安井かずみ
安井 かずみ(やすい かずみ、1939年1月12日 - 1994年3月17日)は、日本の作詞家、訳詞家、エッセイスト、歌手。本名は漢字で一美。愛称はズズ (ZUZU)。初期のペンネームは みナみ カズみ[注 1]。日本基督教団のクリスチャンでもあった(1993年受洗[1])。神奈川県横浜市出身。 略歴フェリス女学院高等学校、文化学院油絵科卒業。フェリス時代の同級生に藤村志保がいる。少女時代から絵画のほか、多数の習い事をしていた。女流画家を目指していたが、在学中にみナみカズみのペンネームで神田のシンコーミュージックでアルバイトで訳詞をしたことがきっかけで作詞家となる。フランス語の訳詞ができる語学力と独特の発想による歌詞世界で知られる。加賀まりこらとともに常連組だった飯倉片町の「キャンティ」は心の拠り所であり、いい女の生き方を学ぶ場で、オーナー夫人の川添梶子から多大な影響を受けている[2]。 1965年、伊東ゆかりの「おしゃべりな真珠」で第7回日本レコード大賞・作詞賞を受賞[3]。以降も、伊東ゆかりの「恋のしずく」「星を見ないで」、小柳ルミ子の「わたしの城下町」「お祭りの夜」、沢田研二の「危険なふたり」「追憶」[3]、西城秀樹「ちぎれた愛」「激しい恋」、郷ひろみ「よろしく哀愁」[3]など数多くのヒット曲を送り出し、多くの賞を受賞した。生涯で約4000曲余を作詞した。 フランスなどヨーロッパ諸国を旅して交友を広げ、1967年にローマで新田ジョージと結婚するが、1969年に離婚する。パリで暮らしたのち1971年に帰国した。 1970年代に川口浩が経営する文京区春日のプール付きマンション「川口アパートメント」に入居し、親友加賀まりこ、野際陽子、コシノジュンコ、かまやつひろし、吉田拓郎、金子国義や当時のトップモデルなど多くの業界人が集った。車好きも有名で、高級外車を運転していた。小説家の森瑶子やジャーナリストの大宅映子とも親交が厚かった。 見城徹は、1975年ごろに安井は角川春樹と交際していた[4]と語る。 1977年に8歳年下でミュージシャンの加藤和彦と再婚し、代官山町の日本基督教団本多記念教会で挙式[5]、銀座マキシムで披露宴[2]、それぞれ催した。 コンスタントにエッセイストとしても活動する。 1980年代にエフエム東京のラジオ定期番組『AJI FMハートピア』のパーソナリティーとして出演したが、がんを患い余命1年と告げられる。 1993年に日本基督教団鳥居坂教会で配偶者とともにキリスト教の洗礼を受ける[1]。配偶者は緩和治療を希望して、1994年3月17日に肺癌のため55歳で死去する[注 2]。「金色のダンスシューズが散らばって、私は人形のよう」が絶筆であった。安井の死を受け、沢田研二は同年9~10月に、安井の作詞曲に特化した「ZUZU songs」と称したコンサートツアーを行い、その死を悼んだ。 2012年3月に安井の闘病生活を題材にしたドキュメンタリードラマ『優雅な生活が最高の復讐である 〜加藤和彦・安井かずみ最期の日々〜』(NHK) が放映される。安井役を麻生祐未、加藤役を袴田吉彦が演じた[6][7]。 作品作詞あ行
か行さ行
た行
な行
は行
ま行以降
その他訳詞(みナみカズみ名義を含む)
アルバム
著書単著
共著・編著
関連書籍
テレビ
関連項目脚注注釈出典
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