嬉野町(うれしのまち)は、かつて佐賀県の南西部、長崎県と境を位置していた町。藤津郡に属した。町内にある嬉野温泉で知られた。
2006年1月1日、隣の藤津郡塩田町と新設合併して市制施行し、廃止した。新市名は嬉野市で庁舎位置は現在の塩田町役場。
地理
佐賀県の南西部、藤津郡を構成する三つの町の一つであった。町の南部は山地、北部が塩田川の盆地で、町の中心はこの盆地にある。
隣接していた市町村
歴史
『肥前国風土記』に、藤津郡の塩田川の東に温泉があると記述されており、これが嬉野温泉を指す初出である[1]。「うれしの」との文言は鎌倉時代に初めて確認され、当時は「宇礼志野」と記していた[2]。
神功皇后が三韓征伐のおり、温泉で疲れを癒し「嬉し」と言ったことに因むという伝説があるが、「うれしの」の文献初出は中世に下ること、中世当時は「嬉」を使っていないことから、「嬉し」発言は地名「うれしの」の由来とは無関係とされる[2]。地名「うれしの」は塩田川上流(端を意味する末(うれ))にある土地(野)が由来とされる[3]。
江戸時代には長崎街道の宿場町としても栄えた。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 藤津郡西嬉野村、東嬉野村、吉田村が成立した。
- 1929年(昭和4年)4月22日 西嬉野村が嬉野町になった。
- 1933年(昭和8年)4月1日 嬉野町と東嬉野村が合併して嬉野町になる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 嬉野町と吉田村が合併して嬉野町になる。
- 2006年(平成18年)1月1日 塩田町と合併し、嬉野市として市制施行。
主な出来事
行政
経済
産業
特産品
- 茶:嬉野での茶の栽培は吉村新兵衛が江戸時代慶安年間に始めたとされ、茶業発祥の地不動山地区には、国の天然記念物に指定された樹齢300年を越える大チャノキ(大茶樹)がある。「嬉野茶」として高品質で知られ、近年では伝統的な「釜煎り茶」の技術も復活された。
- 温泉湯どうふ:温泉水で特製の豆腐をゆで、温泉の作用により豆腐がとろりと溶け、湯が白濁した頃に薬味を入れて味わう。「豊玉姫神社」の近くにある「宗庵よこ長」で考案され、漫画『美味しんぼ』で紹介された。現在では町内の多くの温泉旅館・飲食店で味わえる。
- 陶磁器:「肥前吉田焼」と称し、創業は1650年~1660年代と推定される[5]。江戸時代に鍋島藩主の奨励により興隆し、原材料の関係から塩田町(塩田津)との関連もあった[6]。現在では主に有田系の磁器が皿屋地区で生産されている。
姉妹都市・提携都市
国内
地域
教育
高等学校
中学校
小学校
交通
鉄道
1915年から1931年まで肥前電気鉄道が通っていたが、町消滅時点では町内に鉄道は存在しなかった。
2022年9月23日に西九州新幹線が開業し、旧町域(現・嬉野市域)に嬉野温泉駅が設置された。
道路
高速バス
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
脚注
- ^ 『嬉野町史 上巻』嬉野町史編さん執筆委員会、1979年、272頁。
- ^ a b 『嬉野町史 上巻』嬉野町史編さん執筆委員会、1979年、351,353頁。
- ^ 『佐賀地名うんちく事典』佐賀新聞社、2005年、93頁。
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、102頁。ISBN 9784816922749。
- ^ 佐賀県立九州陶磁文化館『吉田2号窯跡 肥前地区古窯跡調査報告書6』1989年
- ^ “塩田職人組合 陶器・陶土”. www.sashoren.ne.jp. 2023年7月14日閲覧。
関連項目
外部リンク