあるが、彼らのレコードは全て名プロデューサーのアル・シュミットがプロデュースしている。(山下達郎や萩原健太といった有名人も大瀧の誤った発言を真に受けた発言をよくしてるので、これを信じてる人は少なくない。)

1963年にアメリカで発売されたアルバム『Surfin' With The Astronauts』に収録されていたが、日本ではシングル化されて大ヒットし、その後、日本語の歌詞が付けられるなど、様々な形で日本の歌手、グループなどに取り上げられた。アメリカではシングルとしては発売されなかったが、当時サファリーズやエディ&ショーメンらもカヴァーしている知られた曲ではある。

8小節からなるメロディを、転調なども織り込みながら延々と反復し続ける構成となっている。

アストロノウツ

「Movin'」は、リー・ヘイズルウッドが、インストゥルメンタル曲としてアストロノウツのデビュー・アルバム『真夏のリズム~サーフィン! (Surfin' With The Astronauts)』に書き下ろした楽曲で、アルバムB面の3曲目に収められていた[4]。本国ではシングルにはされなかったが、日本では1964年4月20日シングルがリリースされ[5]、同年の洋楽の年間チャートで5位に入るヒットとなった[1][2][3]文化放送ユア・ヒット・パレード』では1964年度の年間5位[6]を記録。

日本語による歌唱

この曲に「タカオカンベ」(神戸孝夫)名義による日本語の歌詞を載せた楽曲は「太陽の彼方に」と題され、1964年5月に藤本好一の歌唱、寺内タケシとブルージーンズの演奏でシングルが発売され、B面には寺内タケシとブルージーンズによる「カーニバルの夜は更けて」(La-Di-Da Song、ヴィレッジ・ストンパーズのカバー)が収められた。藤本好一盤は1965年5月時点までの1年間で17万枚を売り上げた[7]。また、田川譲二の歌唱、アストロノウツの演奏によるシングルも発売され、B面には田川の歌唱、ブルージーンズの演奏による「好きだよベイビー」(C'mon Everybody、エルヴィス・プレスリーのカバー、安井かずみによる日本語詞)が収められた。

1972年5月25日ゴールデン・ハーフが、シングル「ゴールデン・ハーフの太陽の彼方」(B面は「カム・カム・ハワイ」[8])を出して、この曲をリバイバルさせた。

参考文献

脚注

  1. ^ a b 佐藤剛 (2015年1月10日). “TAP the DAY エレキ・ブームが日本で爆発したアストロノーツとベンチャーズの合同公演”. TAP the POP. 2016年7月13日閲覧。
  2. ^ a b 八木誠(監修・著)『洋楽ヒットチャート大事典』小学館、2009年、50頁。ISBN 978-4-09-387811-1
  3. ^ a b 『全米TOPヒッツ研究読本 60年代ロック&ポップスのすべて』178頁。
  4. ^ The Astronauts (3) – Surfin' With The Astronauts
  5. ^ The Astronauts (3) – Movin'
  6. ^ 小藤武門『S盤アワーわが青春のポップス』巻末掲載「ポピュラー音楽年表 1945〜1982」アドパックセンター、1982年、95頁。ISBN 4-900378-02-X。(この章のみ本文とは別にノンブルが打たれている)
  7. ^ 「この1年に売れたレコード総まくり――各社別の売上げベスト10」『オール大衆』第18巻第10号、経済通信社、1965年5月15日、42頁、NDLJP:2247004/22 
  8. ^ 1964年ザ・ピーナッツドイツで発売した曲「ヘイ・キャプテン」(ドイツ語: Hey Käp'ten, fahr' nach Hawaii)(ドイツではシングル「スーヴェニール東京」(ドイツ語: Souvenirs aus Tokio) のB面曲、日本でもシングル「二人の恋人は?」のB面曲として発売された)に、なかにし礼による日本語の歌詞を載せた楽曲。作詞・作曲:ハインツ・キースリング (Heinz Kiessling)。シングル「ゴールデン・ハーフの太陽の彼方」のジャケットには作曲者が「Kiessling」と表記されている。
Kembali kehalaman sebelumnya